太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (703レス)
1-

265
(1): 08/09(金)23:32 ID:zxdA2FCX0(3/3) AAS
>>264
だから、12月1日の御前会議では交渉延期をせず予定どおり開戦を再確認したんだろがw
おまえのレスはどこにどう反論しているのかさっぱりわからん。オツム大丈夫か?
論点を整理せず、なんでもレス書いて「トリ」をとっても意味がないぞ。
266: 08/10(土)08:44 ID:N8FMgH2K0(1) AAS
統帥部の意気込みは11月上旬にやるやる言ってるが、実際的には11月上旬には準備が間に合ってない

真珠湾攻撃の肝である、浅深度用の改造91式航空魚雷の引き渡しが11月17日 これを積み込んで急ぎ出撃しても、11月末がやっとである 魚雷なしで真珠湾攻撃を実施することはあり得ない 爆弾では戦艦は沈まないのである

また、南方作戦に必須の南部仏印の航空基地も突貫工事で建設したが、11月上旬だとまだ25軍が必死に工事中で不十分

結局白紙還元があろうとなかろうと結局開戦は11月末以降にずれ込んだだろう

そして逆に12月の開戦を逃せばもう作戦の実施はできなかっただろう 時期は春以降にずれ込むし、一旦撤収する過程で日本の攻撃準備はまずバレる 奇襲ができなければ勝機はない
省1
267: 08/10(土)11:43 ID:xu+QRed60(1/3) AAS
>>265
だから>>251の山川出版社の日本史教科書でも、
「満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、
交渉成立は絶望的になった」と記述している
11月26日のハルノートが開戦を決定させたということだ
268: 08/10(土)11:49 ID:xu+QRed60(2/3) AAS
東條内閣は対米戦争に踏み切った内閣として悪名高いが、むしろ近衛内閣よりも積極的に
対米交渉を行ったと見ることもできる。東條は非戦論に傾いており、外務大臣には平和主義で
知られた東郷茂徳を迎えた[。また、東條は大蔵大臣候補の賀屋興宣との入閣交渉では
「できるだけ日米交渉に努力して、戦争にならないように平和に解決できるように努力したい」と
述べており、東條の交渉推進への方向転換については、陸軍内部から「東條変節」と
評する声さえ聞かれたが、東條にとっては天皇の御言葉が絶対であった。wikiから引用
269
(1): 08/10(土)13:52 ID:1oigX3iV0(1/2) AAS
その「変節した東條」がたった2週間で「元々の東條」に戻った。
11月2日の政府・大本営連絡会議で交渉期限と開戦を決定した以降の東條に対して軍部からの批判は無くなった。

ハルノートは交渉期限も武力行使も予定していないので最後通告でもなく、甲案乙案が最後通告だったことは11月の御前会議の決定通り。
270
(1): 08/10(土)14:00 ID:1oigX3iV0(2/2) AAS
甲案乙案を提示されたアメリカ側は暗号解読で日本側が交渉期限を11月末とした日本外務省の訓電(駐米大使あて)を傍受し、且つ、乙案提出後に日本軍が南方に移動した情報に接し、アメリカは日本の参戦決意が動かしがたいことを知った。乙案を拒否したハルノートはこのうような経緯で提出された。そうして12月1日午前0時を迎え、日本は予定通り開戦手続きに入った。
271: 08/10(土)19:28 ID:OxD1dbjv0(1) AAS
三国軍事同盟締結ですべて詰将棋なだけだぞアホの近衛w
272: 08/10(土)21:04 ID:wzG/6TDW0(1) AAS
>>270
アメリカ、日本の動きを全部見透かしてたんだ。日本は、もう後がない状況だったんだね。開戦は避けられなかったのかな。歴史って、本当に複雑で面白い。
273: 08/10(土)21:32 ID:xu+QRed60(3/3) AAS
>>269
その「変節した東條」がたった2週間で「元々の東條」に戻った。

