[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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645(1): 2014/09/20(土)09:00 ID:8a84xkrK(3/3) AAS
鉄刀木で思い出したのはここ、
日蓮さまの庵に刀があったことの弁明らしく、
(行敏訴状御会通)
法華経守護の為の弓箭兵杖は仏法の定れる法なり
例せば国王守護の為に刀杖を集むるが如し、
兵仗 = 刀杖、
刀杖は刀って言いたいらしいけど、兵仗は棒術のこと。
鉄刀木は紫檀黒檀より上の、仏壇仏具用の高級材だから、
日蓮さまと日蓮教団が知らないはずはない。
省3
646(1): 2014/09/20(土)11:59 ID:M1aTh9uM(1/2) AAS
>>641
>法体の永遠性を説くために、歴史的存在の釈尊を常住不滅としてしまった。
>これが華厳や密教では大日如来が普遍的な法身の具現化として認識され、
“常住不滅”に対する私のイメージが、寿量品のそれとは明確に異なるとのご指摘ですが、
では、あなたの言う“法体の永遠性”、
及び、それが大日如来によって普遍的に具現化されるというのは、どういうイメージでしょう?
生身の釈尊が常住不滅であると考えることなどできませんから、
寿量品における釈尊も法体の具現化としての仏と解するべきでしょう。
そのような論理的な解釈を許さない記述が寿量品にあるということでしょうか?
もしあったとして、しかしまた道理は文証に優れるものであれば、
省1
647(1): 2014/09/20(土)12:26 ID:M1aTh9uM(2/2) AAS
>>642
>出典は何なのでしょうか?
手持ちの資料によれば、成住壊空の四劫については、
「長阿含経」、「大智度論」、「倶舎論」などに記述があるようです。
しかし、自然の現象として、“常住 ”と“無常”の理は万人が観ずるところではないでしょうか。
このような主体的思考を軽視して、客観的な文献を客観的な言葉のみで説明しようとするのは、
それこそ、あなたたちの最も嫌う原理主義、カルト思考ではないかとも思います。
648: 2014/09/20(土)12:50 ID:G8wKOvrs(3/5) AAS
>>643-645
思うに梵本には「然我実成仏已来。久遠若斯。」に相当する原文はないと思います。
岩波文庫の現代語訳のほか、梵本原典からの英訳や仏訳にも見当たりません。
あなたのカキコはなかなか示唆に富んでおり、参考にさせていただいています。
649(1): 2014/09/20(土)13:09 ID:G8wKOvrs(4/5) AAS
>>646
>生身の釈尊が常住不滅であると考えることなどできませんから、寿量品における釈尊も法体の具現化としての仏と解するべきでしょう。
その通りです。だから生身の釈尊を常住不滅とするプロットが未成熟だというのです。
釈尊と言うのは釈迦族から出家したシャーキャムニという歴史的実在です。それが常住不滅だと法華経では釈尊自らが宣言しています。
生身の釈尊が常住不滅のはずがないと認めながら、その不可能を宣言する法華経は正しいとするあなたの解釈は論理的解釈ではありません。
650: 2014/09/20(土)13:19 ID:G8wKOvrs(5/5) AAS
>>647
>「長阿含経」、「大智度論」、「倶舎論」などに記述があるようです。
あなた同様、それらを読んでいないので、私にも成住壊空についてはよくわかりません。
>自然の現象として、“常住 ”と“無常”の理は万人が観ずるところではないでしょうか。
私は無常を認め、空を認めますが、「常住」のほうは日常的感覚の話ならまだしも、原理としてはよくわかりません。
>このような主体的思考を軽視して、客観的な文献を客観的な言葉のみで説明しようとするのは、
>それこそ、あなたたちの最も嫌う原理主義、カルト思考ではないかとも思います。
省1
651(1): 2014/09/20(土)14:38 ID:jAH8KMt3(1) AAS
>>649
>釈尊と言うのは釈迦族から出家したシャーキャムニという歴史的実在です。
>それが常住不滅だと法華経では釈尊自らが宣言しています。
そうではなく、
少なくとも寿量品における釈尊は、総じてシャーキャムニではなく法身としての仏と見るべきではないかと。
それを、生身についての未熟なプロットと断定して憚らない態度に違和感を覚えたまでです。
仮に、文法上はそう解釈する他はないとしても、それ自体がある種のレトリックだと読むことも可能でしょう。
いずれにせよ、そんな簡単な話ではないと思いますが。
>私は無常を認め、空を認めますが、「常住」のほうは日常的感覚の話ならまだしも、原理としてはよくわかりません。
あなたの言う“法体の永遠性”とは、すなわち“法体の常住”ではないのですか?
