太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (704レス)
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485: 09/05(木)20:22 ID:Z2RyzNr20(2/4) AAS
>>483
どういう理屈で公家のせいになるんだw
僕も武藤章の日記は読んだけどそんな部分あったのか
486: 09/05(木)20:33 ID:YqC8BVi50(1) AAS
>>483
その3人は華族だが公卿ではないな 当時は公家とか大名とか勲功とかその辺華族も識別していただろうから
公家というなら近衛と西園寺のどちらかで、まあ近衛のことだろう
487: 09/05(木)21:41 ID:O1/1wJnI0(3/4) AAS
お公家って近衛のことではないかな?
宇垣一成の日記にこんな記述がある
御公家様を擁して平家と同様に壇ノ浦まで行かねばならない!
仕方がなく国民もその御相伴を為さねばならない。
488: 09/05(木)22:38 ID:Rs+oOUN70(1/2) AAS
>>479
戦争をどこで止めるか?という発想が無かったんだろうねえ。南京陥落させればシナは根を上げ、日本の講和条件を全部飲む、と安易に考えていた。日清戦争や北清事変という成功体験があったからね。ところが今回の蒋介石はナポレオン戦争時のロシアのような戦略で臨んできたから、もうゴールの見えない泥沼戦になって、「落としどころ」そのものが「消えた」。
こういった軍事的行き詰まりの処方箋を用意するのが政治や外交の役割なんだが、日本はここが決定的に無能過ぎた。
489: 09/05(木)22:47 ID:Z2RyzNr20(3/4) AAS
宇垣一成はともかく、武藤章が近衛のせいだとか言うのはね
490: 09/05(木)22:56 ID:Rs+oOUN70(2/2) AAS
>>473
昭和20年の初頭で海軍の一部で検討されてた講和案がハルノートのラインだったらしい。満州国は認めてもらい、シナ本部と東南アジアからの撤兵、つまりシナ事変以前の状態だな。カイロ宣言と相当な開きがある。昭和20年初頭でこんな呑気な講和条件を考えているとは今更ながら当時の軍人たちの政治感覚の低さに驚かされる。日本本土の保障占領回避の一択で講和に持ち込めれば御の字なんだが、一撃講和論のゴール設定がそもそもお花畑だったんだねえ。
491(1): 09/05(木)23:06 ID:O1/1wJnI0(4/4) AAS
昭和20年初頭の参謀本部の考えではソ連に仲介を頼む見返りに満州を献上する、
だから満州の関東軍はスカスカにしたと読んだことある
492: 09/05(木)23:37 ID:Z2RyzNr20(4/4) AAS
元高級参謀がテレビで「満州の部隊を南方に送ってたらカラッポになっちゃったんですよ、お金を使ってばかりだとサイフからお金が無くなるのと同じで」ってヘラヘラしながら言ってた
493(1): 09/06(金)00:07 ID:u4epHuLX0(1) AAS
ドイツが戦っている限りソ連の対日参戦はない
同様に日本がアメリカと戦っている限り日本のソ連侵攻もない
そして日ソの中立状態を保障しているのは、日誌中立条約などと言う紙っぺらではなく、極東ソ連軍と関東軍の軍事バランスである
ドイツが降伏し、関東軍がスカスカになった
ソ連の対日参戦を止めるストッパーは全て外れた ソ連はドイツのポーランド侵攻後死に体のポーランドに、ソ波不可侵条約を破り侵攻した
条件が整えば不可侵条約など破り侵攻する
フィンランドもバルト三国も不可侵条約を結んでいたのに一方的に侵攻された
こうした前科があり、1945年5月ソ連の対日参戦はもはや仮定ではなくいつになるかと言う時間の問題となっていたのは誰の目にも自明である
在外公館の武官や外交官もソ連の対日参戦をしきりに打電してくる
何よりシベリア鉄道で東送されるソ連軍大部隊をシベリア鉄道で帰朝する武官が目の当たりにしている
省3
494(1): 09/06(金)11:34 ID:lHg51Vb70(1/4) AAS
>>484
制海権はとっくになかっただろw
抵当な解釈するなよアホw
495: 09/06(金)11:36 ID:lHg51Vb70(2/4) AAS
抵当×
適当〇
496: 09/06(金)11:38 ID:lHg51Vb70(3/4) AAS
適当×
本筋の読めない三流つっこみみたいな〇
497(1): 09/06(金)11:45 ID:lHg51Vb70(4/4) AAS
>>493
どちらにせよアメリカの核開発に第二次世界大戦を終わらせる絶対的なパワーがあったw
この開発を阻止するか先に開発できなければ負けは濃厚w
そもそも戦うべきではなかったw
ソ連もアメリカの核でそこそこ日本から手を引いたといってもいいのかも知らんw
498(1): 09/06(金)12:12 ID:8CzYJOuJ0(1/4) AAS
>>494
その考えでいくと1945年4月に大和が沖縄へ半分も行かないうちに撃沈される状態で、ほぼ日本は陥落
