[過去ログ] 演歌トリビア Part12 (952レス)
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648: [age] 11/18(月)22:56 AAS
□岸田秀 発言 まとめ
岸田秀先生からの回答
www.ccv.ne.jp/home/kyosaiji/page030.html
「岸田秀先生からの回答」、「岸田秀先生と再び」が、このたび出版された岸田秀
「日本人はどこへゆく」青土社(1,900円)に掲載されています。
書籍でお読みいただければ、また印象が違うかと存じます。(H17.07.23)
Q8)なぜ、母性的宗教は世界宗教になれないのか。多神教的、血縁的ということと、父性・母性ということは
連動しているのですか。
A)われわれは母親から生まれるのですから、母親とのつながりは具体的、現実的です。宗教というものは、
われわれに恵みを与えてくれる偉大な存在を崇拝するのが出発点ですから、まず初めは、母性的宗教となるのは
当然過ぎるほど当然です。そして、最初の中心的恵みは母親からくるわけですが、現実に周りを見渡せば、
母親のほかに、太陽、大自然、山川草木など、われわれに恵みを与えてくれるものはいっぱいあります。
母性的宗教が多神教的になるのは当然の成り行きです。
しかし、母性的宗教は母親との血のつながりが信仰の基盤ですから、どれほど拡大解釈したとしても、
家族共同体、村落共同体、部族共同体以上には広がりません。したがって、部族や民族を超えた世界宗教には
なれないと思います。父親とのつながりも、彼の精子がわれわれの生命の根源なのだから、具体的、現実的では
ないかと言われるかもしれませんが、そのような生物学的理論はあとからくっつけた理屈であって、父親との
つながりは、母親とのつながりと比べて、抽象的、観念的です。限りなく拡大することができます。世界宗教と
なるためには、父親または父親的存在を神にする必要があります。
Q16)なぜ日本にはイスラム教やキリスト教は浸透しないのか。
A)イスラム教やキリスト教そのものがどうだこうだというより、一神教の考え方、さっきも言ったように、
抽象的、観念的規範に基づいて世界を把握し構築する考え方を日本人は受け付けないのですね。
なぜ受け付けないのかと言えば、拙著『幻想の未来』で述べたように、日本人の道徳というか、
行動規範の基盤は人間関係に、人々にどう思われるかということに基づいているからです。
戦国時代にやってきた切支丹伴天連の死を賭けた必死の努力も(彼らは、それまで他のところでの
布教の最大の障害であったユダヤ教やイスラム教を日本人は信じていないので、宗教的に真空の
日本には簡単にキリスト教を布教できると思ったらしいです)、キリスト教が解禁になった明治の
初めの宣教師たちの真摯な努力も、敗戦後のアメリカ占領軍に支援された布教活動も、
日本国民を0.数%以上はキリスト教徒にすることができませんでした。戦国時代は切支丹以外の
南蛮文化、明治時代は天主教以外の文明開化、敗戦後はキリスト教以外のアメリカ文化は大々的に
受け入れたのにね。肌が合わないのでしょう。ついでながら言えば、日本人がマルクス主義、
共産主義を受け付けないのも同じ理由からでしょう。
「日本がアメリカを赦す日」岸田秀
hiroki-hayashi.hatenablog.com/entry/2019/04/02/222122
個人の場合でも、何か特別な価値のある人間でなければ生きるに値しないなんて考える考え方は、
とんでもない間違いでしょう。特異な天才で非常な才能に恵まれているとか、希代の英雄であるとか、
あるいは家柄がいいとかでなければ、どうして生きる価値がないのでしょうか。何ら特別のことはない
普通の人間には、どうして生きる価値がないのでしょうか。そういう考え方は、幼児的ナルチシズムを
引きずっている人に見られる考え方です。ナルチシズムの基準から外れると、何の価値もないのです。
ありもしない理想の女という固定的なイメージに執着し、理想の女でないと自分には値しないと
思い込んでいる男が、現実にぶつかればたちまち崩れるしかない空想的な片想いしかできず、
一生、現実の女とはかかわりをもてないのと同じように、非現実的なことにプライドを求める個人も
国家も、現実には不適応になるしかありません。普通の人が普通である自分の存在に価値を見出し、
そこにプライドをおけばいいんですよ。自分の存在価値を証明するために何か特別のことをする
必要なんてないんですよ。
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