[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
上下前次1-新
このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
516: 2014/09/12(金)08:28 ID:k1GjwfOk(4/9) AAS
>>514
>末法の衆生の定義がそうですからね。
つまり末法以前は宝塔が出現しまくっていたってことでw
>基準になるもの(仏や依経)が違えば異なる思想でしょう。
つまり道具立てさえ違えば仕組みが同じでもパクリではないってことでw
517: 2014/09/12(金)08:28 ID:eY+J7c2Z(1/2) AAS
地底人は信じて、仏は信じないのか
とんだ茶番だ。
韮澤さんもビックリ(○_○)!!
518: 2014/09/12(金)08:32 ID:k1GjwfOk(5/9) AAS
>>515
>阿弥陀仏は基本的に自分の極楽世界に居て、虚空会のようなイベントがあれば、そこに行くのでしょう。
つまり日蓮教的には阿弥陀仏は出張コンパニオン扱いで、日蓮と信者は死んでからお相伴にあずかるってことでw
519(1): 大乗非仏説 2014/09/12(金)08:45 ID:gqpneFJY(1) AAS
>>515
横レスです。
>仏であればどこにでも行けると設定されていても、仏国土が1人の仏が教化できる範囲のことを指すという設定も
>ありますから、娑婆世界に来て阿弥陀仏が衆生を救うのかとと言えば、それはしないのでしょう。
平安時代には阿弥陀仏の来迎図が盛んにつくられていますね。臨終の際には
阿弥陀仏の手からのばした七色の糸を握って、阿弥陀浄土へ生まれることを
願ったといいます。
「娑婆世界に来て阿弥陀仏が衆生を救うのかとと言えば、それはしないのでしょう。」
とは一概にはいえないと思うのですが…
520(2): 2014/09/12(金)08:46 ID:v9/UOukK(1) AAS
>>492
>最初の娑婆世界を仏国土に変ずるという立場から
>霊山浄土に往生して釈尊に見える、という立場に
>なってる
日蓮聖人は最晩年にも立正安国論を弟子らに講義している。
念仏=他力本願、厭世思想こそは堕地獄の因と斬る書であれば、
それに傾倒したと見るのはいかに?
出世の本懐たる人法一箇のご本尊を顕した日蓮聖人には、当然、娑婆への未練は少なかったろう。
しかしそれを以て厭世的であり、だから念仏的などとは、笑止千万だな。
そこまでして日蓮排撃に暗い情熱を燃やす姿こそ、頭破作七分、悪鬼入其身たるゆえんではないか。
省11
521: 2014/09/12(金)09:25 ID:JE4F4c3N(1/3) AAS
>>512
>浄土思想は阿弥陀信仰ですから、仏の名や浄土が異なれば浄土思想そのものとはいいませんよ
阿しゅく仏信仰・薬師仏信仰も知らんアホには何を言うてもムダだのうwww
522(2): スチールカン 2014/09/12(金)09:29 ID:4aXoB08L(3/6) AAS
>>507さん
なるほど。ありがとうございました。
日蓮の行く処の霊山浄土には釈迦仏がいられるという設定だと思いますが、
そこに日蓮は何をしに行くつもりなのでしょうか?
