[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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675: 2014/09/24(水)07:32 ID:rmnUrAXj(2/3) AAS
>>674
迅速なレス恐縮です。短い文章で書くとどうしても意を尽くせないところがありますから私も注意します。
676
(1): 2014/09/24(水)07:59 ID:rmnUrAXj(3/3) AAS
>>666>>667
同意です。素直に読むと、疑問が次々と出てきます。教義的説明はされていますが、到底納得いきません。
そこからまた別の興味が生じてきます。いったい誰がどういう事情でどういう目的でこれを作成したのか、と。
そういう観点でいろいろ考えてみると、まったく異相の物語が現前してきて面白いと思います。
また経文や文献だけでなく当時の美術や建築も参考になります。
673でふれたヤクシニー像などは大乗時代ではグラマラスでセクシーな半裸の女性像として描かれています。
ギリシア彫刻の理想的な肉体美とちがって明らかにセックスシンボル化しています。
先に話題なった如意宝珠の梵名はチンター・マニと言いましたが、これを名乗る王族御用達の遊女もいたようです。
法華経の時代はこのような時代でもあったのです。
677
(1): スチールカン 2014/09/24(水)19:53 ID:SkJmZqFU(1/2) AAS
AA省
678
(1): スチールカン 2014/09/24(水)20:35 ID:SkJmZqFU(2/2) AAS
>>676さん
八歳龍女がまず仏三十二相をすべて具えるには「陰蔵相」が必然なわけでしょうね。
もし、女人でも成仏できるとするならば、この陰蔵相という例えを除かなくてはなりませんね。
しかし、この提婆達多品ではしっかりと“三十二相”の具えた龍女が描かれていますね。
成仏する前に「成男」があっての三十二相なのであるか、はたまた元々から男であったかということが疑問でありますね。

まさかとは思いますが、二個の一つを分与えるたチンタマでもないでしょうしね。
“宝樹”に関しては、これも読み手によって替えるのも可能でしょうが、
中国漢文大蔵経での法華経でも“宝珠”となっておりますので、少数派が用いる「宝樹」なのでしょうと思われました。

>これを名乗る王族御用達の遊女もいたようです

あっ〜そうなんですか。
省2
679
(1): 2014/09/25(木)07:15 ID:hmLW5RAL(1/2) AAS
>>678
相変わらず諧謔が冴えわたっていますねw
ガンダーラは当時、シルクロードの東西貿易で沸き立ち、さながら古代インドのバブル時代だったということです。
商人は織物や香辛料を輸出し、金銀宝石が流入した。富裕になった彼らは仏塔を建立し、仏像や神像を作成させた。
信仰心だけでなく地位や名誉を示す面もあった。美術品は礼拝対象としてだけでなく財宝としても尊重されたに違いない。
つまり私が言うのは、スチールカンさんが666でいうような法華経の特色は、そういう時代性の反映ではないかと。
経文といえども時代の刻印を帯びるということでしょう。
680
(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/25(木)19:52 ID:jycxxRoz(1/2) AAS
>>677 スチールカン さん
>>270でも少し書きましたが、皆さん揃って地獄堕ちですから、そちらの方が良いかもですよ(笑

日蓮が言うには「(末法始めの500年中の)広宣流布が成らなければ釈迦多宝も堕地獄」ですし、
当然ながら地涌千界も地獄。歴史上の人物も皆地獄。現在の偉人達ももちろん地獄ですね。
で、御仏まします所は即寂光土だそうですから、いずれにしても心・配・御無用(某大河風)です(笑

そういえば、織田信長が表向きだか名義だけだか法華宗でしたね。
だからか知りませんが、本能寺の変の際、西山本門寺に首が飛んできたという伝承がありました。

切腹して焼けたのに首というのも変な話ですが、大石寺じゃなかったのですねえ。
681
(1): 2014/09/25(木)20:53 ID:wexmtMU5(1/2) AAS
>>680
>織田信長が表向きだか名義だけだか法華宗

