[過去ログ] 【内田雅也の猛虎監督列伝(26)〜第26代 藤田平】孤立した「鬼平」の寂しき末路 前代未聞の解任拒否 [砂漠のマスカレード★] (51レス)
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2(3): 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/16(土)12:47 ID:Emcr7SuV9(2/2) AAS
その2日のヤクルト戦(千葉)ではデーゲームで敗戦後、移動の京葉線に男性数人が乗り込み、東京駅で藤田に「頼むから辞めてくれ」「話を聞け」と抗議。球団同席で新幹線の個室で会談する異例の事態。藤田は「今は若いチームを育てているところ。サポートしてほしい」と説明した。
本紙評論家の西本幸雄は6月4日付紙面で<監督は選手に語りかけ、情熱に共鳴する者を増やせ。情熱がないならば辞めればいい>と提言している。<フロントも監督も心が熱くないと見えたならば、選手たちが立ちあがれ。物騒な言葉だが、自分たちで革命を起こす気構えがほしい>。
自分に厳しく、阪神唯一(当時)の2000安打を放った藤田は他人にも厳しい。自他ともに認める口べたで意思疎通を欠いた。理解者は少なく孤立していた。
7月、航空営業部から異動で球団常務に就いた野崎勝義は著書『ダメ虎を変えた!』(朝日新聞出版)で<采配以外で藤田監督の評判はよくなかった>と記している。<営業部から、総務部から、選手からも。周辺からの反発が彼には致命的だった><ファンの指弾は無論、マスコミの監督降ろしは痛烈であった>。
8月に入ると球団内で監督問題が話し合われ、藤田に厳しい意見が飛び交った。元ユニホーム組の西山和良、横溝桂も球団取締役にいた。取材をもとに24日付1面で書いた「今の戦力なら57勝はできる」との分析は当時の成績では及ばぬ数字で解任の要件となった。
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