[過去ログ] 集団ストーカーは警察が行っている犯罪です(生活部) (912レス)
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894: 2008/08/13(水)19:41 AAS
日本では1941年に武田薬品工業からアンフェタミン製剤をゼドリン、
大日本製薬(現在の大日本住友製薬)からメタンフェタミン製剤を
ヒロポンとして市販されたが、効果も売上げもヒロポンの方が上だった。
そのため軍は生産性を上げるべく、軍需工場の作業員に配布したり、
夜間の監視任務を負った戦闘員や夜間戦闘機の搭乗員に視力向上用として配布していた。
いわゆる吶喊錠・突撃錠・猫目錠である。
夜間戦闘機月光搭乗員として6機ものB-29を撃墜したエース、黒鳥四朗海軍少尉・
倉本十三飛行兵曹長のペアが、戦後その副作用に苦しめられたのが有名な例である。
また特攻隊出陣の前には、錠剤ではなくアンプルが支給されていた。
いずれの錠剤もヒロポンにお茶の粉末を混ぜたもので、アンプルは何も混ぜていない。
アメリカやドイツやイギリスなども、兵士たちにぺルビチン錠などを配布していた。
やがて日本が敗戦すると同時に軍部が所蔵していた注射用アンプルがどっと流れ出て、
戦後間もない闇市ではカストリ焼酎一杯より安い値段で1回分のアンプルが入手できたので、
芸人や作家やバンドマンといった寸暇を惜しんで働く者たちから、興味半分で始めた
若者まで瞬く間に広がって乱用者が増加していった。
また1943年から1950年まで、薬局では印章さえ持っていけば誰でもヒロポンのアンプルや
錠剤を購入可能で、タクシーの運転手や夜間勤務の工場作業員など、長時間労働が
要求される職種の人々に好んで利用されていた。
その疲労回復力から大変重宝された。だが実際は即効性の高いアンプルは常に
闇に流れて常に品不足状態であり、薬局では錠剤しか入手できなかったことが、
1949年の新聞で報道されている。この結果、日本ではメタンフェタミンが社会に蔓延し
多数の依存症患者を生み出す事となった。
外部リンク:ja.wikipedia.org
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