太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (709レス)
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232
(2): 08/08(木)09:23 ID:KDSMBcsG0(2/10) AAS
>>231
東京裁判でも当然、真珠湾攻撃ついては尋問されている。
ちょっと長いので重要な発言だけを切り取る。
東條「しかもその間において日米交渉が万一にでも打開できれば技術上許す範囲において何時でも作戦行動を停止するということで行動していたと承知している。」
233
(1): 08/08(木)10:49 ID:fa0Oh5Zd0(4/9) AAS
>>232
と東條の感想を述べられましても
実際にそうなっていたのですか?
具体的根拠を添えてどーぞ
234: 08/08(木)10:55 ID:fa0Oh5Zd0(5/9) AAS
>>232
開戦前の時点での東條の認識は
その万が一は無いと理解してましたのでやはりただの願望ですな
235
(1): 08/08(木)11:28 ID:KDSMBcsG0(3/10) AAS
>>233
11月13日、岩国航空基地で連合艦隊の最後の打ち合わせが行われた。司令長官の山本五十六大将は
日米交渉が妥結した場合は出動部隊に直ちに帰投するよう命令した。これに二、三の指揮官が不服を唱えたが、山本は「百年兵を養うは、ただ平和を護るためである。もしこの命令を受けて帰れないと思う指揮官があるなら、ただいまから出勤を禁ずる。即刻辞表を出せ」と厳しく言った(実松譲)
236
(1): 08/08(木)12:17 ID:fa0Oh5Zd0(6/9) AAS
>>235
その交渉妥結があり得ない事は東條が認識していたと散々指摘されたでしょ、おじーちゃんw
237: 08/08(木)12:55 ID:ACBUgYwG0(1) AAS
真珠湾攻撃なんて近衛が首相の時に既に決まってたんだろw
アメリカと講和できなければ宣戦布告するとw
そんなアホな法律作って国を縛った近衛が元凶だw
238
(1): 08/08(木)13:29 ID:KDSMBcsG0(4/10) AAS
>>236
ゆとり君も東京裁判くらい調べてくれよ

キーナン首席検事の反対尋問
「もし米国が乙案の条件を受け入れたならば、真珠湾攻撃に始まった開戦はなかったろうか」
東条「乙案をきいていただければもちろん起こりません。その半分でもきいていただければ起こらなかったでしょう。・・・もし米国が太平洋の平和ということを真に望んでおりますならば。」
239
(1): 08/08(木)15:09 ID:fa0Oh5Zd0(7/9) AAS
>>238
それボロ負けした後の話でしょ、おじーちゃん
開戦前、東條はその認識だったのかな?
そしてそれを実現出来る事が出来たのかな?
240
(1): 08/08(木)16:23 ID:KDSMBcsG0(5/10) AAS
>>239
ゆとり君に一つ質問するが、君自身は日米交渉終盤のこの時点で
アメリカ政府は日本と平和を望んでいたと思う?
241: 08/08(木)17:21 ID:7NEbMTqF0(1) AAS
日本の乙案に対しアメリカの回答はハルノートで、これはゼロ回答どころかマイナス回答で、日本政府は11月5日の御前会議の決定通りほぼ自動的に対英米蘭開戦に突入した

この時、アメリカがハルノートではなく暫定協定案を提示してきたらどうなったか 暫定協定案は日本にとって劣化乙案とも言える内容である

戦後の東條はこれが来てたら開戦しなかった、というわけである だが開戦するしないは東條の専権事項ではない 陸軍参謀本部、海軍軍令部と海軍省と外相、蔵相などの閣僚の同意が必要である 東條はヒトラーでもスターリンでもない 首相兼陸相に過ぎない

そして暫定協定案で陸海軍統帥部が戦争回避に賛成するかといえばまず間違いなく断固反対する 乙案でさえ納得してないのに、暫定協定案など呑める訳がない 特に南部仏印からの即時撤兵は参謀本部としては絶対飲めない