はんとうに、素朴な疑問なのですが、どのように思いですか。
「日が昇れば月の灯りは不要」みたいな事を言ってようなので、ケンカになるのではと思いますが。
523(1): 2014/09/12(金)09:46 ID:6lEGmI81(1/3) AAS
>>499
>短文の>>448も>>492と同様に日蓮が言う「霊山浄土」と念仏の
「極楽浄土」を混同して、浄土思想に傾いたと言っているだけで
しょう。
「霊山浄土」という言葉が、法華経にあるか調べましたが、ありま
せんでした。どうも日蓮系教団にのみ伝わっている言葉のようなの
で、日蓮の創作だと思われます。念仏を唱える浄土宗の「浄土」と
いう言葉は日蓮も使いたくなかったと思いますが、他に適する言葉
もなく、「極楽浄土」を真似して「霊山浄土」にするしかなかった
のではないでしょうか?。
省11
524(1): スチールカン 2014/09/12(金)09:48 ID:4aXoB08L(4/6) AAS
>>504山椒島さん
>中国は中国の都合で日本よりも500年早く末法入り
そうだったんですか。ありがとうございます。
いまや創価の、いやSGIっていいますか、アメリカへの布教方法としては、まずは仏教を最初に教えていかねばならないことを言ってたような気がしましたね。
なんですかその〜、末法とか像法とか正法とかっていうものは、都合によっていくらでも変えられるようにも思います。
525(3): 2014/09/12(金)09:49 ID:6lEGmI81(2/3) AAS
>>520
>日蓮聖人は最晩年にも立正安国論を弟子らに講義している。
これは、念仏排撃というよりも、日蓮の弟子たちに、未完成の
広宣流布を託した、とみるべきでしょう。そのころは、日本の
あらゆる宗派を敵とみなしていたからです。
その証拠に、遺言として、年少の弟子・平賀経一丸(日像)に
京都布教を託しています。その後、室町幕府ができると、日像
を中心として、関東の弟子も入れ代わり立ち代わり、京都布教
に赴き、時を経て、京都広宣流布が達成されたというまでにな
ります。
省3
526(1): 2014/09/12(金)10:01 ID:JE4F4c3N(2/3) AAS
>>523
>「霊山浄土」という言葉が、法華経にあるか調べましたが、ありま
>せんでした。どうも日蓮系教団にのみ伝わっている言葉のようなの
>で、日蓮の創作だと思われます。念仏を唱える浄土宗の「浄土」と
>いう言葉は日蓮も使いたくなかったと思いますが、他に適する言葉
>もなく、「極楽浄土」を真似して「霊山浄土」にするしかなかった
>のではないでしょうか?
あのな、「浄土」の原語は「vyUha 佛国土・浄土」だ。
ある如来の教化が及ぶ範囲である佛国土という意味しかなく、
他の大乗経典でも娑婆世界が釈迦如来の佛国土だとされている
省17
527: 2014/09/12(金)10:04 ID:JE4F4c3N(3/3) AAS
因みに「虚空会」の「虚空」は大地の中の中空のことなんで
日蓮が祈り暮らした霊山浄土への往生&見佛は地面の下のことなのだよw
528: 2014/09/12(金)12:25 ID:6lEGmI81(3/3) AAS
霊鷲山とは、インドのベンガル州にある山で、実在の釈迦が、ここで説法を
しています。この霊鷲山になぜ、鳥類のワシが集まるかというと、その南の
シダ林が死体置き場だったためです。死肉を求めてワシが集まり、そのため
高い所が好きなワシが、近くの霊鷲山にも集まったのです。
529: 2014/09/12(金)15:10 ID:9cXVtx5U(6/9) AAS
>>519
>平安時代には阿弥陀仏の来迎図が盛んにつくられていますね。臨終の際には
>阿弥陀仏の手からのばした七色の糸を握って、阿弥陀浄土へ生まれることを
>願ったといいます。
阿弥陀仏の来迎、阿弥陀浄土へ生まれることのどちらも浄土教の臨終時の「願い」ではないでしょうかね。
極楽世界の阿弥陀仏が娑婆世界の衆生を教化しないために、臨終後に阿弥陀仏に迎えに来てもらって、
阿弥陀浄土へ生まれると言う発想なら、やはり、阿弥陀仏は娑婆世界では何もしないと言う認識が
当時でも一般的なのではないでしょうかね。
530(2): 2014/09/12(金)15:18 ID:9cXVtx5U(7/9) AAS
>>522
>そこに日蓮は何をしに行くつもりなのでしょうか?
それは日蓮の書の日蓮が「霊山浄土に行く」とした部分に書いてあるのではないでしょうかね。
>>446の「本尊抄送状」では、仏にあいさつに行くつもりと言うことでしょう。
531: 2014/09/12(金)15:28 ID:+YXo4M4n(1) AAS
>>525
日蓮聖人の思想として、「仏法と申すは勝負を先とし」とのリアリズムの気鋭があり、
厭世観念、他力本願の念仏思想とは水と油なんだよ。
それを知ってか知らずか、晩年には念仏に傾倒していたと言う連中は何なのか?