これは違いますね。信長の家来に法華宗徒がいる、ということです。
信長は日本の「神」になりたかったわけですから。

なお、本能寺は法華宗の寺です。
682
(3): 2014/09/25(木)21:35 ID:hmLW5RAL(2/2) AAS
本スレは日蓮スレなので、あまり法華経の細部にこだわるのは気が引けるのですが、お詳しい方が多いので質問させてください。
このところ話題になった竜女の件ですが、一般的な法華経解釈として竜女が悟りを得たのは以下のどれとされているのでしょうか。

1.竜女は文殊が海底で法華経を説いていたときかどうかは別にして、この場で釈尊と会見する前に既に悟りを得ていた。
2.竜女は悟りを得る資質は元々備えていたが、この場で釈尊と会見したときに初めて悟りを得た。
3.竜女は釈尊と会見し宝珠を釈尊に供養した直後、シャーリプトラの疑惑に応えて「変成男子」したときに初めて悟りを得た。

成仏と言う言葉は多義的なので「悟りを得た」と書きました。
683
(1): スチールカン 2014/09/25(木)21:43 ID:lBUwULeV(1) AAS
>>679さん
法華経を『商人の主を得たるが如く』と藥王菩薩本事品でも述べられている例えからしても、いかに商業の発展した時代にそったような物語だと感じはしますね。

>>680山椒島さん
結局、誰しもが地獄に堕ちるという要素を持っているとのことのようですね。

蘭丸といえば鶴丸家紋だったようで、その信長の首を蘭丸の魂が運んでもきたのでしょうかw
冗談はさておき、切腹したという織田信長の遺体は無かったということになっていたと思いますが、
その切腹さえも確証のない話かと思ってはいましたね。
684
(1): 2014/09/25(木)22:45 ID:wexmtMU5(2/2) AAS
>>682
法華経・提婆達多品を見る限り、3でしょうね。宝珠と変成男子
という、二つの宝のゆえに悟りを得たのでしょう。

なお、法華経は、おっしゃっているように、細部を追及するより
あくまでも物語として考えた方が、心が休まりますし、心の翼が
広がると思います。例えば千夜一夜物語のように、フィクション
と考え、ノンフィクションと考えない方が良いでしょう。

また、日蓮が引用している経典は、ダントツで大乗涅槃経が多い
のです。次に、天台智の摩訶止観です。法華経からの引用は、
かなり少ないですね。
省3
685
(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/25(木)23:58 ID:jycxxRoz(2/2) AAS
>>681 さん
家臣の統制上であろうと、尾張の施政上であろうと、京商人との付き合いであろうと、叡山への
対抗材料であろうと、信長が「名義は」「公称は」「形だけは」法華宗徒であったことに変わりはなく、
フロイスの書簡など同時代の資料にも明記されているものがどう違うのか、私には分かりかねます。

>>682 さん
詳しくもなく一般的な解釈も知りませんが、智積の疑問に対する文殊の回答は「過去形」ですね。

>>683 スチールカン さん
そうでしたね。遺体は見つからず、切腹したという確証もありませんでした。
鶴丸紋については数スレ前で少し検討しましたが、南部系や近江の源氏に多く見受けられました。
井桁紋もそうですが、こちらも日蓮由来とするに足るような確証は無かったように記憶しています。
省1
686
(2): 2014/09/26(金)07:24 ID:iyLsoj9A(1) AAS
>>684>>685
684さん、山椒島さん、ご意見ありがとうございます。参考になりました。それぞれ納得できるだけに、やはり解釈が分かれるのですね。
じつは682で挙げた3つの他にも、変成男子した後、南の宝樹の根本に座して「成等正覚」した時とも解釈できます。
なぜこんなことをお聞きしたかというと、梵本にある竜女の謎めいた一言、「私に超能力があったら、(釈尊が宝珠を受け取られた間)より速やかに、
悟りを得るでしょうし、誰も宝珠を受け取る者はいないでしょう。」に引っかかったからです。
もし竜女が「誰も宝珠を受け取る者はいないでしょう」と追って言わなければ意味は単純明快になります。
実際、羅什はこの部分を割愛し、「汝の神力をもってわが成仏を見よ」(684さんの解釈通り)とし、同時に、超能力の主体を竜女から舎利弗に転化させています。
つまり「私に超能力があったら」が「あなたの超能力で」になってしまっている。元のままでは成仏が超能力任せになりかねないと懸念したのでしょうか。

