【ポチひとしは】Fuhua 2つ目【スレ出禁】 (233レス)
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31(1): 2023/12/12(火)09:25 AAS
博士になり、教授になり、空むなしき名を空しく世間に謳うたわるるがため、その反響が妻君の胸に轟とどろいて、急に夫おっとの待遇を変えるならばこの細君は夫の知己ちきとは云えぬ。世の中が夫を遇する朝夕ちょうせきの模様で、夫の価値を朝夕に変える細君は、夫を評価する上において、世間並せけんなみの一人である。嫁とつがぬ前、名を知らぬ前、の己おのれと異なるところがない。従って夫から見ればあかの他人である。夫を知る点において嫁ぐ前と嫁ぐ後のちとに変りがなければ、少なくともこの点において細君らしいところがないのである。世界はこの細君らしからぬ細君をもって充満している。
32: 2023/12/12(火)09:25 AAS
道也は自分の妻さいをやはりこの同類と心得ているだろうか。至る所に容いれられぬ上に、至る所に起居を共にする細君さえ自分を解してくれないのだと悟ったら、定めて心細いだろう。
世の中はかかる細君をもって充満していると云った。かかる細君をもって充満しておりながら、皆円満にくらしている。順境にある者が細君の心事をここまでに解剖する必要がない。皮膚病に罹かかればこそ皮膚の研究が必要になる。病気も無いのに汚ないものを顕微鏡けんびきょうで眺ながめるのは、事なきに苦しんで肥柄杓こえびしゃくを振り廻すと一般である。ただこの順境が一転して逆落さかおとしに運命の淵ふちへころがり込む時、いかな夫婦の間にも気まずい事が起る。親子の覊絆きずなもぽつりと切れる。美くしいのは血の上を薄く蔽おおう皮の事であったと気がつく。道也はどこまで気がついたか知らぬ。
33(1): 2023/12/12(火)09:26 AAS
道也の三たび去ったのは、好んで自から窮地に陥おちいるためではない。罪もない妻に苦労を掛けるためではなおさらない。世間が己おのれを容れぬから仕方がないのである。世が容れぬならなぜこちらから世に容れられようとはせぬ? 世に容れられようとする刹那せつなに道也は奇麗きれいに消滅してしまうからである。道也は人格において流俗りゅうぞくより高いと自信している。流俗より高ければ高いほど、低いものの手を引いて、高い方へ導いてやるのが責任である。高いと知りながらも低きにつくのは、自から多年の教育を受けながら、この教育の結果がもたらした財宝を床下ゆかしたに埋うずむるようなものである。自分の人格を他に及ぼさぬ以上は、せっかくに築き上げた人格は、築きあげぬ昔と同じく無功力で、築き上げた労力だけを徒費した訳になる。英語を教え、歴史を教え、ある時は倫理さえ教えたのは、人格の修養に附随して蓄たくわえられた、芸を教えたのである。
34(1): 2023/12/12(火)09:27 AAS
単にこの芸を目的にして学問をしたならば、教場で書物を開いてさえいれば済む。書物を開いて飯を食って満足しているのは綱渡りが綱を渡って飯を食い、皿廻しが皿を廻わして飯を食うのと理論において異なるところはない。学問は綱渡りや皿廻しとは違う。芸を覚えるのは末の事である。人間が出来上るのが目的である。大小の区別のつく、軽重けいちょうの等差を知る、好悪こうおの判然する、善悪の分界を呑のみ込んだ、賢愚、真偽、正邪の批判を謬あやまらざる大丈夫が出来上がるのが目的である。
道也はこう考えている。だから芸を售うって口を糊こするのを恥辱とせぬと同時に、学問の根底たる立脚地を離るるのを深く陋劣ろうれつと心得た。彼が至る所に容れられぬのは、学問の本体に根拠地を構えての上の去就きょしゅうであるから、彼自身は内に顧かえりみて疚やましいところもなければ、意気地がないとも思いつかぬ。頑愚がんぐなどと云う嘲罵ちょうばは、掌てのひらへ載のせて、夏の日の南軒なんけんに、虫眼鏡むしめがねで検査しても了解が出来ん。
35: 2023/12/12(火)09:28 AAS
三度みたび教師となって三度追い出された彼は、追い出されるたびに博士よりも偉大な手柄てがらを立てたつもりでいる。博士はえらかろう、しかしたかが芸で取る称号である。富豪が製艦費を献納して従五位じゅごいをちょうだいするのと大した変りはない。道也が追い出されたのは道也の人物が高いからである。正しき人は神の造れるすべてのうちにて最も尊きものなりとは西の国の詩人の言葉だ。道を守るものは神よりも貴たっとしとは道也が追わるるごとに心のうちで繰り返す文句である。ただし妻君はかつてこの文句を道也の口から聞いた事がない。聞いても分かるまい。
36: 2023/12/12(火)09:28 AAS
わからねばこそ餓うえ死じにもせぬ先から、夫に対して不平なのである。不平な妻さいを気の毒と思わぬほどの道也ではない。ただ妻の歓心を得るために吾わが行く道を曲げぬだけが普通の夫と違うのである。世は単に人と呼ぶ。娶めとれば夫である。交まじわれば友である。手を引けば兄、引かるれば弟である。社会に立てば先覚者にもなる。校舎に入れば教師に違いない。
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