[過去ログ] 新潟は路車板の荒らし・キチガイが多いのだろうか!! (581レス)
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550: 2014/10/08(水)08:03 ID:hsAv3ERR0(11/22) AAS
中には集団生活に慣れていないためか自分の意見が公の場で通用しないことに腹を立て暴力的手段を用いて解決の糸口を探すものや、
周囲と軋轢を生む者も多くおり、それら日常生活態度が複合的要因として重なり合った結果、鉄道愛好家そのものの質が地に落ちていたとも断言できる環境だった。
しかし、広い目で見れば学校生活で孤立していたとしてもその現状をさほど悲観視することはない。学校はあくまでも社会に進出する前の練習段階なわけで、最大の試練は学校を卒業し社会に進出したときだ。
社会に出れば一人間の大人としての対応ができると判断され、社会生活における敬語の使い方や有事の際に公序良俗に則った解決方法などを道徳的に考える力は備わっていると見做される。
通常の学校生活を過ごしてきた者にとってこれらは何らレベルの高い条件ではないのだが、学生のうちに集団性に慣れることができなかった鉄道愛好家は社会への進出が大きな試練として立ちはだかる。
会社に就職すれば学術だけでは解決しない事柄も多く、上司の無理難題な言いつけや会社の運営方針に刃向かうクライアントとの板ばさみなど会社生活において理不尽な点を挙げれば切が無い。
そうした日本社会の現場に学校生活で集団性や自立性を身に付けていない者は慣れないだけでなく毎日が息苦しく感じることだろう。
更に、物事を我慢するという精神力もなければせっかく入社した会社を離れる以外に選択肢はなく、堕落の道を歩むことになる。
現にニートでありながらも趣味活動を続ける鉄道愛好家も珍しくなく、鉄道愛好家への風当たりが強い最中、無職・ニートという条件が更にイメージダウンの拍車を掛けていると言える。
551: 2014/10/08(水)08:03 ID:hsAv3ERR0(12/22) AAS
厚生労働省の定義によるニートと断定された若者の数は2001〜2005年の約64万人を最高水準として年々減少傾向にあるようだ。
近年では労働環境の改善や行政が設ける就労施設の充実化が図られたことによるものとされるが、2010年の段階でも推計60万人のニートが存在し社会問題になっている。
広い目で世間を見るとニートという選択肢を得た若者にはそれ相応の経緯があるにしても、親の金を無駄に蕩尽し就労者が払う税金を無駄食いしているという事実が存在するため、世間の目は厳しい。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com
先日、あるニュース特報で29歳になるニートの男を取材していた。彼は学生生活で取り分け目立つこともなく成績は上中下の中クラス。
能力的にも人並みであったというが、中学生半ばに一度イジメからなる引き篭もりを経験し、自宅で勉強する傍ら趣味はプラモデル作りとアニメキャラクターのフィギュア集めの世界へと導かれていった。
この2つの趣味も鉄道と共通して自分ひとりで楽しみを味わう趣味である。一人で楽しめる趣味とは非常に好都合だ。自分の好きな時間に趣味活動を始め、自分の中で納得する。
すなわち、鉄道もアニメもプラモデルも趣味としては自己完結型であると言える。こうした趣味は自分だけで楽しみを見出せるという好都合性を持ち合わせる反面、没頭すると世間との関わりを謝絶してしまうと考えられる。
例題に取り上げた29歳の男性ニートがもし、趣味のジャンルを野球やサッカーといったスポーツなどに転化していれば年齢相応の充実した社会生活を送れたと私は考えられる。
552: 2014/10/08(水)08:04 ID:hsAv3ERR0(13/22) AAS
学生時代に他者との交流を盛んにし、視野を広げながら日々の生活の中で様々な経験を積まなければ社会に適合できずニートになってしまう。学校の勉強を怠け、平日でも骨休みをしたい。それは大いに結構。
だが、その時間を鉄道趣味だけに利用するようでは視野が狭い分、社会性がその段階で閉ざされてしまうことになる。私の考えに反論の意を唱えるのならばそれで結構だが、ひとつ言わせて貰う。
