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日蓮って ver.29 (720レス)
日蓮って ver.29 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/
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205: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/08/31(日) 10:22:15.95 ID:rFpqeK7D >>204 >法華経がガンダーラで制作されたという説は知りませんでしたが、興味 深く思います。できればソースをご教示お願いできますか。 ソースは本です。図書館で読んだ「ブッダ―大いなる旅路〈3〉救いの思想 ・大乗仏教 (NHKスペシャル) 」です。 この本は、3年ほど前、NHKスペシャルで「仏像の誕生」という放送があり、 それをもとにしていると思います。私が読んだのは2年ほど前ですが、図書 館にあると思います。 インド北部から侵入した民族が、どんな民族か知りませんでしたが、サカ族 (=スキタイ族)でしたか?。 ガンダーラはシルクロードの要衝でしたから、いろんな民族の宗教が混じり 合っている可能性が高いと思います。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/205
332: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/09/06(土) 19:32:05.95 ID:F1HC6NxZ >>331山椒島さん ちょっと今の議論からはずれてしまいますが、>>156で発言した者でして、横レス失礼いたします。 その“逆縁”なる末法時に折伏の実践法を機時国抄にて「毒鼓の縁」を用いて行うような趣旨で延べらいると私なりに 解釈をしてしまいましたが、これは私の見当違いでありましたでしょうか? 、、と言うのは、いくら日蓮でもこのような真似をするとは酷すぎると思いましたので。 その該当箇所が、 「謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし 毒鼓の縁と成さんが為なり 例せば不軽菩薩の如し」 もし宜しければご教授くださいませ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/332
397: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/09/08(月) 11:51:21.95 ID:sMpwNi3P >日寛カルトをオモチャにしているだけなのだがwwwwww オモチャにしていると認めるんだな。 なら、ここでの議論もママゴトに過ぎないわけだな。 そうなんだよ。 おまえらは、平気で人の心をオモチャにできる。 そんなサイコパス野郎が仏教礼賛とか、笑わせるな。 糞でも食ってろ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/397
415: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/09/08(月) 17:53:34.95 ID:+vCf9+6U >>410 >「強いて言えば」一双です。 ただ強弁しているだけのようですね。 >誰もが鳩に着いて議論しているのに、あなたがカラスを持ち込んで「鳩だ!」と言い張っているだけです。 いいえ、「在世の本門と末法の始」が同一だと言う話ですから、あなたの例え話で言えば「鳥」の話をしているのです。 「鳩もカラスも同じ空を飛ぶ鳥です。但し、鳩とカラスで泣き声や体格などの特徴が異なります」と言ったかたちで 「但し」が使われます。 >まったくもって違います。「一乗」とは「唯一無二の至高の乗り物(教え)」。 用語の定義としてはそうでしょう。しかし、それは「但し」の前の「在世の本門と末法の始は一同に純円なり」までで文章が終り、 在世の本門と末法の始は同様に唯一無二の至高の乗り物(教え)であるとするだけで十分な話であり、「但し」以降の文章を日蓮が 書く意味がありません。「但し彼は脱此れは種なり」と文章が続けられているのですから、普通に読めば、 「在世の本門と末法の始」の両者に差異があると日蓮は「但し書き」をしているのです >大有りです。日蓮本仏論を採らない限りは、「彼」も「此れ」も「釈尊の法」です。当たり前の話です。 それは単に日蓮本仏論を採る・採らないの論争上の話でしょう。私は、普通の文章解釈上の話をしているだけですよ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/415
443: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage] 2014/09/09(火) 19:23:02.95 ID:5+uKB01X >>441 >日蓮は南無妙法蓮華経を唱えれば仏に成れると主張していますから、言っている本人が「自己評価」として、 自身を仏と思っていたか、思っていなかったのかは、興味のあるところです。 日蓮が身延山に登ってから後、日蓮をしたって身延山に住み着く信徒が、40 人から60人ほど、でてきました。 日蓮は、それら信徒の生活を支えざるを得ず、それまでの観念の世界から、 しだいに現実的になってきます。信仰も、法華経至上主義から、念仏的にな ってきます、 「無常・霊山浄土」などと言うようになり、日本本来の仏教精神に帰ってき たと言えるでしょう。ここには、釈迦をも超越しようとした、日蓮の自信に あふれた姿はありません。自身を仏と思うなどということは、これっぽっち もなかったでしょう。この傾向は、死に近づくにつれ強くなり、乗っている 馬にさえ、愛情を注ぐ日蓮になりました。 日蓮大聖人御書全集 P1476・西山殿御返事 人に捨てられたる聖(ひじり)の寒さに責められて、いかに心苦しからんと 思い、やらせ候いて、送られたるか。 日蓮は悪き者にて候えども、法華経は、いかでかおろそかに、おわすべき。 袋は臭けれども、つつめる金(こがね)はきよし。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/443
615: 名無しさん@お腹いっぱい。 [] 2014/09/17(水) 06:44:52.95 ID:hHoVvlfo >>604 そう、蛇トーテムの一族でしょう。蛇は嫌われる半面、広く信仰対象になっていますが、法華経の説話はどこか迫真性がない。 変成男子とかの話ではなく、蛇トーテムへの教化という元の事実があったのではなく、観念だけで創作されたように見えます。 この章は羅什訳では独立していますが、他の写本では見宝塔品と同じ章で、その後半部になります。内容は同じです。 法華経一派がデーヴァダッタ派を取り込む目的だったなら、諸仏が一同に会する見宝塔品と同じ章のほうがふさわしい気がします。 ところで英訳では、竜女が成仏宣言した後は、それまでのsheからheに変わりますが、これでは法華経信者が言う女人成仏は無理ですね。 >>608 最初の一行以外はすべて同意です。これはやはり信仰対象としての竜に仮託された、「優れた人」のイメージですよ。 http://anago.5ch.net/test/read.cgi/koumei/1407027454/615
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