1945年7月には青函連絡船群が壊滅し主要港湾は機雷で封鎖で内地と北海道も瀬戸内海すら航行不可で完全に落ちたってことだろうな
米爆撃航空団と米海軍が日本はこれで落ちたと豪語するのも当然だろう
この状況下では、カイロ宣言を緩和したポツダム宣言は即時受諾の一択のはずだった
499(2): 09/06(金)12:24 ID:8CzYJOuJ0(2/4) AAS
>>497
原子爆弾が戦争を終わらせた これは米側の認識 ソ連参戦が戦争を終わらせた これはソ連の認識である
では当事者である日本はと言うと戦後は原爆派が多い だが、終戦の経緯を見ると原爆よりソ連参戦の方が衝撃が大きかったことが窺える
まず、日本がポツダム宣言を受諾するには陸軍が承知するのが絶対条件である 原爆に対して確かにすごいが決定打となりうると言う認識はなかった もろに喰らった畑元帥にしても、九州方面の防備で連合軍の阻止は困難と考えたが原爆でどうこうとは言ってない
何より広島に原爆が投下されて、閣議が開催されたのがなんと丸3日後 理由はメンバーが揃わないから 次々原爆が投下されるかもって状況でこの悠長な対応 とても戦争を左右する脅威と言う認識があったとは思えない
ようやく閣議を開いた当日ソ連参戦 ソ連参戦から24時間以内にポツダム宣言受諾は決定した
原爆があっても本土決戦は可能である だがソ連参戦により本土決戦は不可能となった 連合軍でも手一杯なのに恐れに恐れて恐ソ病にかかっていた参謀本部の根性はこれでへし折れた
500: 09/06(金)12:49 ID:Nc5uzSpn0(1) AAS
軍部が終戦を望んだのは、原爆でもソ連参戦でもなくて本土決戦だよ
だから45年の4月に、終戦に持っていくための鈴木内閣になってる訳だろ
満州国を作ったのは、大正時代の軍縮ムードをブッ壊すため
その後も、予算が増えるから戦火拡大が止まらなくなった
アメリカと戦争を始めたのは、すでに満州に20万人近い移民を送り、投資もしていたから、軍人だけが悪者になるハルノート受諾はできなかった
本土決戦の寸前に降伏したから、満州国は国民の要求に軍が応えただけだ、230万人の戦死者がその証拠だと言えるようになった
そして一億総懺悔論の下で軍人恩給をもった
501: 09/06(金)12:55 ID:8CzYJOuJ0(3/4) AAS
降伏後GHQの指令により軍人恩給は廃止された
502: 09/06(金)13:32 ID:BV7hoJOU0(1/3) AAS
>>499
>日本はと言うと戦後は原爆派が多い
平成、特にこの20年程は“ソ連参戦派”が多いように思う。
>>500
>軍部が終戦を望んだのは、原爆でもソ連参戦でもなくて本土決戦
本土決戦を最後まで主張したのは陸軍。宮城占拠事件を知らんのかね? トンデモ解釈は却下w
503(2): 09/06(金)14:32 ID:BV7hoJOU0(2/3) AAS
ちょっと今、俺もトンデモ解釈を思いついたので書いてみる。
>>499
一撃講和論を妄想し、無謀な本土決戦を考えていた陸軍の心をへし折ったのがソ連参戦だったが、その理由は「本土決戦が出来なくなったから」ではなく、「満州を失ったから」だったりする。
そもそも、シナ本土や満洲からの撤兵は断固拒否するが、九州や南関東への米軍上陸歓迎という本土決戦は、普通に考えてオツムがおかしい。松代に天チャンを疎開さてまでやることか?
しかし、事実は小説より奇なりでソ連軍の満州侵攻で日本の大本営はグダグダになった。
日本本国より大切なもの、それが満洲だったなら、「大日本帝国」の新たな側面が見える。
満州事変後、日本は様変わりしたが、それは日本帝国の核心が東京や本州ではなく、満州に移っていたからかもしれない。華北分離工作や南京政府樹立もみんな満洲防衛のためだったし。
とか言ってみる。
504(2): 09/06(金)15:51 ID:8CzYJOuJ0(4/4) AAS
米軍の侵攻が早すぎて情勢の推移に軍の再配置がついていけてなかった面はある
それでも満州からは南方や本土に精鋭師団を引っこ抜き、関東軍に残ったのは三流以下の警備師団のみ
理解し難いのは支那派遣軍で、こちらはほとんど100万の精鋭を擁したまま終戦を迎えた
1944年末に大陸打通作戦が終わった頃、すでにマリアナを失いフィリピンは大苦戦 連合軍は沖縄、台湾から本土に侵攻は時間の問題である
であれば、支那派遣軍を転身、台湾、沖縄、本土の防衛に振り向けるべきである 幸い大陸打通作戦で国府軍は大打撃を受けているから追撃もしてこない
ところが何故か大本営は支那派遣軍は動かさずに、沖縄から第9師団を抜いて台湾に移動したりと迷走する 台湾の防衛をしたいなら台湾海峡の対岸に布陣する支那派遣軍から抜いた方が早い
そして本土決戦は、無理やり拵えた3桁番号の即席師団群が担うことに 沖縄戦の頃には大陸から本土への移動も困難だったにせよもっと早い時期に戦力配置の転換はできたはず
省3
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