安濃豊の戦勝国は日本だったについて (941レス)
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865: [] 2024/10/12(土) 23:28:57.95 ID:zt583bA00 〉交渉の議題にも争点にもなっていないのが「アジア解放」である。なんでこれが開戦理由や 目的に該当するのかさっぱりわからない。 とありますが、日米交渉の長い期間の中で、 ※1.に、付録第三十一 日米「原則協定」案 というのがあります。見てみると、 日米「原則協定案」昭和16年3月17日 日米私人作成 と題名にあります。 ※2.民間外交から日米交渉の開始へ 二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍 から 「日米交渉は民間外交を起点として、その後に正規の外交ルートに乗せられたという経緯を持つ。」 とあり、当初は日米私人が交渉していて、そのときに作成されたもののようです。 原則協定案の「西南太平洋自主連邦」という項目があります。※1.P345(本のページでは655) 1.日本は西南太平洋に存在する特定国及び属領に対し、安定を確保し且つ非侵略的意図の所作として 自主連邦の組織を提唱す。 2.右諸国が「戦利品」扱いをけることを防ぐ為(何か国か獲得するにしても日本としては目視得す)、 仏印は「安南」の名のもとに独立せしむること、英領及び蘭領「ボルネオ」は英蘭両国の同意する 形態を以って「ボルネオ連邦」を作ること、蘭領東印度は、加奈陀と同様あるいはそれ以上の強度の 「和蘭東印度自治領」とすること。 とあり、当初、「アジア解放」に関しての議題はされていたようです。これは、自分は初めて知りました。 いろいろ勉強をさせていただきました。ありがとうございます。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history2/1720864793/865
交渉の議題にも争点にもなっていないのがアジア解放であるなんでこれが開戦理由や 目的に該当するのかさっぱりわからない とありますが日米交渉の長い期間の中で に付録第三十一 日米原則協定案 というのがあります見てみると 日米原則協定案昭和年月日 日米私人作成 と題名にあります 民間外交から日米交渉の開始へ 二人の聖職者の来日と井川忠雄の活躍 から 日米交渉は民間外交を起点としてその後に正規の外交ルートに乗せられたという経緯を持つ とあり当初は日米私人が交渉していてそのときに作成されたもののようです 原則協定案の西南太平洋自主連邦という項目があります本のページでは 日本は西南太平洋に存在する特定国及び属領に対し安定を確保し且つ非侵略的意図の所作として 自主連邦の組織を提唱す 右諸国が戦利品扱いをけることを防ぐ為何か国か獲得するにしても日本としては目視得す 仏印は安南の名のもとに独立せしむること英領及び蘭領ボルネオは英蘭両国の同意する 形態を以ってボルネオ連邦を作ること蘭領東印度は加奈陀と同様あるいはそれ以上の強度の 和蘭東印度自治領とすること とあり当初アジア解放に関しての議題はされていたようですこれは自分は初めて知りました いろいろ勉強をさせていただきましたありがとうございます
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