質問しますが、それを証明する資料はあるんですか?
274
(1): 08/11(日)10:42 ID:KUCqfg360(1) AAS
東條内閣は、発足時は和平を指向していたと東條も、側近である三奸四愚の佐藤賢了や赤松貞雄は主張する

だが英米も国民もそうは思わなかった 回りから見れば、強硬な主張をしていた陸相が、陸相の地位そのままで総理になったんだから開戦内閣と見るのは当然である

また、内情を知ることゴリ押しで推挙した木戸、近衛も、もはや開戦は避けられないのだから、天皇の戦争責任避けの戦犯要因として東條を最適とみなしていた

非戦内閣などと自己評価したところで、東條に和平ができると期待したものいない
275: 08/11(日)11:18 ID:5zMgOQXJ0(1/2) AAS
>>274
昭和天皇の意向で帝国国策遂行要領を白紙還元したもの、半月後には「白紙還元」を白紙にして、12月上旬開戦を決定しちゃったからねえ。
276: 08/11(日)12:29 ID:/4OOpEsp0(1) AAS
>その「変節した東條」がたった2週間で「元々の東條」に戻った。
それは真実だろうか?調べてみた。

「東郷外相の要請を受諾した来栖三郎は、11月4日の午後7時に東條首相と会見した。
東條は、米国は両洋作戦の準備が不充分、米世論がまだ参戦を支持していないこと、
ゴムや錫などの重要軍需物資の不足等を理由に「米国も濫りに戦争を望むまい」と述べ、
交渉妥結の見込みは成功三分失敗七分位であるから、
くれぐれも妥結に努力してほしいと力説した。

来栖が交渉が妥結した場合、「首相は必然的に来るべき国内各方面の強烈な反対を排しても、
飽くまで吾々の作り上げた妥結を支持遂行するか」と問うと、
東條は力強い口調で必ず遂行すると断言した。」wikiより抜粋
省1
277: 08/11(日)12:40 ID:RCxtwVz70(1/2) AAS
日本側も、自分の主張に理と根拠が無く無理筋だと自覚していた。
だから原則論=正論であるハル4原則への同意をスルーしようとし、せざるを得なくなってもオーラルに留め条文等への明示は避けようとしていた。
甲案付記「なお、(ハル)四原則に関しては、これを日米間の正式妥結事項に含めることは極力回避する」

アメリカの原則論=正論に対し、日本側は奪ったものの一部を返還、つまりは一部は自分のものにすると言う主張しかしていない。
そんなものは譲歩ではない。日本は全く譲歩せず、アメリカに正論を曲げろと要求し続けていたのだ。
さもなくば戦争になると。だがこれは軍事を背景とした脅しに他ならない。
軍事力でも経済力でも優位に立ち、正論の側に立つアメリカとしては応じる理由は無い。日本の要求に応じる事は日本に屈服した事になる。
アメリカが乙案を受け入れなかったのは当然の事だ。

これさえ出ていればと言われる暫定協定案にしても、暫定でしかなく、さらに交渉は続けられるはずであった。ハル4原則の下で。
結局行きつく先は基礎協定案=ハルノートであり、満州事変以前に戻れと言う線が動くことは無かったろう。
省4
278: 08/11(日)14:04 ID:5zMgOQXJ0(2/2) AAS
乙案はどうでもいい第一項以外は日本側の要求ばかりでアメリカに譲歩してないからねえ。
暫定協定案ガーというレスも見るけど、仏印撤兵は乙案では日中和平後、暫定協定案では即時だから、両者の乖離は激しい。
しかも乙案が11月末までに受諾されなければ開戦、と11月5日に決定したんだから、暫定協定案が出ようが出まいが、日本の姿勢に変化は起こらない。ハルノートが出たから、日本は開戦したというのは、戦後にA級戦犯たちから出てきた責任転嫁諭と言われている。
連合艦隊の出撃はハルノート提示前だし。
279
(1): 08/11(日)17:51 ID:zb6cvmjq0(1) AAS
アメリカが戦争したかったがアメリカ側の原因
中国に武器援助して日本と代理戦争させてるのだから
日本側もアメリカの本心は知ってたはずだ
交渉が妥結する見込みも無く長引けば戦争で不利になるのも分かってた結果
280: 08/11(日)21:43 ID:RCxtwVz70(2/2) AAS
>>279
>アメリカが戦争したかったがアメリカ側の原因
いや、アメリカは戦争回避に努めてたよ。
満州事変の段階でどこからだろうと宣戦布告されて不思議はない状態。
それをまずはオーラルステートメント(スティムソン・ドクトリン)に留め、
フィリピンが危うくなる仏印進駐に至って部分的禁輸措置、南印進駐で全面的禁輸と、日本が拡大を止めないから対応が厳しくなっていった。
第一次世界た戦後の国際秩序、安全保障体制を壊しにかかっている日本こそがアメリカに戦争を仕掛けているに等しかった。

