[過去ログ] 【覚醒】2世3世が学会のおかしさに気がついたこと68 (1002レス)
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940: 2018/03/01(木)07:58 ID:eouUoMnL(3/4) AAS
日蓮や創価が拘る勝負や正邪というのは、永遠無限の生命には存在しない。
勝負や正邪というのは、個や分離という概念から生じる。
我々人間がさも独立して存在しているような錯覚が、区分や差別や優劣を生じさせる。
日蓮や創価が拘るのは、この分離独立して存在しているように見える人間。
カルマでさえ幻想。
肉体という乗り物は様々な行為を生じさせるゆえに、その行為が連続して人間あるいは魂という個体がさも独立運営しているように見せかけている。
肉体がなければ、個人という独立して見える生命現象は消え去り、当然勝負や正邪という肉体に基づいた優劣感が生じさせていた闘争も消え去る。
こういった肉体という幻想への拘りを象徴しているのが、日蓮や創価の死相への執着。
この執着は、成仏という状態を理解できていない典型例。
肉体は単なる永遠生命の仮の乗り物でしかないのに、なぜ、滅んだ乗り物の形象に意味があるの?
成仏というのは、言葉が誤解を生じさせているが、仏に成るのではない。
我々全ては元から仏であり、仏から一歩も離れたことはない。
それならなぜ仏に成ることができる?
成仏というのは、我々は元から全体であることを思い出すこと。
我々は、宇宙という幻想世界を作り出し個人という経験をして神のリーラを味わっていた。
しかし、肉体生活が長くなると、肉体の限定性に囚われて、仏であることを忘れてしまう。
宇宙の中で自分の本質を忘れ、迷子になってしまうのだ。
この迷子が、本来仏には存在しない苦しみという現象。
迷子から逃れるために、我々は肉体に助けを求める。
成仏するための正しいものは何か? 悪に勝たなければ滅んでしまう。
そうやって正邪や勝負を作り出し、肉体に基づいて闘争を繰り返す。
迷子から逃れるには、十界という階段を上る精神的闘争は必要ない。
闘争とは、自我という肉体と一体化した生命現象から生じる。
自我は、人間が自分は仏であることを思い出すと消されてしまう。
だから自我は、優劣や正邪という個人という生命を基本にする概念を死守しようとする。
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