省8
652: 2014/09/20(土)22:43 ID:/+ZwHY+C(1) AAS
あーてすてす
653(1): スチールカン 2014/09/20(土)23:15 ID:vdIo2WFQ(1) AAS
>>644さん
ふむぅ〜、、、不軽品からでは刀杖の材質がなんであるかは流石に分かりかねますね。
法華経以前に釈迦自身の説いた教えに執着している、頑固で増上慢の比丘達の悪口罵詈を例えたのが刀杖瓦石じゃないかと思った次第で。
この不軽菩薩がこの時に法華経を知っていれば、当然に観世音菩薩普門品でいわれている『彼の執れる所の刀杖尋いで段段に壊れ』るはずなのですがねぇ。
654(1): 2014/09/21(日)08:01 ID:U3A3m9l8(1) AAS
>>651
いいですか。あなたが食いついてきた元の631で私は、寿量品が「法体の永遠性を説くために、歴史的存在の釈尊を常住不滅とてしまった」と言いました。
あなたと私はこの点で違いはないのです。しかし私はこのような解釈が法華経作者の原意に沿わない解釈であることを自覚しています。あなたにはそれがない。
なぜなら教主を釈尊とする法華経は、自らが常住不滅だと当の釈尊に語らせています。しかもこれこそ真実で他は方便であると断言しているのです。
あなたや私が、これを信じられないからと言って適当に解釈するのは勝手ですが、それは同時に、経典としての法華経を信仰していないということです。
天台大師や日蓮は、この「未顕真実」を根拠にして、法華経を最も勝れた経典であるとし、日蓮もそれを鵜呑みにして他宗の誹謗中傷に生涯を費やしたのです。
日蓮にいたっては、法華経の教主が釈尊という歴史的実在であることを踏まえて、真言の大日如来は架空の仏だと見当外れな誹謗をくわえています。
しかしこの思想は大乗後期に修正されていきます。私が未熟というのは未成熟、発育途上という意味です。631で「早産」と言っているのも同じ意味です。
なお毎度のことながら、あなたとの議論は不毛なので一方的に打ち切らせていただきます。
読み違いや的外れな反論でなく、何か新たな論点があれば改めてレスいたします。
655(1): 2014/09/21(日)08:32 ID:F5G8CvJn(1) AAS
>>653
それ観音経だから、観音様の名前を心に念じる、
称名念仏を唱えるんだよ。
これも唱えるのは、なんみょー題目ではありません、
というのがポイントでしょうね。
臨当被害。称観世音菩薩名者。彼所執刀杖。尋段段壊。
殺されそうになったとき、観音様のお名前を口にすれば、
相手の持っている殺人杖は、ポキポキと折れてしまいます。
感じとしては、不敬菩薩のしつこい勧誘に激怒する人が
いっぱいいて、その怒りを表現したものが刀杖瓦石でしょ?
省6
656(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/21(日)09:31 ID:cOivocl2(1/2) AAS
>>635 スチールカン さん
提婆達多品の「宝樹」、全く記憶に無かったので検索してみたところ、様々な文献やサイトで
「宝珠」と訳されていました。むかし私が読んだものも、同じように書き換えていたのでしょうね。
あるいは「宝樹」版とは別に「宝珠」とした版もあったのかもしれませんが、「無上の価値」という
意味は同じですから、この辺は樹でも珠でも、他の何かでも良いのかもしれません。
>>633は、複数ある記述のうちから、他宗教や世俗でもよく語られているものを挙げました。
ただ、帝釈是を持ちて〜のくだりがピンときませんが、単に私が疎いだけなのかもしれません。
舎利といえば、日蓮の遺骨は(少なくとも最有力なのは)身延なのでしょうね、やっぱり。
657(1): 2014/09/21(日)13:43 ID:Uhc5SIef(1) AAS
>いいですか。あなたが食いついてきた元の631で私は、寿量品が「法体の永遠性を説くために、
>歴史的存在の釈尊を常住不滅とてしまった」と言いました。
ならば、そう解釈する根拠となった該当箇所を示してくれませんか?
私には、法華経作者が未熟というより、あなたの読解力の方が未熟に思えます。
>あなたや私が、これを信じられないからと言って適当に解釈するのは勝手ですが、
>それは同時に、経典としての法華経を信仰していないということです。
勝手な解釈ではないと思いますが。
始成正覚に対する久遠実成を明かした寿量品の文脈において、
生身の釈尊の“常住不滅”に拘る理由はどこにもないからです。
あなたの分析が、言語学的に正確だとして、さて、文脈的な矛盾はどうしましょうか?
