太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (655レス)
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374
(2): 08/18(日)14:13 ID:m+qal/WX0(1) AAS
誰か地理屋いない?
外戦で負けた区域って図化範囲外だから負けたんじゃねーのと思ってんだけど

ビルマもインドネシアも旧宗主国のイギリスオランダから地図接収したけど大縮尺で話にならず

逆にサイパンとか沖縄みたいな善戦したところって参謀云々よりも図化済み1:25000があったからじゃねと思ってしまう
375: 08/18(日)15:00 ID:SVcPc59+0(3/5) AAS
論破されたら話題変えようと必死のアホw
376
(1): 08/18(日)15:13 ID:ebDeDWAK0(1/6) AAS
>>373
中国とアメリカでは軍事力が違いすぎる
武藤は対中国戦に敗戦ないが、対米戦は敗戦を想定していただけ。
それに第二次上海事変は蒋介石とドイツ軍事顧問団が仕掛けてきた戦争で
上海の日本軍は10倍の中国軍に包囲されて大損害を出していた。
377: 08/18(日)16:28 ID:Kw0Sb1en0(1/3) AAS
>>374
南方作戦を実施した時、インドネシアもマレおビルマもそれほど比べ苦戦することなく勝利できた

地図は重要だが、後半の善戦苦戦の違いは単純に戦法の問題だろう

ただガダルカナル、ニューギニア、インパールは地図がない上に地形を軽視したことが敗因の一つだろう
378
(1): 08/18(日)16:46 ID:SVcPc59+0(4/5) AAS
>>376
そんなことはわかってるw
それなのに日中戦争を終わる見込みもないのに始めたところがアホ丸出しだろと言ってるのがわからないカスかよおまえw
結局今の日本が停滞してるのも武藤みたいな緻密な分析もせずに先輩の真似をしたら成功ですわと猿真似しかできないアホばかりだからだろw
379: 08/18(日)16:49 ID:SVcPc59+0(5/5) AAS
>>374
ただの計画性のない兵站不良だろw
380: 08/18(日)17:47 ID:ebDeDWAK0(2/6) AAS
>>378
南京陥落後のトラウトマン和平工作を蹴ったのは近衛だから。

ところでお前さん、文末にwばかり付けるが、
マジックマッシュルームでもやってんのか
381: 08/18(日)18:39 ID:Kw0Sb1en0(2/3) AAS
日中戦争を畳む機会は何度かあった

第二次上海事変で、海軍陸戦隊では到底支えきれないため、増派が協議されたが蔵相の賀屋興宣はこれに反対した 増派などすれば軍事費の増大で国家財政が破綻する 上海の居留民を引き揚げた方が経済的である

財政家として非常な卓見でありそうしていれば、上海などという魔窟は残りの列強が面倒を見レナいいのである

だが、米内海相は賀屋蔵相を怒鳴りつけたという 賀屋はロンドン会議の時に条約賛成を主張して山本五十六に殴られただか殴られそうになっただかで、金食い虫の海軍と相性が悪い

次が南京陥落後で、多田駿以下の陸軍参謀本部はここで蒋介石との講和を主張した ところが陸軍省はもとより米内海相も広田外相もイケイケで、風見鶏の近衛は講和を袖にして、これより対英米開戦まで日中戦争は泥沼状態になる
これは、対ソに備えるべしを主張していた小畑敏四郎他皇道派が前年の226で一掃されていた事が効いた 226がなければ、日中戦争の拡大は抑えられたかもしれないし、対支一撃論も抑えきてたかもである
382: 08/18(日)18:51 ID:Kw0Sb1en0(3/3) AAS
最後は1940年春頃 開戦から丸3年以上、日中戦争の見通しは真っ暗
斎藤隆夫は国会で反軍演説をぶって、陸軍の定見の無さを突いた 陸軍の痛いところをついたが故に斎藤は国会で議員遠除名された
この時後の社会党書記長浅沼稲次郎が除名賛成だった事を忘れてはならない

かくいう状況で陸軍としても撤兵を検討する動きが出てきていた イケイケだった武藤章軍務局長もやめとけば良かったと後悔する状況の上、前年のノモンハン事件など本命の対ソ戦の準備の方がずっと重要である

統制派の対支一撃論は雲散霧消、皇道派の方が正しかったのである、この時点ではとりあえず

というわけで陸軍省も参謀本部も撤退の計画を練り、次官次長の決裁まで取ったという

ところがタイミングの悪いことにドイツの西方電撃戦が始まって、省部はドイツすごいの一色になる 中国との講和などどっかに飛んでいき、泥舟の日独伊三国同盟に向け陸軍は走り出すのであった
省1
383: 08/18(日)20:04 ID:AohGaZoW0(1) AAS
最後に首相に東條を選んだのが
東條は冷静な軍事戦略家でなかった
精神論でしか判断できない
土壇場で軍事通を首相に選んどけば
戦争なんて無理やんボケ 戦争やめるわ 終了と止めたかも知れない
384: 08/18(日)22:10 ID:ebDeDWAK0(3/6) AAS
東條内閣は対米戦争に踏み切った内閣として悪名高いが、むしろ近衛内閣よりも積極的に
対米交渉を行ったと見ることもできる。東條は非戦論に傾いており、外務大臣には平和主義で
知られた東郷茂徳を迎えた[。また、東條は大蔵大臣候補の賀屋興宣との入閣交渉では
「できるだけ日米交渉に努力して、戦争にならないように平和に解決できるように努力したい」と
述べており、東條の交渉推進への方向転換については、陸軍内部から「東條変節」と
評する声さえ聞かれたが、東條にとっては天皇の御言葉が絶対であった。
385: 08/18(日)22:40 ID:d+aaWji40(1/3) AAS
そして東條は首相就任の2週間後の11月1日の大本営政府連絡会議で、日米交渉の期限を11月末日とし、日本側提案を受け入れなかった場合は12月初旬に武力行使を決定した。
このようにして東條は天皇の意向に反して開戦に突き進んだ。
386
(2): 08/18(日)22:44 ID:FGCst/gl0(1) AAS
今の日本人見てるととてもバンザイ突撃や特攻などやりそうにない大人しくて温和な性格だと思うのだが