実際に線路端で写真を撮っていたことが後に訪れる社会生活の中で有効であった実績があるだろうか。
恋愛・交友・アルバイトなど有能かつ社会的な時間の費やし方によっては学校の学術では教えられない知識を身に付けることができる。いや、これらは社会に出るにあたり身に付けなければいけない知識の数々だ。
<img src="外部リンク:dl1.getuploader.com

「汽車ポッポの写真なんか撮って喜んでんじゃねーよ」
これは将来設計をせずに趣味に陶酔する学生撮り鉄へ鳴らされた警鐘なのかもしれない。
553: 金田一はじめVS高遠遙一 2014/10/08(水)16:03 ID:rcaXDT9XI(1) AAS
全国政令指定都市コンテスト2014

北海道 札幌市 ←政令市のくせに新幹線が無い糞田舎
宮城県 仙台市
埼玉県 さいたま市 ←東京に住めなかった負け組
神奈川県 横浜市
神奈川県 川崎市 ←東京や横浜に住めなかった負け組
神奈川県 相模原市 ←なんちゃって中のなんちゃって
千葉県 千葉市 ←政令市のくせに新幹線が無い糞田舎
新潟県 新潟市 ←なんちゃって
静岡県 静岡市 ←なんちゃって
省13
554: 2014/10/08(水)20:33 ID:hsAv3ERR0(14/22) AAS
<center>配給・試運転・回送ダイヤPart113-序にかえて-<font size=5>寫眞機の奥で微笑む少女</font></center>
<center><img src="外部リンク外部リンク:dl8.getuploader.com
戦後、荒廃しきった東京の街に登場した娯楽の一つが街頭テレビだった。
空襲で焼け野原となった都心部は庶民の生活需給がまだまだ満たされていなかったため、テレビの登場は庶民にとって革新的であった。当初、連合国軍(GHQ)の占領下は情操上不適切という理由でエンターテイメントの放送は全て禁止された。
しかし、昭和20年代も後半になり、連合国軍の占領が解除されると各地のテレビ局は揮ったように『新企画物』をスタートさせた。
戦争に敗れた直後の日本国民らは諸外国への劣等感や憎悪心は相当なものだったのだろう。器量の悪い黒人集団を馬鹿にし、言葉の凶器とも取られる台詞を面白半分に連発していた。
しかし、その裏では米国の裕福な家庭に着眼点を置き、日本の庶民生活はどれだけ貧困で低俗かを国民に追及させる内容の番組もあったという。
『ボクのパパは世界一』という企画で始まったらしいその番組は米国に住む1世帯の家族にスポットライトを当て、その家族の生活ぶりを延々とリポートしていくという内容だった。
煌く大きなシャンデリアが吊るされた食卓で食事をする姿や休日に高級外車を乗り回してリゾート地へ旅立つ姿を見て当時の日本国民は何を感じ取っていたのだろうか。
それから数年を経て日本は高度経済成長期へ突入していく。「欧米に追いつけ!追い越せ!」というスローガンは米国の裕福な家庭に少しでも追いつき日本も“勝ち組”を気取れる国へ進化させるという強い意思の表れのように思われた。
555: 2014/10/08(水)20:33 ID:hsAv3ERR0(15/22) AAS
上越線高崎〜水上間にて蒸気機関車が復活運転されたのは1989年のこと。国鉄分割民営化からJR東日本として再発足した直後、「地域密着」をスローガンに蒸気機関車復活運転の計画が持ち上がった。
日本全土から静態保存されている蒸気機関車をリストアップした結果、後閑駅前に保存されていたD51 498号機に白羽の矢が立てられた。
日本国内に蒸気機関車は大量に保存された。その数は約500両を超すという。保存場所の募集も将来の復活運転を有望視した上で保存ができることを条件に付けるほど当時の“SLブーム”は白熱を見せた。
マニアでもなんでもないありふれた一般人までもが男女を問わず一時の「鉄ヲタ」に変身した時代だったが、ブームが去るや保存車両たちの管理はたちまち杜撰になっていった。
将来の復活を有望視して―という札付きの条件もとうに忘却の彼方。公園や市民の集会所の真ん中に真っ黒な巨体が佇む光景が各地に散見されるようになった。
