[過去ログ] 日蓮って ver.29 (720レス)
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314
(8): 2014/09/06(土)06:17 ID:cb6y4l16(1/7) AAS
>>313

種脱に差異や勝劣があるから、「但し」と文章が続くのでしょう。

文章的には、前の文章が長々とあるのですが、「所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し
大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、
再往之を見れば迹門には似ず本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、」とあり、
「在世の本門と末法の始は一同に純円なり」と結ばれているのは、
「在世の本門」で説かれる法も「末法の始」に説かれる法も「成仏の法」として「一同に純円」と言うことでしょう。

その上で、「但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」と差異を主張している文章で、
このような差異を主張する以上、当然のように自身の法が「末法の始」において勝っているという話でなければ、
わざわざ、その差異を主張する意味がありませんね。
323
(1): 2014/09/06(土)11:20 ID:cb6y4l16(2/7) AAS
>>322
>あなた達の「文底読み」が客観的に立証されない限り、対外的には何の説得力も持ち得ません。

「文底読み」などはしていませんよ。
>>314は文章のまま読んで、あなたの言うように一品二半=南無妙法蓮華経で「一同に純円」で、
「成仏する法」として同一でしょう。

私は「但し」以降の文章で、種脱に差異や勝劣を日蓮が主張しているとしているのですよ。

種脱の違いはそれ以前に説明があるように、生死を繰り返して仏になる修行法と、今生で仏になる修行法の違いでしょう。
「彼は一品二半此れは但題目の五字なり」は、そのまま字数の違いではないでしょうかね。
日蓮は「題目」を唱える簡易な修行法の優位性を主張していたのですから、「此れは但題目の五字なり」で優位性を示している
と、解釈するほうが、日蓮の他の主張と合いますね。
328
(2): 2014/09/06(土)15:22 ID:cb6y4l16(3/7) AAS
>>326
>ですから、種脱相対を主張するのなら、本尊抄の「但し」以前を「実は同一でない」と置き換える文底解釈が不可欠で、

「文底解釈」と言うのが何に対して言われているのか、あなたが勘違いしているのでしょう。
法華経に関して日蓮が「文底解釈」したと言う話ですから、法華経に関する日蓮の書自体を二重に「文底解釈」する必要は
無いでしょう。「所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ、」と
あるように、「久種を以て下種為し」ですから、「此れは種」の「種」は同じ「種」を示しています。
「但し」、「彼は脱」としていますから、釈迦の法華経では下種以降、生死を繰り返して、法華経本門で仏になる法だと言う、
既存の法華経解釈で言われる衆生が仏になる時期を比較して、「彼は脱」、「此れは種」と対比していることになります。
そして、「一品二半」と「題目の五字」が「一同に純円」の仏になる法であるならば、
日蓮が主張した「題目の五字」で今生に仏になるとの話しから言えば、「脱」より「種」が勝っていることになります。
省4
329
(2): 2014/09/06(土)15:27 ID:cb6y4l16(4/7) AAS
>>320-321
あなたが別の話をしたので回答を後回しにしました。

>これが真実なら、末法と言う観念は当然、破綻します。
あなたが言う教主釈尊の常住不滅は、「仏」の常住不滅ですから、仏がその時折に説いた「法」の常住不滅では無いでしょう。
このため、末法と言う観念が破綻する根拠にはなりませんね。

>羅什訳法華経の題名を音読みで唱えることが導かれるのでしょうか。
あなたの言っているのは日蓮が示した修行法のことですから、論点がずれていますね。
もっとも、あなたが『仏が示した修行法も「法」である』と言う立場であるならば、「日蓮が示した修行法」は、
「日蓮と言う仏が説いた法」と成り得るでしょうから、あなたがその立場で言っているのあれば、少し考えたい気はしますね。

>羅什を仏宝、題目を法宝、日蓮を僧宝とすべきではないでしょうか
省3
334
(2): 2014/09/06(土)21:46 ID:cb6y4l16(5/7) AAS
>>330
>この貴殿が自ら述べた趣旨にそって、議論をしてもらいたい。
>>79は私ではありませんよ。

>釈迦の法は不滅しておられますか?
「釈迦の法」自体は不滅でしょう。「末法」は仏法が正しく行われなくなり、悟る人がいなくなる時期のこと。もしくは、
仏の教のみが存在して悟りに入る人がいない時期のことで、「釈迦の法」自体の滅・不滅では無く、釈迦が説いた法では仏になる
人達がいない時期のことです。そもそも、正法・像法・末法という三つの時期は、釈迦の在世を基点とした概念で、
「釈迦自身が仏に成った法」は「久遠」から存在しているとの解釈ですから、正像末の概念に捉われる事無く、末法でも、
仏に成ることが出来る法であるということでしょう。
335
(1): 2014/09/06(土)21:49 ID:cb6y4l16(6/7) AAS
>>331
>違います。
何が違うのか不明な返答をしていますね。

「この通り、在世は脱だけではありませんし」とあなたが言っても、仏になる時点は在世では「脱」でしょう。
これは、在世にあっても仏になる時点は、今生が「脱」の時期にある衆生が仏に成るという、既存の法華経解釈でしょう。
日蓮の主張では「久種を以て下種為し」と言う、その「久種」を「下種」した時点で、仏になるという解釈で、
これにより、釈迦自身が仏になったのもこの「久種」によるもので、「種」「脱」を比較して、
「種」の優位性を示しているのでしょう。

>繰り返しますが、在世と末法の違いは順縁・逆縁の徒のどちらが多いかであって、勝劣論ではありません。
それは、「在世と末法」の定義の話で、種脱相対の話ではありませんよ。
省5
336
(4): 2014/09/06(土)21:53 ID:cb6y4l16(7/7) AAS
>>333
>ところが末法は仏の滅後○○年という設定です。
方便で滅してから○○年という設定でしょう。カウントダウンが始まらないと言う根拠にはなりませんね。

>あなたのように予め日蓮が本仏だとの前提に立てば、日蓮のやることなすこと全てが仏法でしょうから何の問題も生じないでしょう。
では、あなたが問題の無い方の前提に立った解釈をすれば、あなたの問題の全が解決しますね。

>つまり天台や日蓮の教義は羅什の漢訳以外では成り立たない。
天台や日蓮が「正法華経」を否定したということが無ければ、あなたがどの漢訳法華経に拘っているかの問題でしょう。
「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」の翻訳としては、どちらのタイトルも間違いでは無いでしょうから、
日蓮が唱題行を考案するに当たり、題目として唱えやすい「南無妙法蓮華経」を選択しただけではないでしょうかね。
天台や日蓮が「正法華経」を否定し、「妙法蓮華経」のみを用いていたとする根拠が無ければ、単にあなたの問題ですよ。
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