ジークンドーのスレ [転載禁止]©2ch.net (324レス)
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28: 2015/02/21(土)17:39 ID:PXSeAXL3(14/14) AAS
『 中国に伝えられた初期の仏教経典には、小乗系にものもあり、大乗系のものもあったが
、けっきょく中国の知識人に受容されたのは大乗の経典であった。その大乗経典のうちで
も、「般若経」の系統のものが中心となった。般若とは知恵の意であり、一切皆空の理を
明らかにする知恵のことである。すべてを空と見ることにより、あらゆるものの実在を否
定し、その結果として特定の物への執着を消滅させ、一切を平等無差別に見る悟りの境地
に達する。
    もし般若皆空の思想をこのように理解してよいとすれば、それがいかに老荘の思
想に近接しているかに驚くほかはない。老子は空のかわりに無というが、その無はあらゆ
る有の根本にあるものである。荘子に至っては、老子よりもさらに般若の立場に近い。荘
子は無というよりは、無極、無限を根本とする。この無限者の立場に立てば、あらゆる物
はその対立と差別を失い、平等無差別となって無限者のうちに包容されてしまう。いわゆ
る万物斉同の境地がこれである。この荘子の無の思想ー実は無限の思想は、般若の空にた
いして最短距離にあるといえよう。
    このように仏教と老荘思想には大きな共通点があるので、老荘思想になじんだ中
国人が、これを通じて仏教を理解しようとしたのは当然であろう。ただ、このような老荘
を通じて理解した仏教には、どうしても老荘的色彩がつきまとうことになる。このように
老荘色をおびた仏教は、ふつうに格義仏教とよばれている。』
   「敵はいません。己も存在しません。」ということは、相手も自分も人間という物
だと考えるとすべての物は、存在しない。私たちが有ると思っているものは、本当は、そ
のようには存在せず、現実には存在しないというかたちで存在している。自分が勝手に見
たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、考えたりしてイメージした虚像を本
来の物の姿だととらえている。自分の執着心を通した拘りのニセの像を本物だと誤って捉
えてしまっているということでしょうか?
   時間は、流れ続けて昨日の自分と今日の自分は違い、まして1年前の自分と今の自分
は、細胞は全部入れ替わった自分です。石も鉄も何百年も経てば消えて無くなり、永遠だ
と捉えていた姿がそうではなかった。1秒、1秒老化して死に向かっている私たちの体の存
在は、変化しそのスピードが止まる事はありません。
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