【合宿先で密会不倫】バレー女子日本代表・監督つとめた眞鍋政義氏が女性トラブル、コート外で見せていた別の顔 [ぐれ★] (465レス)
1-

439
(1): 09/21(土)10:12 ID:IQW5xGOE0(1) AAS
いまみてもマフィアみたいというかヤバい男オーラが凄い オールバックでセクシーだよな

セットカウント3―0。1時間ほどで金メダルを奪取し、中継していたNHKアナの西田善夫は「泣かない優勝です……」と表現した。エースの白井貴子は、監督・山田に言った。

「オリンピックって面白くなかった。練習通りやったら、金メダルだもん」

山田はこう語った。「簡単に金メダルを取ったからね。選手もそうだけど、帰国後もあまり喜んでもらえなかった。判官びいきの好きな日本人は、強すぎると感動しない」

山田は、74年世界選手権と77年ワールド杯でも優勝。“3冠監督”となり、84年のロスオリンピックでは銅メダルを獲得した。

88年ソウルオリンピック(4位)後に山田は代表監督を辞任し、日立に戻った。90年代に入るとサッカーのプロ化(93年)に触発され、日本バレーボール協会常務理事でもある山田は、日本リーグ加盟チームもプロ化すべきだと奔走。メディアを通じて強く主張した。

だが、協会も親会社の日立も他チームもプロ化に大反対。そして、前後して好事魔多し。週刊誌上で日立での選手指導の際にセクハラを行っていることを大きく報じられ、山田は常務理事を退任。日立も解雇を通達し、バレーボール界から姿を消した。

 その後の山田は、株取引の違反で逮捕されるなど、晩年は悲惨だった。98年2月5日、66歳で亡くなった際は、葬儀は親族のみで行われ、バレーボール関係者の姿はなかった。

生前、山田は言っていた。

「ソ連のバレー関係者に『山田、バレーを辞めても友人を少なくとも4人はつくっておけ』と言われた。つまり、死んだときにひつぎを担ぐ4人をね」
1-
あと 26 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.004s