次第に腐食が激しくなるにつれ多くは撤去を余儀なくされたが、場所の立地上簡単に解体することが出来ず補修という名の下、無知識な施工業者によって全身を黒ペンキで塗りつぶされた機体も多く存在する。
上越線に蒸気機関車復活計画が上がるだいぶ前、D51 724号機という機体が渋川駅から程近い児童公園に静態保存された。全国各地を闊歩し、末期は酒田機関区に配属され渋川駅にも姿を現したという。
現役で活躍していた線区沿いであることが効いたのかもしれないが、きっとこの機も将来的に復活させることを望まれて線路からも近いこの場所に保存されたのだろう。
『古きものへの憧れ これは人間の基本的な願望であります』という礎の元、民家がひしめく公園の片隅に腰を下ろしていた。整備も行き届き、黒光りしたボイラーに真夏の日差しがあたると艶やかなボディが浮かび上がった。
夏空を背景に佇むその姿は古を偲ぶように微笑んでいるようにも感じられた。
556: 2014/10/08(水)20:34 ID:hsAv3ERR0(16/22) AAS
<center><b>鉄ヲタが嫌われる理由</b></center>
<center><b>一、言いたいことをサシで言えない</b></center>
鉄ヲタが嫌われる理由の一つに言いたいことをサシで言えない点が挙げられる。人は皆、平等に口と耳が存在している。それらはもちろん、人間としてコミュニケーションを行う目的があるということは言うまでもない。
人間は人と触れ合いながらコミュニケーションを図り、様々な知識・知能を養い成長して行く。そのため、成長の過程で一度、コミュニケーション能力を失ってしまう。
または、対人恐怖症に陥るなどしてしまうと、一人間の礎が欠落したまま身体的成長をしてしまうことになり、従前どおり人間としてコミュニケーションを取ることは難しくなってしまう。コミュニケーション能力は身体的成長に全て比例するわけではないのである。
鉄ヲタだけがコミュニケーション能力不足であると言い切れるかというと、意外とそうではない。コミュニケーション能力が欠如しているのは近年の若者世代であれば誰しも共通することである。
557: 2014/10/08(水)20:35 ID:hsAv3ERR0(17/22) AAS
その原因の代表として、まずは携帯電話やパーソナルコンピュータといった通信媒体や、それに付随する周辺機器の登場である。これら通信媒体が日本社会に進出しだしたのは昭和30年代。
元祖コンピュータの走りとして、白黒テレビが街頭に姿を現した。が、当時は物価が高騰していた上に庶民の手には届かない程高価であったため、各家庭に普及しだしたのはそれから数年経ってからとなる。
ちょうど、その頃からテレビに依存した生活を送る子供たちに“テレビっ子”という言葉が浴びせられた。ラジオが主だった当時の家庭にテレビが登場することは同時に視覚的アクションが家庭で見られることになった。
それは、日本の家庭が近未来へ躍進する一歩として捕らえられた。しかし、その裏側ではテレビに依存する子供が急増。例年に増して学力低下が懸念されていたことも起因し、
政府もテレビ視聴時間と学力低下の相関関係を問題提起させたこともあった。テレビの登場は得たい知識や情報を即席で、かつ享楽的方法で入手できるという次代を担う新兵器だったことが伺える。
その後、時代は変遷を繰り返し通信機器の技術は格段に成長していった。しかし、その見返りは多くの人間がその技術に依存する結果を引き起こしてしまった。
テレビ依存型となってしまった国民生活を政府が問題に取り上げても次代の躍進を挫折させてまで矯正する力は持ち合わせていなかった。
そして、人間は人と対話する機会を減少させ、相手の表情で心理・・・いや、心裏を読み解くと言うコミュニケーションを築く上でいろはの“い”以上に大切なコミュニケーションスキルを失ってしまったのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
558: 2014/10/08(水)20:35 ID:hsAv3ERR0(18/22) AAS
企業の採用面接等で見られる方式の一つに圧迫面接がある。これは、面接官が受験者の意見を真っ向から否定したり、追及して威圧的な質問を続けることで受験者の深層心理を読み解くという一種の方法である。
