太平洋戦争は日本なら誰が悪かったの? (655レス)
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(1): 06/10(月)18:10:42.77 ID:u/uX39130(3/3) AAS
ヒトラーはソ連の強さを知らなかった、日本はアメリカの強さを知らなかった
まあヒトラーもなんだかんだいって、(ノモンハンでソ連にケンカを売った)辻ーんと同レベルの人物だったのかもしれないな
40
(2): 06/11(火)15:45:42.77 ID:KvmOiJHR0(2/8) AAS
>>36
1941年8月は東條政権誕生の前じゃん
首相就任後の東條英機は昭和天皇の意志を尊重し、日米交渉継続してる。

>>39
お前も具体的な史実を出せよ
73: 06/13(木)00:12:59.77 ID:bTeBcI1m0(1) AAS
満州事変の時蒋介石は反撃しなかった 国共内戦中でもあり、また日本に勝てる戦力もない
日本と戦えると確信したのはドイツの支援によりドイツ式師団群を整備したのちのことだろう

攻められたり、無理無法な要求を突きつけられた時、それでも勝算がなければ受諾降伏するし勝算があれば闘う 当然だ フィンランドもウクライナも勝算はあった 

日本は自暴自棄になったのではない 勝算はあった、それも相当の自信確信があった 少なくとも日本軍部はそう考えていた 
139: 06/30(日)13:45:31.77 ID:4euMwJgA0(1) AAS
まるで自民党にまるなげ…って話みたいw
173: 08/04(日)17:38:13.77 ID:Mf9F6DzU0(1/3) AAS
明治の元勲達は軍人でもあり、政治家でもあった
明治14年に軍人勅諭で軍人は政治に拘らず、とされると、以降士官学校、兵学校での教育も当然政治にかかわるべからずとなる

これは列強でも当然で、軍学校では政治なぞ教えない シビリアンコントロールは、どのような体制でも当然のことで、独裁者でもシビリアンはシビリアン ヒトラーもスターリンも軍人ではなく政治家である

ところが日本はシビリアンコントロールの規定がない 軍は天皇に直属する これに政府が容喙する事は天皇大権である統帥権の干犯である

という事で日本軍はアンコントロール状態となる 厄介なのは陸軍だけでも派が四分五裂でその時々で声のでかいものが引っ張るので方針が二転三転する

軍人勅諭の軍人は政治にかかわらずはどこへ行ったのか、と思われるが、彼らに言わすと戦争するしないという政治の究極でさえ統帥権の問題となる
省1
242
(1): 08/08(木)19:22:08.77 ID:5GClTQwm0(1) AAS
東條が問題なのは開戦後だろ。有利なときに講和しなかったのが問題。
事実進言した武藤章を外地に飛ばしたしな。
実戦経験が乏しい軍人にありがちな(現代社会でも現場を知らない管理職にありがち)
これぐらいならできるだろ的な考えが災いした。
254: 08/08(木)23:12:07.77 ID:KDSMBcsG0(10/10) AAS
>>253
クレームは山川出版社にね、ポンスケwww
379: 08/18(日)16:49:02.77 ID:SVcPc59+0(5/5) AAS
>>374
ただの計画性のない兵站不良だろw
395
(1): 08/19(月)06:46:47.77 ID:dejSZgWH0(2/6) AAS
対米戦において日本がどの時点で撤退すべきだったかは、戦略的な視点や状況によって異なりますが、いくつかのポイントが撤退の好機とされています。

1. **ミッドウェー海戦後(1942年6月)**
ミッドウェー海戦での大敗が、日本にとって大きな転機となりました。この戦いで日本は空母4隻と多数の熟練パイロットを失い、太平洋での戦略的優位を失いました。この時点で大規模な攻勢を維持することが難しくなり、早期撤退を検討すべきだったという見解があります。もしここで撤退し、防衛線を固めて講和交渉に入る選択をしていれば、戦局の悪化を多少は防げたかもしれません。

2. **ガダルカナル島撤退後(1943年初頭)**
ガダルカナル島の戦いは、日本軍の消耗戦の象徴となりました。この戦いは長期化し、日本軍は資源や兵力を消耗しました。1943年初頭に日本軍は撤退を余儀なくされましたが、この段階で戦争拡大を抑え、できる限り早く防衛ラインを固めて米国との和平交渉を模索すべきだったとも考えられます。

3. **マリアナ諸島陥落後(1944年夏)**
サイパン島を含むマリアナ諸島の陥落は、アメリカ軍が日本本土を爆撃できるようになる大きな転機でした。これにより、日本本土への直接的な脅威が現実となり、さらに戦争の継続が極めて厳しい状況に追い込まれました。この時点で戦局の逆転はほぼ不可能であり、戦争からの撤退と降伏を検討すべきだったと言われています。

4. **レイテ沖海戦後(1944年10月)**
フィリピンのレイテ沖海戦で日本海軍は壊滅的な打撃を受け、残存する戦力もほとんど無力化されました。この時点で、アメリカは日本本土侵攻の準備を着実に進めており、日本が勝つ見込みはなくなっていました。ここでの降伏や講和は、日本のさらなる破壊を防ぐために現実的な選択肢だったでしょう。
省1
454: 09/02(月)22:45:45.77 ID:AhkR1urK0(1) AAS
>>444
世襲層は戦争に反対した
今の世襲政治家も、終身雇用を止めろって言うから蛇蝎のごとくに嫌われている
低学歴の不幸を望んでいる平民出身の受験秀才が悪い
524: 09/09(月)20:42:08.77 ID:C+LW+Pl20(1) AAS
>>521
終戦前の数ヶ月、日本軍は本土決戦のための戦力温存と称して本土空襲があっても積極的に迎撃をしなかったそうだ
5chやヤフー知恵袋では、本当は沖縄戦までに残りの弾薬をブチ込んでいたために反撃しようにもできなかったのが真相だという人もいる
653: 09/18(水)19:42:11.77 ID:420qdn2B0(1) AAS
>>618
官僚軍人が始めて官僚軍人が終わらせたんだよ
ズルズル戦争を引き延ばしたのは、沖縄戦までは内地にいるエリートにとっては他人事だったからだろ
軍部が本土決戦を本当にヤル気なら、大臣を引き上げて鈴木を退陣させることだってできたんだし
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