念仏思想などを信じている人など今の日本には一人もいないだろう。
ここの連中だって、そんなものは歯牙にもかけていないかのように、触れようとさえしない。
だが、そういうものを国民の大半が、本心から信じていたのだから、どんな時代だったか想像してみたまえよ。
日本人のパーソナリティーが脆弱なのは、封建制度による思想的抑圧と、飢餓と天災による肉体的抑圧の結果であるとは、
誰もが感じていることだろう。
尊皇攘夷を掲げて血で血を洗った幕末の志士がもてはやされ、
省1
532(1): 2014/09/12(金)15:37 ID:9cXVtx5U(8/9) AAS
>>526
>浄土往生といえばモノ知らずには阿弥陀佛しか想起できなくなったというだけのこと。
浄土往生思想が仏教で一般的だと言う立場から言えば、日蓮が「霊山浄土」と言うのを「日蓮が念仏に傾倒した」と言う
根拠にはならなくなるでしょう。
「日蓮が念仏に傾倒した」と言うのも「モノ知らずには阿弥陀佛しか想起できていない」と言うことになるのでしょうから。
日蓮が単純に「死ねば仏に会えて仏に成れる」としていたら、阿弥陀信仰に限らない浄土往生思想と言えるでしょうが、
日蓮の解釈ではこの娑婆世界がもともと仏国土ですから、仏が見える見えないは衆生の心の問題としているのでしょう。
「十字御書」(60歳)の記述では「我等凡夫はまつげのちかきと虚空のとをきとは見候事なし」とあり、
凡夫の目では仏(の世界)も見えないと言うことでしょうから、「仏の目」、要は仏に成る、仏果を得ていなければ、
死んでも仏も仏の世界も見えたりはしないのでしょう。
省1
533(1): 2014/09/12(金)17:26 ID:RgQ4UeeS(1) AAS
密教だと密厳浄土って言うね
霊山浄土を言い出したのは誰か知らんけど
法華経を信仰していた者が、死後に往く世界として
日蓮は思い描いていたし、信徒にも言い聞かせていたのでしょう
若い頃の日蓮は、即身成仏という硬い教義を説いていたのだが、
晩年になると、霊山浄土に往く思想、
つまり往生思想が頻繁に登場して来るわけです
日蓮の往生思想は、浄土教の往生思想とは、本質的に異なる部分もあるが、
死後の世界に安らぎを見出すという点で、
浄土教に接近して行ったという事は、言えると思います
省2
534(1): 2014/09/12(金)18:17 ID:9cXVtx5U(9/9) AAS
>>533
>晩年になると、霊山浄土に往く思想、
>つまり往生思想が頻繁に登場して来るわけです
日蓮の年齢とともに、信者の年齢も上がり、死んだ信者も多く出てきたため、頻度が高くなったのでははないでしょうかね。
死んだ信者に即身成仏云々というより、仏に成った後に行く場所として霊山浄土を提示しているのでしょう。
>法華経の信者が亡くなったら、迎えに来て云々という日蓮の文は、
>創価の葬式でも、読まれる事があるのではないかと思います
葬式で読まれるなら、亡くなった信者に対してのことでしょうね。
仏教全般の往生思想を調べる限り、浄土に往生する目的が仏に成ること。とあり、
即身成仏を説く日蓮の場合は、仏に成った後に行く場所が霊山浄土だと言う点に違いがあるのではないでしょうか?
535: 2014/09/12(金)19:23 ID:88Smr20h(1) AAS
>>525
日蓮聖人の思想として、「仏法と申すは勝負を先とし」とのリアリズムの気鋭があり、
厭世観念、他力本願の念仏思想とは水と油なんだよ。
それを知ってか知らずか、晩年には念仏に傾倒していたと言う連中は何なのか?
念仏思想などを信じている人など今の日本には一人もいないだろう。
ここの連中だって、そんなものは歯牙にもかけていないかのように、触れようとさえしない。
だが、そういうものを国民の大半が、本心から信じていたのだから、どんな時代だったか想像してみたまえよ。
日本人のパーソナリティーが脆弱なのは、封建制度による思想的抑圧と、飢餓と天災による肉体的抑圧の結果であるとは、
誰もが感じていることだろう。
尊皇攘夷を掲げて血で血を洗った幕末の志士がもてはやされ、
省1
上下前次1-新書関写板覧索設栞歴
あと 185 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル
ぬこの手 ぬこTOP 0.029s