この圧迫面接に弱いのもやはりネクラ系趣味を持つヲタ達である。鉄ヲタも当然、この部類に属していることが多い。ある鉄道会社の人事部はこう語る。
「当社は利用されるお客様から頂く収益で成り立っているサービス業です。単純に鉄道が好きであるというだけの志望動機は一切お断りさせていただいております。」
この言葉は、鉄ヲタ達に向けられた痛切な発言と捕らえるべきである。会社はどこも慈善事業で成り立つわけではない。旅客系鉄道会社の場合、入社後にまず駅勤務となり、後に車掌、運転士等としてスキルアップして行くのが一般的である。
多くの鉄道会社がこの図式を築いているその根底には、“お客様目線に立って視野を広くさせる”という目的がある。駅係員・車掌・運転士はどれも現場職であるため、サービス精神が求められている。
鉄道会社幹部から見れば社会人として働くにあたり鉄道が好きか否かという点はどうだっていい。一会社の歯車として動いてくれるか否かが最も重要な鍵となるわけである。
そうした中、会社側が単に「鉄道が好き」という志望動機だけで入社を希望しているものを受け入れてしまうと実際には社会的な知識も能力も持ち合わせていない人間が採用されてしまうことになる。
会社の顔とも言えよう現場に配属されれば利用客から信頼を失墜させることになってしまう。これらは、ひいて会社組織全体を狂わすことにもなりかねる。
559: 2014/10/08(水)20:36 ID:hsAv3ERR0(19/22) AAS
鉄道が好きであることを理由に社会を生きようとするのは完全なアマの考え。会社が求めるのは当然プロである。そうすると、「志望動機:鉄道が好きだから」という考えは完全にアマチュア思考であることが見とれる。
鉄道会社は鉄ヲタを嫌うという暗黒の図式は、コミュニケーション能力に著しく欠陥がある鉄ヲタ自身が就職する登竜門を狭くしてしまった証拠のかもしれない。
ここでは、鉄ヲタに最も身近に感じられるであろう鉄道会社を例に取り上げてみたが、会社組織が異なっても業種そのものが異なっても入社希望者に求めるものは共通している。まずは、社会を生きる上で適切なコミュニケーションが図れるかどうかである。
筆頭にも述べたとおり、“テレビっ子”世代以降に生まれた人間はコミュニケーション能力に欠けている傾向が強い。
更に、ネクラ系趣味を持つオタクは他者と交流することなく自分ひとりで享楽的感覚を取り入れる傾向もあるため、転じてコミュニケーション能力はもちろん、社会スキルも身に付けないまま成長していると見られてしまうのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
560: 2014/10/08(水)20:36 ID:hsAv3ERR0(20/22) AAS
それでは、ここまで一企業が鉄ヲタをどう見ているかを述べてきたが、最後に世間全体の視点から鉄ヲタがどのように見られているかを解剖しながら述べていこう。
世間多くの一般人はまず初対面の鉄ヲタと出会ったら、「鉄ヲタ」という見方ではなく、尺度を変えて「鉄道趣味者」あるいは「写真を撮ることが趣味である者」として捕らえるだろう。
普通ならば初対面で出会った人間とは共通の話題を作ることから始める。出身地・住まい・ペットなど、2人の間で共通点を見つけ出して親近感を互いに深めていく。(これを心理学的には類似性による親近効果という)
しかし、鉄ヲタの場合は違う。自分の趣味の話に話題が進んで行くとここぞとばかりに自分の写真や録音したデータ等を相手が興味を示す前に紹介し始める。そして、最終的に自慢話へとなり相手を不快にさせてしまうのである。
これは、相手を不快にさせるために起す行動ではない。相手から「凄いね!」「面白いね!」と肯定的意見を言われることで自分自身の実力を実感し、自己陶酔することを目的としている。
ここで、万が一相手が否定的に「…もういいよ」「興味ない」等と抑揚のない返答をすると鉄ヲタは自分の趣味を否定されたと錯覚し、悲劇のヒロインとなる。このパターンを持つ性格は当然、コミュニケーション能力が高いとは言えない。
