[過去ログ] 【中国】「犬肉祭り」で愛犬家と擁護派がもみ合い、負傷者も(画像あり) (1001レス)
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(1): 名無しさん@0新周年 2014/06/22(日)21:22 ID:6vxuedtM0(5/10) AAS
カニバリズム - Wikipedia

日本
日本には綏靖天皇が七人の人を食べたという故事をはじめとして、伝説の酒呑童子説話中の源頼光一行や、安達原の鬼婆の家に立ち寄った旅人等、説話にカニバリズムが散見される。

『信長公記』によると、戦国時代に織田信長の部将・羽柴秀吉が鳥取城を兵糧攻めした際、城の兵たちは草木や牛馬を食べ尽くした末、城を脱走しようとして織田軍に銃撃されて斃れた人間を食い争ったとある。

随筆『新著聞集』では、元禄年間に増上寺の僧が葬儀にあたって死者の剃髪をした際、誤って頭皮をわずかに削り、過ちを隠すためにそれを自分の口に含んだところ、
非常に美味に感じられ、以来、頻繁に墓地に出かけては墓を掘り起こして死肉を貪り食ったという話がある。

戊辰戦争の折には幕府側総指揮官松平正質が敵兵の頬肉をあぶって酒のさかなにしたといい、また薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り胆煮を食したという。

確実な記録には江戸四大飢饉の時に人肉を食べたというものがある。
また天明の大飢饉の際には1784年弘前で人食いがあったと橘南渓が『東遊記』で述べている。

江戸の獄門で処刑された死体で日本刀の試し切りを職とした山田浅右衛門は、死体から採取した肝臓を軒先に吊るして乾燥させたものを人胆丸という薬として販売したとされる。
当時は人胆丸は正当な薬剤であり、山田家は人胆丸の売薬で大名に匹敵する財力を持っていたと言われている。

1870年4月15日付けで、明治政府が人肝、霊天蓋(脳髄)、陰茎などの密売を厳禁する弁官布告を行っている。
しかし闇売買は依然続いたらしく、たびたび事件として立件、報道されている(東京日々新聞等)。

作家の長谷川時雨は明治中期の話として「肺病には死人の水−火葬した人の、骨壺の底にたまった水を飲ませるといいんだが…これは脳みその焼いたのだよ」と、「霊薬」の包みを見せられて真っ青になった体験を記している。

昭和40年代まで全国各地で、万病に効くという伝承を信じて、土葬された遺体を掘り起こして肝臓などを摘出して黒焼きにして高価で販売したり、病人に食べさせたりして逮捕されていたことが新聞で報道されている。

太平洋戦争中に起こった人肉食事件(通称ひかりごけ事件)は日本中を揺るがす大問題に発展した。

太平洋戦線の島嶼等(インパール・ニューギニア・フィリピン・ガダルカナル等)でも、補給の途絶に伴って大規模な飢餓が発生し、死者の肉を食べる事態が発生した。
1944年12月にニューギニア戦線の日本軍第十八軍は「友軍兵の屍肉を食す事を罰する」と布告し、これに反して餓死者を食べた4名が銃殺されたという。

また、ミンダナオでは1946年から1947年にかけて残留日本兵が現地人を捕食したとの証言があり、マニラ公文書館に記録されている。
殺害した米軍捕虜の肉を酒宴に供した小笠原事件(父島事件)は、関係者がBC級戦犯として処刑されている。
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