しかし梵本に即して竜女の「私に超能力があったら」を、「反語表現」として解釈すれば、この一言の意味は、
「(あいにく)私に超能力の持ち合わせはないため、悟りを得るためにそれなりのプロセスを経た。そしてそれは釈尊に宝珠を供養した刹那に完成した。」という意味、
省3
687
(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/26(金)19:09 ID:leF5yVMw(1) AAS
>>686 さん
提婆品の竜女のくだりは、女人成仏よりもむしろ「聞成菩提」、つまり「法華経の一句一偈を聞いて
即座に菩提に至る」という趣旨こそが主題であり、描かれる問答もそれに基づいていると思うのです。
またこのことは、「速成就仏身」の偈から始まって、法華経全体に通じるテーマのひとつでもあります。

もしそこにブランクなりプロセスなりがあるのなら、前半の提婆達多の記述との対比が曖昧になりますし、
上記のテーマはもちろん、後で説かれる寿量品の伏線にもならず、繋がりも皆無になってしまいますね。

竜女は「聞成菩提 唯仏当証知」と言います。つまり既に成仏はしていますが、それを知るのは仏のみ。
神通力があれば自ら証明は出来る(=宝珠も用無し)が、それは無いので「汝らの神力を以って見よ」。
ですから、変成男子以降の記述は、舎利弗らが神通力で見通した架空?の光景ということになります。
実際の竜女は変身もせず、南方世界に飛びもせず、そのままにそこに在る、ということではないでしょうか。
省2
688
(1): スチールカン 2014/09/26(金)22:41 ID:HQbNmDWR(1) AAS
>>685 >>687山椒島さん
>鶴丸紋入りの籠

初めて聞きました。
日蓮が乗る籠でありましょうか?
まさかとは思いますが、山菜とかを収穫したときに利用する物じゃないですよねw

>前半の提婆達多の記述

私も、この提婆達多と仙人の話のくだりから龍女成仏とやらを考えてみたほうが、少しはこの章の趣旨が見えてくるのではと思いますね。
ただ、寿量品での久遠実成の説と、提婆達多品でのリアルに現世での「国王を捨て法華経という教えを求めた釈迦」の姿とでは矛盾な話ではないかとも思っております。
“久遠国王でもあった”という説でも付け加えた内容があるのならば、少しは筋が通った物語にもなるのですが、どうでしょうかね。
あれっ、過去スレでも似たような話をしたような?
省6
689
(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/27(土)00:27 ID:Y+BY72UR(1/5) AAS
>>688 スチールカン さん
そのまさかで、駕籠のカゴではなく、(おそらく書類や経巻などを入れるための)ケースとしてのカゴです。
別スレでも書いたことがありますが、例の「祈雨の三法具」や「日興所持の数珠」などと同様の代物です。

提婆品についてですが、前半の記述は「本師となる仏・法があって、歴劫の修行を経て仏果に至る」という
法華経迹門までの概念のままに描かれます。上の方での、大通智勝仏や威音王仏らの話もそうでしたね。
一方で本門寿量品では「我実成仏已来無量無辺」とし、発菩提心も行菩薩道も、時間的な前後は無く
最初からとか何時からといった概念をも超越した「元から仏」的な、まさに本仏としての記述がなされています。

