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【ドゥルーズ】差異と反復を読みたい【頑張るから】 (956レス)
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952
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2005/12/11(日)09:47
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952: [] 2005/12/11(日) 09:47:49 >>930->>931のノリで(とまではいかないが)序論のイメージ的理解を試みてみよう。 ちょっと長いが我慢してくれ。 ドゥルーズは、序論で「反復と一般性」の区別を三つの視点からとらえようと目論んでいる。 三つの視点とは、行動の視点、法則の視点、概念の視点だ。最初は行動の視点だ。ところが、 この視点はオレの場合、今ひとつしっくりこない。「反復すること、それは行動することである」 (P19)がイメージ的に理解できないのだ。 仕方ないから、次の「法則の視点」へ行こう。ここでは、反復は、法則のレベルに属さない もの、法則に反しているものとして捉えられている。「反復の不可能性」などと紛らわしい 言い方がみられるが、そんなことにはお構いなく、ここで重要な点は「反復とは、(法則にたいしての) 侵犯なのである」(P21)、と勝手に理解しておこう。それから、ドゥルーズはP21−22に 、「法則の視点からする第二の区別」について書いているが(P22)、ちょっとわかりにくい。 ここではとりあえず、「反復は、一般性の一つのレベルからもう一つのレベルへ移行の際、 ちょっとだけ顔をのぞかせるもの」(P22上段)だと考えておこう。 法則の視点でちょっと面白いのは、道徳法則の転倒(侵犯)の場面だ(P24ー25)。 道徳法則を転倒させるには二つのやり方があり、一つはイロニーの技法で、もう一つはフモール (ユーモア)の技法だ。イロニーの技法はサドに対応し、フモール技法はマゾッホに対応している (『マゾッホとサド』を参照)。イロニーの技法は柄谷的で、フモールの技法は蓮實的という人物もいる。 蓮實は、マゾッホ的なやり方で(フモールの技法で)制度的で思考停止の状態にある批評界を侵犯 したようだ。フモールの技法はデリダの戦略に似ているからまぎらわしい。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1124167169/952
のノリでとまではいかないが序論のイメージ的理解を試みてみよう ちょっと長いが我慢してくれ ドゥルーズは序論で反復と一般性の区別を三つの視点からとらえようと目論んでいる 三つの視点とは行動の視点法則の視点概念の視点だ最初は行動の視点だところが この視点はオレの場合今ひとつしっくりこない反復することそれは行動することである 19がイメージ的に理解できないのだ 仕方ないから次の法則の視点へ行こうここでは反復は法則のレベルに属さない もの法則に反しているものとして捉えられている反復の不可能性などと紛らわしい 言い方がみられるがそんなことにはお構いなくここで重要な点は反復とは法則にたいしての 侵犯なのである21と勝手に理解しておこうそれからドゥルーズは2122に 法則の視点からする第二の区別について書いているが22ちょっとわかりにくい ここではとりあえず反復は一般性の一つのレベルからもう一つのレベルへ移行の際 ちょっとだけ顔をのぞかせるもの22上段だと考えておこう 法則の視点でちょっと面白いのは道徳法則の転倒侵犯の場面だ24ー25 道徳法則を転倒させるには二つのやり方があり一つはイロニーの技法でもう一つはフモール ユーモアの技法だイロニーの技法はサドに対応しフモール技法はマゾッホに対応している マゾッホとサドを参照イロニーの技法は柄谷的でフモールの技法は蓮的という人物もいる 蓮はマゾッホ的なやり方でフモールの技法で制度的で思考停止の状態にある批評界を侵犯 したようだフモールの技法はデリダの戦略に似ているからまぎらわしい
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