更には、コミュニケーション能力を持ち合わせていないため、意見に追い詰められて相手を納得させる自分の意見を表現できないと、次第にそれは憎悪となりインターネット上に開設したブログやBBSなど相手の目の届かない場所で誹謗中傷をする。
そうすることで、相手を言い負かし自らの正当性を認識させたと錯覚するため、中傷された相手からすれば言いたい意見があるのにサシで言わずに陰に隠れて言われていることに物凄く不快感が生まれてくるのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
561: 2014/10/08(水)20:37 ID:hsAv3ERR0(21/22) AAS
また、自分が中傷されていなくてもインターネット上等匿名を盾にした他人の悪口を見るのは気持ちの良いものではない。
人間が集まる場所ではそれ相応に意見の食い違いや、物事に対する思想などを巡り争いが発生しやすいものだが、鉄ヲタ達の場合は違う。
皆して私利私欲を目的とした集まりであるため、争いの理由も至って低俗で、その大半が罵詈雑言。すなわち、正当性を主張するにしても意見が纏められていないのである。例えば、このレス先に向けられた輩がそうである。
彼らは『人それぞれ』という認識を全く持っていない。あるいは、日頃の日常生活で溜まった鬱憤を晴らすため、理由なく気に食わない者を吊るし上げ、謝罪させることで優越感に浸ることを目的としている。
そのため、発言は支離滅裂で相手を罵倒することだけしかしていない。こうした光景を第三者が見ていると、ただでさえ平和主義を念頭に置く日本人であることも手伝い、
“なぜこんな小さなことに端を欲して争いにまで発展するのか”
という疑問が生まれる。やがて、その疑問は一般人の常識では解決できないため、気持ち悪さへと変化していき、最終的には『得体の知れない者たちが理由無き無駄な争いをしている』という見方に変わってくる。
場の空気を乱してまで争うその姿はいつ見ても幼稚で見るものを物凄く不快にさせていくのである。
そんな細かな理由で争うくらいならばサシで話し合えばいいと思うのが一般人の通論だが、コミュニケーション能力に欠けた鉄ヲタはそれができないのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
562: 2014/10/08(水)20:37 ID:hsAv3ERR0(22/22) AAS
鉄ヲタが社会的に嫌われる理由。それは、コミュニケーション能力欠落にあたり人と向かい合って話をすることができない。
更に加えると、常に自分の実力を認めてもらいたい願望を持つため自慢話を強引に推し進めることで自らはコミュニケーション能力が備わっていると誤認しているからである。
563: 2014/10/08(水)23:50 ID:t0rZpgJ50(1) AAS
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564: 2014/10/09(木)05:50 ID:0i3d70RK0(1/14) AAS
<center><b>鉄ヲタが嫌われる理由</b></center>
<center><b>一、言いたいことをサシで言えない</b></center>
鉄ヲタが嫌われる理由の一つに言いたいことをサシで言えない点が挙げられる。人は皆、平等に口と耳が存在している。それらはもちろん、人間としてコミュニケーションを行う目的があるということは言うまでもない。
人間は人と触れ合いながらコミュニケーションを図り、様々な知識・知能を養い成長して行く。そのため、成長の過程で一度、コミュニケーション能力を失ってしまう。
または、対人恐怖症に陥るなどしてしまうと、一人間の礎が欠落したまま身体的成長をしてしまうことになり、従前どおり人間としてコミュニケーションを取ることは難しくなってしまう。コミュニケーション能力は身体的成長に全て比例するわけではないのである。
鉄ヲタだけがコミュニケーション能力不足であると言い切れるかというと、意外とそうではない。コミュニケーション能力が欠如しているのは近年の若者世代であれば誰しも共通することである。
565: 2014/10/09(木)05:51 ID:0i3d70RK0(2/14) AAS