この辺のことを、日蓮は重書では開目抄であれこれと述べていますが、端的には本尊抄の「無始古仏」との
記述によく表れていると思います。過去世の聞法や菩薩行が先にあるなら、「無始」ではなくなりますものね。
聞法という因縁はあるものの、菩薩行なくもそれを具し、仏果を示した竜女の記述は、上の寿量品の記述に
省2
690
(2): 2014/09/27(土)07:40 ID:Ku223AL1(1/4) AAS
>>687
山椒島さん、まず第一段落には基本的に賛同します。約言すれば、法華経全編を通じて「この教えが真実」という命題以外に主張内容らしいものは全くありません。
第二段落については、山椒島さんのおっしゃる「提婆達多の記述との対比」や「寿量品の伏線」の意味が私にはよくわかりません。
法華経内の個別の教説や寓話の相互間に体系性や論理性を見出そうとするのはそもそも無理があると私には思えます。

第三段落については、多少異論があります。「聞成菩提 唯仏当証知」は梵本では「自分は誓願によって悟りを得た。如来が証人になってくださる。」という意味です。
それが宝珠の授受に象徴されていると思います。(これが異民族による蛇トーテム族の征服譚の暗喩であるとの私見はここでは置きます。)
つまり宝珠の授受の儀式がなければ単なる竜女の自己申告にすぎず、釈尊以外のわれわれ全員は竜女が悟っているのかどうかは判断できないことになります。
そしてそれは山椒島さんがおっしゃるように「変成男子以降の記述は、舎利弗らが神通力で見通した架空?の光景」ということになります。
「架空の光景」を見通すのを神通力とは言わないでしょうから、これでは要は舎利弗他全員が妄想したのか、それも竜女の超能力によるのか分明でなくなります。
そもそも「汝の神力をもって」の句は羅什の創作ですが、仮にそうでないとしても、知的な舎利弗は、大乗では保守的なピエロ役を振られることが多く、現にこの後
省3
691: 2014/09/27(土)07:46 ID:kAq/Xbc7(1) AAS
表面で繕っていても変わらない。 
692
(1): 2014/09/27(土)08:34 ID:eRhN2AIy(1/2) AAS
織田信長は、熱田神宮の神官ですよ。

清州城を出て、熱田神宮の神殿前で二千の軍勢を集結させると、
必勝祈願の願文と、供え物をささげて、それから
桶狭間の今川義元三万の軍勢に向かうのだ。

安土問答では遠慮なく日蓮宗坊主の首を切り落としてるとこみると
かなり嫌ってる感じは伝わってくるから、
法華宗というのは、日蓮教が勝手に作ったホラ話という印象。

>>685
井桁 = 池田

なぜか駄洒落になってんだよね。
省2
693
(1): 2014/09/27(土)08:48 ID:eRhN2AIy(2/2) AAS
>>689我実成仏已来無量無辺

あらためて切り出して見せられると、場所も時間もないのは
仏教だからとーぜんとして、でも「我」ってなんだよ?
と思うわ。

三法印の、諸法無我はどーなってんだ?

法華経の仏には「我」という概念が残ってるんだろうね、たぶん。
こんなものが仏教でお釈迦さまの真意なの?
アホちゃいますか、という感想だけど・・。

無量無辺 = 久遠若斯
省5
694
(2): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/27(土)09:22 ID:Y+BY72UR(2/5) AAS
>>690 さん
そもそも無理、まさに仰る通りだろうと私も思います。>>581上段の通りです。
その無理は承知で、経典上の表記は極力そのままに色々と考えてみよう、という試みのひとつです。

ただ、梵本と漢訳本とでは、御存知のように内容にかなりの乖離がありますから、ある意味それ以上に
無理があるのではと思います。また当初お尋ねの一般的解釈も、多くは羅什本に拠ったものでしょうしね。

おそらく法華経信仰圏では、実際に竜女が変身し、別世界に赴いて以降を舎利弗らが神通力で観る、
といった見解が多いのではと思います。ただし、その時点で既に菩提に至っているとの理解は変わりません。
でないと、既述の通り、文殊の答えや(仏の証知まで介在させた)竜女の讃偈と矛盾してしまうからです。

このような解釈の詳細な理屈は分かりかねますが、おそらくその根底には、「未だ仏に成り得ない修行中の
菩薩」(宝珠献上を以って成仏とする解釈はこちらに拠るのでしょうね)とは別に、「既に仏に成った、あるいは
省2
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