省10
658(2): スチールカン 2014/09/21(日)17:43 ID:VO7ZgMBa(1/2) AAS
>>655さん
不軽菩薩当時ならタダで読めた経も、今やなんでもお金が掛かる時代ですものね。
>>656山椒島さん
仰る通り、平楽寺版が【樹】になっていまして、春日版は【珠】でした。
69384字に違いがあっていいものなのでしょうかw
因みに私のは平楽寺版なのですが、改正前のものだったりして。
659: スチールカン 2014/09/21(日)17:52 ID:VO7ZgMBa(2/2) AAS
>歴史的存在の釈尊
『皆今の釈迦牟尼仏釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず』 寿量品
『世尊、如来太子たりし時釈の宮を出でて、」「是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。』 従地涌出品
この箇所を読むだけで、法華経作者がいかに歴史的存在の釈尊を語っているのかが分かるような気がします。
この説は主にジャータカからでしょうが、この説に疑いを持ってしまえばお手上げになってしまいますね。
寿量品での“常住不滅”は釈尊は生身として捉えなければこの法華経は余計に難解な物語になってしまうような気がするし、
後の読み手が勝ってに解釈できるようないい加減な宗派が今よりも多くなっていたでしょうと思いますね。
『如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。』 寿量品
さて、そうなればこの経典の法華経での釈迦は、一体なんなのか?・・・という疑問になるわけですが、ここでは正真正銘の釈迦にしておいて、
偈文の最後の、
省7
660(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/21(日)22:14 ID:cOivocl2(2/2) AAS
>>658 スチールカン さん
やはりそうでしたか。平楽寺版と春日版については、前に別スレでも少し書いたことがありましたが、
それぞれにも様々なバージョンがあるそうですね。現在メジャーなのは平楽寺「宝珠」版でしょうか。
日蓮が読んだのは春日版。日蓮宗はおそらく平楽寺版。日蓮正宗の自称「大石寺版」も中身は
丸々平楽寺版。創価学会独自で刊行したのは春日版。ただし、これまた日蓮使用のとは別物。
頑なに宗祖と同じ版を使わないのは、何か理由があるのでしょうかね。
661(1): スチールカン 2014/09/22(月)00:12 ID:UhClt/4D(1) AAS
>>660山椒島さん
大変に申し訳御座いません。
>>658にて “因みに私のは平楽寺版なのですが” と、いかにも自分の持っている平楽寺版法華経を確認したかのようなことを言ってしまったのですが、
実は山椒島さんに“現在メジャーなのは平楽寺「宝珠」版”と言われるまで実際には確認してませんでした。
(何か話が合わないなぁ〜)と思い、そこで確認してみたところ、はいそうです私の持っている平楽寺版も【宝珠】になっております。
横着にもネットでのサイト、日蓮宗現代宗教研究所だけでの文献資料の見解により、平楽寺版は全部【宝樹】になっているものだと思い込んでの書き込みお許しください。
本当に、手を抜いた事は後でシワ寄せがくるかと思い、急ぎ釈明をさせてもらいました。すみません。
多分ですけど、ここサイトでの誤字なのかもしれません。
662(1): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/22(月)22:27 ID:13oEzwHe(1) AAS
>>661 スチールカン さん
や、たまたま予想が当たっただけで、私も自ら読み比べたりしていませんので(笑
意味まで変わるような記述や解釈なら、原典を見ようかという気も起きるのですけれど。
宝珠はそのまま宝石のようなもの、宝樹はイメージとしては珊瑚あたりでしょうか。
どちらも、価値を推し量れない・値段を付けようもないほど尊いもの、ということで。
ただ、正確には、宝樹はやはり十方の諸仏の座にそびえ立つ樹木ということなのでしょうね。
日蓮もそれに沿って記述していますので、竜女が捧げた「宝樹」はまた別物では、ということで。
まぁ同じでも良いですが、8歳の娘?が大木を抱える構図は見栄えが良くないですね(笑
663(3): 2014/09/23(火)07:11 ID:AERRg5FQ(1/2) AAS
661の現宗研のアップしている最澄の法華秀句の引用する法華経の該当箇所には「宝樹」の字が見えますね。誤字でしょう。
ところで先日の如意宝珠の梵語には「如意」の意味はないと言いましたが、如意樹というのはカルパヴリクシャという成語があります。
もともと仏教以前からインドでは民衆レベルでは聖樹信仰があった。これがヤクシニーの信仰に変わり、夜叉(女)として仏教に編入されました。
ここまでは通説です。すると聖樹-如意樹(夜叉)信仰が仏教に編入され、やがて塔や宝珠の信仰に形態を変えていったと考えられます。
すると結局は山椒島さんがいうように樹でも珠でも本質的な意味に差はないといえそうですね。
664(1): 2014/09/23(火)07:55 ID:AERRg5FQ(2/2) AAS
663の続き
ところで余計なことを言えば、私はこの竜女の説話は法華経普及団(サカ族?)か、それ以前の侵入民族の首領による竜王部族の制服、およびそれに伴う竜女の処女喪失の物語を象意するものと解釈しています。
つまり竜女が釈尊に向かって差し出した珠とは処女性および被征服部族の財貨であって、釈尊に擬せられているのは侵入した異民族の首領だと思います。この釈尊の擬制は法華経では多く見られます。
女性器の消失と男性器の出現およびシャーリプトラと大勢がその事実を見て証言するという、どうかと思われるくだりはこの性的征服を隠蔽するために、故意に竜女が男性であると強調したものと解釈します。
もちろんこれはあくまで伝承文学としての見方による私見ですから、信仰としての教義解釈とはまったく別次元の問題です。初めに「余計なこと」と断った所以です。
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