その原因の代表として、まずは携帯電話やパーソナルコンピュータといった通信媒体や、それに付随する周辺機器の登場である。これら通信媒体が日本社会に進出しだしたのは昭和30年代。
元祖コンピュータの走りとして、白黒テレビが街頭に姿を現した。が、当時は物価が高騰していた上に庶民の手には届かない程高価であったため、各家庭に普及しだしたのはそれから数年経ってからとなる。
ちょうど、その頃からテレビに依存した生活を送る子供たちに“テレビっ子”という言葉が浴びせられた。ラジオが主だった当時の家庭にテレビが登場することは同時に視覚的アクションが家庭で見られることになった。
それは、日本の家庭が近未来へ躍進する一歩として捕らえられた。しかし、その裏側ではテレビに依存する子供が急増。例年に増して学力低下が懸念されていたことも起因し、
政府もテレビ視聴時間と学力低下の相関関係を問題提起させたこともあった。テレビの登場は得たい知識や情報を即席で、かつ享楽的方法で入手できるという次代を担う新兵器だったことが伺える。
その後、時代は変遷を繰り返し通信機器の技術は格段に成長していった。しかし、その見返りは多くの人間がその技術に依存する結果を引き起こしてしまった。
テレビ依存型となってしまった国民生活を政府が問題に取り上げても次代の躍進を挫折させてまで矯正する力は持ち合わせていなかった。
そして、人間は人と対話する機会を減少させ、相手の表情で心理・・・いや、心裏を読み解くと言うコミュニケーションを築く上でいろはの“い”以上に大切なコミュニケーションスキルを失ってしまったのである。
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566: 2014/10/09(木)05:51 ID:0i3d70RK0(3/14) AAS
企業の採用面接等で見られる方式の一つに圧迫面接がある。これは、面接官が受験者の意見を真っ向から否定したり、追及して威圧的な質問を続けることで受験者の深層心理を読み解くという一種の方法である。
この圧迫面接に弱いのもやはりネクラ系趣味を持つヲタ達である。鉄ヲタも当然、この部類に属していることが多い。ある鉄道会社の人事部はこう語る。
「当社は利用されるお客様から頂く収益で成り立っているサービス業です。単純に鉄道が好きであるというだけの志望動機は一切お断りさせていただいております。」
この言葉は、鉄ヲタ達に向けられた痛切な発言と捕らえるべきである。会社はどこも慈善事業で成り立つわけではない。旅客系鉄道会社の場合、入社後にまず駅勤務となり、後に車掌、運転士等としてスキルアップして行くのが一般的である。
多くの鉄道会社がこの図式を築いているその根底には、“お客様目線に立って視野を広くさせる”という目的がある。駅係員・車掌・運転士はどれも現場職であるため、サービス精神が求められている。
鉄道会社幹部から見れば社会人として働くにあたり鉄道が好きか否かという点はどうだっていい。一会社の歯車として動いてくれるか否かが最も重要な鍵となるわけである。
そうした中、会社側が単に「鉄道が好き」という志望動機だけで入社を希望しているものを受け入れてしまうと実際には社会的な知識も能力も持ち合わせていない人間が採用されてしまうことになる。
会社の顔とも言えよう現場に配属されれば利用客から信頼を失墜させることになってしまう。これらは、ひいて会社組織全体を狂わすことにもなりかねる。
567: 2014/10/09(木)05:52 ID:0i3d70RK0(4/14) AAS
鉄道が好きであることを理由に社会を生きようとするのは完全なアマの考え。会社が求めるのは当然プロである。そうすると、「志望動機:鉄道が好きだから」という考えは完全にアマチュア思考であることが見とれる。
鉄道会社は鉄ヲタを嫌うという暗黒の図式は、コミュニケーション能力に著しく欠陥がある鉄ヲタ自身が就職する登竜門を狭くしてしまった証拠のかもしれない。
ここでは、鉄ヲタに最も身近に感じられるであろう鉄道会社を例に取り上げてみたが、会社組織が異なっても業種そのものが異なっても入社希望者に求めるものは共通している。まずは、社会を生きる上で適切なコミュニケーションが図れるかどうかである。
