[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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195: 2014/08/28(木)23:45:51.22 ID:RVVtPxiX(1) AAS
そんな所に引っ掛かると経に転ばされますよ
如来常住なら滅しないでしょ
メッシ無いなら末法も無い罠
無い罪を責めるよりオノレを省みるべし
ソウカの連中を見れば絵空事なことは判るよね
207(2): 2014/08/31(日)11:54:02.22 ID:87JovFEj(1) AAS
>>200
>>204
横レス失礼しますね。
法華経物語をよく読んでくれるお方ならば、方便品偈文の件を御覧くださいませ。
爾前の教えが方便であるかの趣旨の語りになっているにもかかわらず、ここではもう筆者の目線上に、仏像、仏画、仏塔
などとを示唆するものがあることの矛盾を感じられるのではないでしょうか?
ここでの語りは方便品であり、釈迦が滅後を予言された話ではないのですね。
私見ながら、ガンダーラ仏教の美術が盛んに行われた期間、またはその以降にこの物語が作られた可能性は大にあると思われますね。
もし文上から私の見解が間違いがあるようでしたらご指摘くださいませ。
釈迦が爾前で教えていた頃すでに信者達の中で愚像崇拝をしてたという話があれば面白いのですが。
省1
329(2): 2014/09/06(土)15:27:22.22 ID:cb6y4l16(4/7) AAS
>>320-321
あなたが別の話をしたので回答を後回しにしました。
>これが真実なら、末法と言う観念は当然、破綻します。
あなたが言う教主釈尊の常住不滅は、「仏」の常住不滅ですから、仏がその時折に説いた「法」の常住不滅では無いでしょう。
このため、末法と言う観念が破綻する根拠にはなりませんね。
>羅什訳法華経の題名を音読みで唱えることが導かれるのでしょうか。
あなたの言っているのは日蓮が示した修行法のことですから、論点がずれていますね。
もっとも、あなたが『仏が示した修行法も「法」である』と言う立場であるならば、「日蓮が示した修行法」は、
「日蓮と言う仏が説いた法」と成り得るでしょうから、あなたがその立場で言っているのあれば、少し考えたい気はしますね。
>羅什を仏宝、題目を法宝、日蓮を僧宝とすべきではないでしょうか
省3
331(3): 山椒島 ◆AUtVVr2znk 2014/09/06(土)18:44:43.22 ID:3XJs2WQe(6/8) AAS
>>328 さん
違います。
天台「並に脱し並に熟し並に種し 番々息まず」 妙楽「時々世々念々皆種等の三相有る故なり」
本尊抄「在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し」
この通り、在世は脱だけではありませんし、成道のために生死を繰り返しが必須なわけでもありません。
末法で下種を受けても信じなかったり、一旦は信じても後に捨ててしまえば今世の成道はかないません。
繰り返しますが、在世と末法の違いは順縁・逆縁の徒のどちらが多いかであって、勝劣論ではありません。
そもそも法が同じなら既に種熟脱の三益と具備しているのですから、勝劣を論じること自体が無意味です。
そして、「いや、文底の深義はそうではない」とし、日蓮>釈尊の最終勝劣を論じるのが種脱相対です。
あなたの論は賛否いずれの人達とも認識が異なります。続けるのでしたら相応の根拠を挙げて下さい。
459: 2014/09/10(水)16:48:38.22 ID:zqrpGmHd(3/5) AAS
>>456
>「鳥が二羽、とんでいる。但し右は鳩。左はカラス」
いいえ、文章としては「在世の本門と末法の始」とあり、異なる鳥であることが認識されている上で鳥として同一であると
「一同に純円」という文章になっていますから、例えとして「鳥が二羽、とんでいる」と言うのでは無いでしょう
乗り物の話も同様ですね。自転車とバイクは既に別に認識されており、同一点を示したうえで、再度、異なる点を述べるため
「但し」以降の文章があります。
>カラスやバイクのほうがいい!・・・とかって説明してるわけではないのですよね。
「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」が無ければ、そうと言うことも出来るでしょうね。
本尊抄の後続の文章にも「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして
悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」
省2
657(1): 2014/09/21(日)13:43:35.22 ID:Uhc5SIef(1) AAS
>いいですか。あなたが食いついてきた元の631で私は、寿量品が「法体の永遠性を説くために、
>歴史的存在の釈尊を常住不滅とてしまった」と言いました。
ならば、そう解釈する根拠となった該当箇所を示してくれませんか?
私には、法華経作者が未熟というより、あなたの読解力の方が未熟に思えます。
>あなたや私が、これを信じられないからと言って適当に解釈するのは勝手ですが、
>それは同時に、経典としての法華経を信仰していないということです。
勝手な解釈ではないと思いますが。
始成正覚に対する久遠実成を明かした寿量品の文脈において、
生身の釈尊の“常住不滅”に拘る理由はどこにもないからです。
あなたの分析が、言語学的に正確だとして、さて、文脈的な矛盾はどうしましょうか?
省10
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