★愛の道阿修羅 真・女神転生ウィッチオブフォローワーズ3 (376レス)
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198: みっくすぶるーちゅニュース 2022/09/09(金)15:15 ID:S3fbgH70y(15/15) AAS
阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道の神である。海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。阿度部磯良(あとべのいそら)や[1]磯武良(いそ
たけら)とも[2]。神楽に誘われて海中より現れ、古代の女帝神功皇后に竜宮の珠を与
えたという中世の伝説で知られる[3]。
概要
石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあ
り、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三
神を祀る)。同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っていると伝わる[4]。
「磯」と「渚」は共に海岸を指すことから阿曇磯良は豊玉毘売命の子で、日子波限建
(ヒコナギサタケ:鵜葺草葺不合命の別名)と同神であるとする説がある。また、『八
幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。
磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一
躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天
児屋根命以同神
『八幡愚童訓』
阿曇磯良は「阿曇磯良丸」と呼ぶこともあり、船の名前に「丸」をつけるのはこれに由
来するとする説がある(ほかにも諸説ある)。宮中に伝わる神楽の一つ「阿知女作法」
の「阿知女(あちめ)]は阿曇または阿度部のことである[要出典]。
伝説
『太平記』には、阿度部磯良の出現について以下のように記している。神功皇后は三韓
出兵の際に諸神を招いたが、海底に住む阿度部磯良だけは、顔にアワビやカキがついて
いて醜いのでそれを恥じて現れなかった。そこで住吉神は海中に舞台を構えて阿度部磯
良が好む舞を奏して誘い出すと、それに応じて阿度部磯良が現れた。阿度部磯良は龍宮
から潮を操る霊力を持つ潮盈珠・潮乾珠[注 1] を借り受けて皇后に献上し、そのおか
げで皇后は三韓出兵に成功したのだという。
海人族安雲氏の本拠である福岡県の志賀海神社の社伝でも、「神功皇后が三韓出兵の際
に海路の安全を願って阿曇磯良に協力を求め、阿曇磯良は熟考の上で承諾して皇后を庇
護した」とある。北九州市の関門海峡に面する和布刈神社は、三韓出兵からの帰途、阿
曇磯良の奇魂・幸魂を速門に鎮めたのに始まると伝えられる。
海神が干滿の珠を神功皇后に献じたという伝説は広く見られ、京都祇園祭の船鉾もこの
物語を人形で表わしている[5]。
舞い
阿曇磯良の伝説をもとにした舞として、志賀海神社国土祭の磯良の舞、奈良春日大社の
春日若宮おん祭の細男(せいのう、ほそお、ほそおのこ)の舞などがある[3][6]。春
日大社のそれは、筑紫の浜で老人から「細男の舞をすれば、磯良が出てきて干珠・満珠
を授ける」と聞いた神功皇后が舞わせたところ、貝殻のついた醜い顔を白布で隠した磯
良が現れたという物語を表現したもので、白布の覆面姿の男たちが舞う[3]。細男は、
平安期の記録に「宮廷の神楽に人長(舞人の長)の舞いのあと、酒一巡して才の男(才
男)の態がある」と次第書きがあり、この才の男から転じた言葉で、滑稽な物真似のよ
うな猿楽の一種であろうと推測されている[7]。『風姿花伝』では、天の岩戸に隠れた
天照大神を誘いだすために神楽に合わせて行なった滑稽な演技「せいのう」を猿楽の起
源のひとつとして挙げている[8]。
また、大分県中津市の古要神社には、操り人形による細男の舞があり、同様に白布で顔
を隠した磯良の人形が使われる[9]。同様のものは、福岡県吉富町の八幡古表神社にも
伝わる。
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