海軍も石油供給の確約のないこの案は到底受け入れられない
省2
242
(1): 08/08(木)19:22 ID:5GClTQwm0(1) AAS
東條が問題なのは開戦後だろ。有利なときに講和しなかったのが問題。
事実進言した武藤章を外地に飛ばしたしな。
実戦経験が乏しい軍人にありがちな(現代社会でも現場を知らない管理職にありがち)
これぐらいならできるだろ的な考えが災いした。
243: 08/08(木)20:38 ID:QLM47ff50(1/6) AAS
このスレの中卒たちは「乙案を飲まなかったアメリカが悪い」とか東條の糞自己弁護をほざいてくれているが、
そもそも乙案って、日本のプラスばかりで全然米中に譲歩してないじゃんか。そこ無視して同じレス繰り返すのってバカなのか?
特に(ID:KDSMBcsG0(4/5)の方がゆとり脳丸出し。こいつは甲案も乙案の内容も知らずにレス書いてる。東條は日本側は少しも譲歩せず、米側だけの譲歩を求めている。そしてそれを受け入れなければ12月上旬に開戦と11月2日に決めた。これは首相拝命後たったの2週間である。
東条が「避戦に努力した」のが2週間しかなかった、ということである。
ID:KDSMBcsG0のような馬鹿がよりどころにするのが東條証言。客観的証拠が無いから当人の言い訳しかスレに出せない。笑うべしw。
244: 08/08(木)20:41 ID:KDSMBcsG0(6/10) AAS
この時期の東條英機の口癖は「天子様は戦争反対だ」で
アメリカにかなり譲歩しようとしてた。
アメリカの回答がハルノートでなければ、戦争を避けることができたはずである。
245: 08/08(木)20:48 ID:FVbORN/F0(1) AAS
もう日本側の戦争原因は飽きた
アメリカ側の戦争原因を議論して欲しいね
246: 08/08(木)21:27 ID:QLM47ff50(2/6) AAS
東条はアメリカに譲歩する気はほとんどなかったことは11月2日の大本営連絡会議でもはっきりしている。乙案はアメリカへのゼロ回答である。
アメリカがハルノートの出さず乙案を無視したら、予定通り12月上旬に日本は開戦した。
つまり、東條が天皇に示した避戦のポーズはたった2週間しかもたなかった。東條擁護者は全く反論できないのがこれまでのスレの流れ。
247
(1): 08/08(木)22:13 ID:fa0Oh5Zd0(8/9) AAS
>>240 
南部仏印進駐以降ならNoだ
その時点でアメリカが和平を望んでいたとしたら夢想家だろう

なぜなら日本がやる気マンマンだったのだから開戦は不可避
アメリカにとって仏印進駐以降の交渉はは戦力増強の為の時間稼ぎフェーズだな

しかしそれは日本がやる気だったから、という大前提がある
248: 08/08(木)22:26 ID:KDSMBcsG0(7/10) AAS
>>247
なるほど、ありがと
249: 08/08(木)22:33 ID:KDSMBcsG0(8/10) AAS
近代史研究家の保阪正康は「乙案を一言で言えば日米関係を当面、
南部仏印進駐(資産凍結)以前の段階まで引き戻そうという提案」と言っている。
乙案のネックは援蔣停止の要求だが、その困難を話し合うのが外交交渉だと思う。
その交渉をせずにハルノートが回答では東郷外相が
「目も暗むばかり失望に撃たれた」と述べる気持ちがよくわかる。
250: 08/08(木)22:43 ID:QLM47ff50(3/6) AAS
>その困難を話し合うのが外交交渉だと思う

その話し合いの期限を12月1日午前0時に設定し、そこまでにアメリカが呑まなければ開戦と決定したのが、東條で首相になって2週間後である。
また、交渉期限は乙案提示から1週間もなかった。東條がいかに開戦へ突進していたかよくわかる。一方、ハルノートには交渉期限が無く、いくらでも交渉期間は有った。だが、東條は11月2日の連絡会議の決定どおり、アメリカに宣戦布告した。

これが史実。これに反論できるバカはいないだろう。
251
(2): 08/08(木)22:58 ID:KDSMBcsG0(9/10) AAS
ちなみに日本の高等学校用の日本史教科書(山川出版社『詳説日本史B』、
2007年版)には以下のように記載されている。
「(略)新内閣は9月6日の決定を再検討して、当面日米交渉を継続させた。しかし、11月26日のアメリカ側の提案(ハル=ノート)は、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など、満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉成立は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米英に対する開戦を最終的に決定した(略)」Wikipediaより
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