どこから変質したかと言うと、薩長が政権を奪取したところから語らねばなるまい
387: 08/18(日)22:52 ID:ebDeDWAK0(4/6) AAS
東條英機首相の口癖は「天子様は戦争反対だ」で
アメリカに譲歩しようとしてた。
アメリカの回答がハルノートでなければ、戦争を避けることができたはずである。
388
(1): 08/18(日)22:59 ID:d+aaWji40(2/3) AAS
連合艦隊の出撃はハルノートの提出前であり、東條はアメリカは日本に都合が良すぎる乙案を拒否することを予想していた。そして帝国国策遂行要領の通り、開戦を強行した。
ハルノートが無ければ戦争は無かった、とする議論は、戦後に戦犯たちが自己弁護で言い始め。。
389: 08/18(日)23:06 ID:9QHsm5dE0(3/4) AAS
東郷茂徳はドイツ屋で、外交官としてはドイツ駐在が最も長く、嫁もドイツ人 大使経験はドイツ以外はソ連だけ 英米との関わりは極めて薄い

日米交渉をやろうという内閣の外相として最適とは全く思えない 

英米に詳しい外交官は他にいくらでもいた

駐米大使経験者の石井菊次郎、幣原喜十郎、宮内大臣の松平恒雄は古すぎるとしても、英国大使だった重光葵、吉田茂、大物がいいなら広田弘毅でもいいわけである

内心はともかく、履歴が完全にドイツスクールの外相では、アメリカの心象がいいわけがない
省1
390: 08/18(日)23:18 ID:ebDeDWAK0(5/6) AAS
ちなみに日本の高等学校用の日本史教科書(山川出版社『詳説日本史B』、2007年版)には
以下のように記載されている。
「(略)新内閣は9月6日の決定を再検討して、当面日米交渉を継続させた。しかし、11月26日のアメリカ側の提案(ハル=ノート)は、中国・仏印からの全面的無条件撤退、満州国・汪兆銘政権の否認、日独伊三国同盟の実質的廃棄など、満州事変以前の状態への復帰を要求する最後通告に等しいものだったので、交渉成立は絶望的になった。12月1日の御前会議は対米交渉を不成功と判断し、米英に対する開戦を最終的に決定した(略)」
391: 08/18(日)23:18 ID:9QHsm5dE0(4/4) AAS
>>388
ハル・ノートは満州については特に問題としていない
東郷外相は撤兵を要求する支那には満州は含まれないという認識だと原枢密院議長に答弁している

だが中央では何故か満州を放棄など絶対できぬと開戦が決定するわけである

戦後、佐藤賢了はハルノートに満洲国を承認すると書いてあれば受諾していた とイケシャーシャーと語った

当然、対象範囲について明確に確認されるまで開戦は延期するのが当然の処置だが、もう開戦に走り出している アメリカが何を言ってこようと乙案丸呑み以外は即開戦だろう

12月を逃せば季節的に作戦困難になる上、回答を確認するまで機動部隊をハワイ近海で遊弋させとくなんて出来るわけがない 燃料が問題になる上、そんなところプラプラしてたらいつ発見されてもおかしくない
省1
392: 08/18(日)23:34 ID:d+aaWji40(3/3) AAS
「ハル・ノート」は日本本国の政策決定過程においては最後通牒と主張され、開戦の最終決定に至った。「ハル・ノート」は自らを試案であり、(今後の交渉がこれに)拘束されるものでないとしていて、これが実際に最後通牒といえるかについては議論があるものの、日本側から提示された「乙案」と「ハル・ノート」の差が大きい以上、戦争は避けられない状況にあったとの主張も、日本にある[5]。
ただし、「ハル・ノート」中の中国からの撤兵要求につき、当時の日本にとって、この中国に満州を含むかどうかが重要な問題で、当時の東郷外相は初めから満州を含むものと考えて報告[6]し、それがため開戦に踏み切らざるをえなくなったかのように、当の東郷自身は戦後主張している。
一方で、責任ある地位にいた者の中で「満州を含む」と解釈していたとは認められず、これは結局、戦後に戦犯裁判に架けられた者の側からの日本は戦争に追い込まれたとする一種の陰謀論ではないかとする説[7]もある。両説どちらからも、東郷のそもそもの真意や実際の行動がどうであったか、疑問が呈されている。
また、「ハル・ノート」の内容が多くの日本側の戦争回避論者を失望させたことや、開戦主張論者に交渉成立の「見込み無し」として利用されたのは事実であるが、そもそも「ハル・ノート」が最後通牒を受けたも同然と言われるようにまでなったのは、少なくとも公には、戦後の東京裁判等で東郷が自身の戦争開始責任を逃れるため言い出し、それに合わせた議論が主張されるようになってからである。  (ウィキペディアより引用)
393: 08/18(日)23:55 ID:ebDeDWAK0(6/6) AAS
ハルノートでの「支那における重慶政権以外の一切の政権の否認」の中には、汪の南京国民政府のほかに満洲国政府も含むと考えられた。瀬島龍三 
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