よく言われる裏口参戦説も、三国同盟に自動参戦条項が無いので、日米戦が始まっても米独戦の理由にはならんのだから成り立たない。
ヒトラーが日米開戦に合わせて対米宣戦布告しなければ空振りに終わるところだった。

>中国に武器援助して日本と代理戦争させてる
省4
281: 08/12(月)09:40 ID:PcvQcYCX0(1/2) AAS
日本はアメリカと対等にテーブルについて交渉しているつもりだったが持っているカードが全く違っていた

俗に言えば日本はアメリカにキンタマ握られた状態で、アメリカの意向動向をよく観察して行動しなくてはならない

アメリカは対中援助していたが、一方で日本に莫大な量の石油、金属などの戦略物資の輸出を続け、工作機械、石油掘削機、軍用特許のライセンスも後々まで継続していた

日中戦争で一方が宣戦布告して国際法上の戦争となり、アメリカが中立法の元に日中双方と通商を断絶したら、より困るのは蒋介石ではなく日本である その自覚が日本中枢にはなかった

御自慢の零戦も飛ぶのに必要なプロペラはハミルトン社の可変ピッチプロペラでライセンス料を払って使わせてもらっていた この様な話はいくらでもある 
省1
282: 08/12(月)10:50 ID:CHTYW6wz0(1/2) AAS
1936年 寺内寿一陸軍大臣が豊田自動織機製作所(現トヨタ自動車)を視察に訪れた
豊田喜一郎(トヨタ自動車創業者 現トヨタ自動車会長で、日本で頑張る気が起きないの章男の祖父)が案内説明した

その際のやり取り
大臣 自動車はいくらでもいるからどんどん作ってもらいたい
喜一郎 自動車を作る工作機械は大部分輸入しております 輸入できなくなったら自動車の生産も出来なくなるので是非工作機械の輸入を保護して欲しい
大臣 なら工作機械を早く作ればいいじゃん

喜一郎は、政府高官の技術への理解度の低さにがっかりした 孫同様、そりゃあ日本で頑張る気が起きないだろう

日本が戦争中せっせと兵器生産に使用した工作機械の多くが欧米からの輸入
鬼畜米英をやっつけようと動員された学徒はアメリカの工作機械で兵器製造に携わっていた もののわかった子供なら先行きは見え見えに見えていただろう
283: 08/12(月)11:12 ID:s5arcT4n0(1) AAS
そら桂ハリマン協定ドタキャンさせた小村寿太郎やろ
284
(1): 08/12(月)12:48 ID:qDhiIgZf0(1) AAS
日本の真の生命線は日米貿易であって、満州などではなかった。
満州は関東軍の生命線でしかなかったのだ。
「へぼ将棋、王より飛車をかわいがり」と言う言葉があるが、まさにそのへぼ将棋を打ちまくっていたのが、昭和戦前の陸軍であり日本だった。
満州事変以降、優先順位と選択肢を間違え続けた結果が、日米開戦であり、敗戦と日本の焦土化でっあった。
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