★愛の道阿修羅 真・女神転生ウィッチオブフォローワーズ3 (375レス)
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みっくすぶるーちゅニュース
2022/10/12(水)13:22
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359: みっくすぶるーちゅニュース [] 2022/10/12(水) 13:22:52.30 ID:c3JtgBA2Y 「薔薇の名前」と普遍論争 エーコの小説のなかでは述べられていないが、フランシスコ会と教皇庁の争いは、フ ランシスコ会総長チェゼーナのミケーレ他幹部が、論争に決着を付けるためアヴィニ ョンを訪れるが、教皇庁側の対応に疑問を抱いた彼らが、一夜にしてアヴィニョンを 逐電し、ドイツ(当時の神聖ローマ帝国領)へと逃れるに及んで最終的に決裂した。 このとき、逃走した者のなかには、当時の普遍論争において、唯名論の側の立場に立 つ筆頭の論客として知られた、オッカムのウィリアムも含まれていた(この後、教皇 庁はミケーレを解任し、フランシスコ会に新しい総長を選出させた結果、二人の総長 が並立するという事態になる)。 オッカムのウィリアムは、論理思考における「オッカムの剃刀」で良く知られている ように、近代合理的な思考、経験的科学的な認識論を指向していた。従って、オッカ ムのウィリアムが、またバスカヴィルのウィリアムのモデルだとも言える。 普遍論争とは中世に存在した、実在するのは何かという哲学議論で、簡単には、事物 (レース)について、その類観念つまり類のエイドス(形相)が実在しているという のが、「実念論」の立場で、これに対し、オッカムのウィリアムなど「唯名論」の立 場では、実在するのは個々の事物(レース)であって、類の普遍観念つまりエイドス は、「名(nomen)」に過ぎないという考えであった。 この事物の類観念と個々の事物の関係を、「薔薇(rosa)」という事物または類観念 で考えると、「その薔薇のその名前(Il Nome della Rosa)」とは、「その名前」 が普遍観念で実在か、「その薔薇」こそが具体的事物で実在で、「その名前」は形式 に過ぎないのか。オッカムは後者の立場であり、したがってバスカヴィルのウィリア ムも唯名論の立場で、後者である。しかしメルクのアドソは晩年に至って、師の教え に反し、「その名前」が実在である、つまり実念論の立場に転向した趣旨が小説の 「最後の頁」で示唆されている。 /stat rosa pristina nomine, nomina nuda tenemus./ という小説最後のラテン 語の詩句が、ここで中世の普遍論争の文脈に置かれることになる。また、時代錯誤で あるが、作者エーコは、バスカヴィルのウィリアムに20世紀の分析哲学の思想に類似 した内容を語らせており、ヴィトゲンシュタインの言葉の引用に似た表現が登場する。 分析哲学は、中世の普遍論争の問題を20世紀において継承した思想である。 エーコの小説の「枠」を外した事実上の「始まり」の部分は、「初めに(原初に)、 言葉があった( In principio erat verbum.)」(『ヨハネ福音書』1章1節)であ り、「最後」は、筆写室に手稿を残してアドソが部屋を後にするという説明であり、 そして、最後の最後に、上のラテン語の詩句が置かれている。「原初の薔薇(rosa pristina)」とは何で、「裸の名前(nomina nuda)」とは何か、作品は、言葉と実 在の関係をめぐり、記号と世界の秩序の関係をめぐり、壮大な「薔薇の名前」の物語 を築いている。 X Japan Say Anything Instrumental Cover https://www.youtube.com/watch?v=a-470_Hwb8Q 君は薔薇よりとか情熱の薔薇とかベタそうだけどさ。 X JAPAN - SAY ANYTHING (Thai sub) https://www.youtube.com/watch?v=hhf_YqQSuMw 造花の薔薇に埋もれて? http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/gamerpg/1653119997/359
の名前と普遍論争 エーコの小説のなかでは述べられていないがフランシスコ会と教皇庁の争いはフ ランシスコ会総長チェゼーナのミケーレ他幹部が論争に決着を付けるためアヴィニ ョンを訪れるが教皇庁側の対応に疑問を抱いた彼らが一夜にしてアヴィニョンを 逐電しドイツ当時の神聖ローマ帝国領へと逃れるに及んで最終的に決裂した このとき逃走した者のなかには当時の普遍論争において唯名論の側の立場に立 つ筆頭の論客として知られたオッカムのウィリアムも含まれていたこの後教皇 庁はミケーレを解任しフランシスコ会に新しい総長を選出させた結果二人の総長 が並立するという事態になる オッカムのウィリアムは論理思考におけるオッカムの剃刀で良く知られている ように近代合理的な思考経験的科学的な認識論を指向していた従ってオッカ ムのウィリアムがまたバスカヴィルのウィリアムのモデルだとも言える 普遍論争とは中世に存在した実在するのは何かという哲学議論で簡単には事物 レースについてその類観念つまり類のエイドス形相が実在しているという のが実念論の立場でこれに対しオッカムのウィリアムなど唯名論の立 場では実在するのは個の事物レースであって類の普遍観念つまりエイドス は名に過ぎないという考えであった この事物の類観念と個の事物の関係をという事物または類観念 で考えるとそののその名前 とはその名前 が普遍観念で実在かそのこそが具体的事物で実在でその名前は形式 に過ぎないのかオッカムは後者の立場でありしたがってバスカヴィルのウィリア ムも唯名論の立場で後者であるしかしメルクのアドソは晩年に至って師の教え に反しその名前が実在であるつまり実念論の立場に転向した趣旨が小説の 最後の頁で示唆されている という小説最後のラテン 語の詩句がここで中世の普遍論争の文脈に置かれることになるまた時代錯誤で あるが作者エーコはバスカヴィルのウィリアムに世紀の分析哲学の思想に類似 した内容を語らせておりヴィトゲンシュタインの言葉の引用に似た表現が登場する 分析哲学は中世の普遍論争の問題を世紀において継承した思想である エーコの小説の枠を外した事実上の始まりの部分は初めに原初に 言葉があった ヨハネ福音書章節であ り最後は筆写室に手稿を残してアドソが部屋を後にするという説明であり そして最後の最後に上のラテン語の詩句が置かれている原初の とは何で裸の名前 とは何か作品は言葉と実 在の関係をめぐり記号と世界の秩序の関係をめぐり壮大なの名前の物語 を築いている 君はよりとか情熱のとかベタそうだけどさ 造花のに埋もれて?
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