アンビエントを聴きながら純文学を読む pt.1 (411レス)
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397: 07/20(土)00:00 ID:GF1pvtL+(1/2) AAS
保坂和志・山本浩貴(いぬのせなか座)
トーク中に頭の中で跳ねていたあれこれ
Shun Fushimi 伏見 瞬
2024年6月24日

そう考えると、自分が「死なない」よりも、「死ぬ」
に反応する傾向を持っていることに改めて気づく。大学学部の卒論でバタイ
ユについて書き、自分の単著の批評対象としてスピッツを選んだが、どちら
も死を巡る表現を為した存在だ。批評再生塾の最終課題に提出したアンビエ
ント論は、サティ、イーノ、バシンスキーがそれぞれ大量死の体験からアン
ビエントミュージックを編み出したという論を提示している。理由も根拠も
ないまま愛着を持っているLana Del ReyやART-SCHOOLの音楽も死をモチー
フにしているし、サウンドの残響感自体に死が宿っている。自分の執着先を
思い出すと、死と関連を持つ作品がやたら溢れる。そもそも、レコードや映
画に愛着しているのも、複製文化が死者と結びついていて、パフォーマーが
死んでも録音と録画には残る幽霊性に惹かれている。こうした死を想う志向
には論理の手前で共振するのだが、「死なない」という言葉を前にすると、
素通りするしかない自分に気づく。

この話題はもっと直接的に自分を刺してくる話に、端的に私は最近
短歌を書き始めた。しかも、死のイメージを綴った短歌がどんどん出てき
た。書き始めた理由は省略するが、短歌が死に繋がるというのは、根拠はご
く最近の体験から考えると十分納得できる話だ。んで、私は死を賛美するよ
うな表現はしたくないので、もし自分の短歌が美しい死を想起させるものに
なっていると困る。とはいえ、私はだらだら生きるための短歌というのは自
分の表現に接合されないコンセプトのように感じていて、言語表象として死
を扱いたい気持ちが強い。というか、恐らく私が短歌を書く限りは死が出て
くるはずだ。その際、死を扱いつつ、死を煽るものではあってはならない。
そんな、倫理が、今後の制作の圧として機能する。
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