筆頭にも述べたとおり、“テレビっ子”世代以降に生まれた人間はコミュニケーション能力に欠けている傾向が強い。
更に、ネクラ系趣味を持つオタクは他者と交流することなく自分ひとりで享楽的感覚を取り入れる傾向もあるため、転じてコミュニケーション能力はもちろん、社会スキルも身に付けないまま成長していると見られてしまうのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
568: 2014/10/09(木)05:52 ID:0i3d70RK0(5/14) AAS
それでは、ここまで一企業が鉄ヲタをどう見ているかを述べてきたが、最後に世間全体の視点から鉄ヲタがどのように見られているかを解剖しながら述べていこう。
世間多くの一般人はまず初対面の鉄ヲタと出会ったら、「鉄ヲタ」という見方ではなく、尺度を変えて「鉄道趣味者」あるいは「写真を撮ることが趣味である者」として捕らえるだろう。
普通ならば初対面で出会った人間とは共通の話題を作ることから始める。出身地・住まい・ペットなど、2人の間で共通点を見つけ出して親近感を互いに深めていく。(これを心理学的には類似性による親近効果という)
しかし、鉄ヲタの場合は違う。自分の趣味の話に話題が進んで行くとここぞとばかりに自分の写真や録音したデータ等を相手が興味を示す前に紹介し始める。そして、最終的に自慢話へとなり相手を不快にさせてしまうのである。
これは、相手を不快にさせるために起す行動ではない。相手から「凄いね!」「面白いね!」と肯定的意見を言われることで自分自身の実力を実感し、自己陶酔することを目的としている。
ここで、万が一相手が否定的に「…もういいよ」「興味ない」等と抑揚のない返答をすると鉄ヲタは自分の趣味を否定されたと錯覚し、悲劇のヒロインとなる。このパターンを持つ性格は当然、コミュニケーション能力が高いとは言えない。
更には、コミュニケーション能力を持ち合わせていないため、意見に追い詰められて相手を納得させる自分の意見を表現できないと、次第にそれは憎悪となりインターネット上に開設したブログやBBSなど相手の目の届かない場所で誹謗中傷をする。
そうすることで、相手を言い負かし自らの正当性を認識させたと錯覚するため、中傷された相手からすれば言いたい意見があるのにサシで言わずに陰に隠れて言われていることに物凄く不快感が生まれてくるのである。
<img src="外部リンク外部リンク:dl10.getuploader.com
569: 2014/10/09(木)05:53 ID:0i3d70RK0(6/14) AAS
また、自分が中傷されていなくてもインターネット上等匿名を盾にした他人の悪口を見るのは気持ちの良いものではない。
人間が集まる場所ではそれ相応に意見の食い違いや、物事に対する思想などを巡り争いが発生しやすいものだが、鉄ヲタ達の場合は違う。
皆して私利私欲を目的とした集まりであるため、争いの理由も至って低俗で、その大半が罵詈雑言。すなわち、正当性を主張するにしても意見が纏められていないのである。例えば、このレス先に向けられた輩がそうである。
彼らは『人それぞれ』という認識を全く持っていない。あるいは、日頃の日常生活で溜まった鬱憤を晴らすため、理由なく気に食わない者を吊るし上げ、謝罪させることで優越感に浸ることを目的としている。
そのため、発言は支離滅裂で相手を罵倒することだけしかしていない。こうした光景を第三者が見ていると、ただでさえ平和主義を念頭に置く日本人であることも手伝い、
“なぜこんな小さなことに端を欲して争いにまで発展するのか”
という疑問が生まれる。やがて、その疑問は一般人の常識では解決できないため、気持ち悪さへと変化していき、最終的には『得体の知れない者たちが理由無き無駄な争いをしている』という見方に変わってくる。
場の空気を乱してまで争うその姿はいつ見ても幼稚で見るものを物凄く不快にさせていくのである。
そんな細かな理由で争うくらいならばサシで話し合えばいいと思うのが一般人の通論だが、コミュニケーション能力に欠けた鉄ヲタはそれができないのである。
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