[過去ログ] 愛知県精神医療センター(旧・愛知県立城山病院) (808レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
294: 2020/11/22(日)11:46 ID:56YDqQ5q.net(1) AAS
精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが治る見込みが大きい
なぜなら精神科病院から最も遠いところにあるのが総合病院の精神科だからだと精神科医の斉尾武郎の本に記してある

精神科医のkyupinのブログにも単科精神科病院よりも総合病院の精神科のほうが少しだけ治る期待が大きいと記してある

総合病院の精神科の経験が10年以上ある精神科医がもっとも当たりの先生である確率が高いと
和田秀樹の精神科医は信用できるかという本に記してある
295: 公立は無敵な説 2020/11/23(月)20:03 ID:fMDy21oG.net(1) AAS
フーコーの理論の通り、城山は法律で設置義務を定められた潰れない最強の病院である。
病院長はじめ医師たちは製薬会社から数百万円以上の別収入を得ている。
公立病院は赤字でも絶対に潰れない。
城山の仕事はせず、面倒くさい患者は他の民間病院に丸投げし、製薬会社からの副業にいそしんでいる。
新病院を建築した数十億の赤字とこれまでの赤字すべて、愛知県民の税金で補てんされている事実。
296: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
297: 2020/11/29(日)13:57 ID:eoxHjURL.net(1) AAS
大学教授の福島哲夫のブログが参考になる
精神科や心療内科に限っては大病院の方がいいとは言えないむしろ逆だ
この領域では国公立や大学病院は必ずしもおすすめできないのが残念ながら率直な感想ですと記している
298: 2020/12/04(金)19:38 ID:rVC3iOCL.net(1) AAS
フーコーの晩年

晩年のフーコーは、どの著作においても、西洋社会で「生の権力」という新しい権力、

つまり、伝統的な権威の概念では理解することも批判することも想像することもできないような管理システムが発展しつつあることを示そうとした。

従来の権力機構においては、臣民の生を掌握し抹殺しようとする君主の「殺す権力」が支配的であった。

これに対して、この新しい「生の権力」は、抑圧的であるよりも、むしろ生(生活・生命)を向上させる。
省3
299
(1): 城山の呼吸 2020/12/10(木)21:25 ID:RgufbJlf.net(1) AAS
城山の呼吸
壱の型 「赤字経営」 全職員が使える「創立以来一度も黒字を出さない」必殺技。
   来月も来年も赤字を増やし、税金で補う基本の型。

弐の型 「満床です」 創立以来一度も満床になったことはないが、「面倒くさい患者を受けない」必殺技。
   扱いの楽な患者だけ吸収できる。

参の型 「仕事をしているふり」 無駄な会議を増やして時間を稼ぎ、勤務時間を減らす必殺技。
   「仕事をした」という証拠を残す。

四の型 「製薬会社召喚」 副業で荒稼ぎして懐を肥やす城山最大の奥義。

城山病院こそ最強の病院である。
300: 2020/12/12(土)13:19 ID:9jkh9jSW.net(1) AAS
>>299
つまんね
301: 2020/12/12(土)13:24 ID:FMB4iWZO.net(1/3) AAS
「残基的ルール違反者が公けにレッテルを貼られる時に生じる危機のなかでは逸脱者は被暗示性が高くなり、
申しだされた狂気の役割を唯一の代替策として受け入れるかもしれない ……残基的ルール違反者が精神障害の枠組みのなかで自分の行動を組織化し、
彼の組織化が他の人びと、特に医師たちのような威信のある他者たちによって妥当化される時、彼は「ひっかけられ」て慢性的な逸脱の経歴をたどって行くであろう」(pp.88-89)

外部リンク:archive.is
302: 2020/12/12(土)13:34 ID:FMB4iWZO.net(2/3) AAS
面倒くさい患者にするのか扱いやすい患者にするのかは主治医次第だから
303: 2020/12/12(土)13:55 ID:FMB4iWZO.net(3/3) AAS
>>229
しかし実際には監獄はその特殊な環境によってむしろ「非行者」を生み出し、あらゆる違法行為の可能性を持つ者として社会に循環させているのです。

それゆえ、監獄制度の真の意義は、違法行為を減らし、抑制することではなく、

社会の転覆や不安につながるような犯罪の可能性を「非行性」として管理し安全なものとして閉じ込めることにあるのです。

精神病院は社会の転覆や不安につながるような犯罪は防止するが
通常の違法行為はむしろ積極的に患者にやらせていって精神病のラベリングを強めていく
304: あぼーん [あぼーん] あぼーん AAS
あぼーん
305: 名無し [Bbb] 2020/12/18(金)22:38 ID:A2XIj4r2.net(1) AAS
どんな綺麗事を言おうと、治療者は、治らなかったり、治療がうまくいかなかった患者のことは忘れてしまうし、忘れてしまわないとやっていけないんだよね。
患者の試し行為に振り回されずに、そこできっぱりと言えるような人に治療してもらえたら、自分自身の問題を病院に丸投げするようなことも減ると思うんだけどね  二次的利得に逃げて、病院に依存するような生活を送るのは、あんまり良くないと思う。
306: 2020/12/19(土)00:15 ID:BmkQJOoc.net(1/2) AAS
精神科の薬を抜く上で最も重要なポイントはどの精神科医が主治医のときに薬を抜くかである
相性の悪い精神科医や相性の悪い病院で薬を抜こうとしても精神科医は再発させるだろう
相性の良い精神科医が主治医だとあっさり薬を抜けてしまったりするものである
307: 2020/12/19(土)09:52 ID:BmkQJOoc.net(2/2) AAS
獣医がある牛の状態を診て病気と診断する場合、彼はその診断のみでその牛の行動を変えはしない。
つまり、牛にとっての病気は体験している生体生理学的状態であるにすぎず、それ以上の意味はないのである。
ところが医者がある人間の状態を病気と診断すればその診断によって医者はその人の行動を変えてしまう。
いうならば病気の意味を疾患に付け加えることにより、ある社会的な状態が生体生理学的な状態に付加されるのである。
次のような場合の帰結の差異について考察してみよう。
労働の無能力が怠状によるとされる場合、または単核症のためとされる場合、またはてんかんのためだとされる場合、
あるいは飲酒癖が道徳的な弱さのためとされる場合、またはアルコール症のためとされる場合である。
つまり医学的診断は人の行動、その人が自分自身に対してとる態度、他人がその人に対してとる態度に影響を及ぼすのである。
要約すれば、病気とはそもそもある状態に関する人間の判断に基づいた社会的構成物である。
病気はある意味では美意識と同じく見る人次第である。
省8
308: 2020/12/19(土)09:55 ID:9d/eXACI.net(1/3) AAS
身体を対象にした制御
実は、これには、近代、特に18世紀の啓蒙の時代になって以降の医学の進歩が深く関係している。
バーバラ・スタフォードが「啓蒙された批評家の仕事は今や数学者のそれと似ていた。
この木立ちに剪定の鋏を入れて、永遠の原理に従って構想された秩序立ち、客観的で機械的な自然にと刈り込むのである。
身体が概念へ、蓋然が公式に変わるこの複雑な変化が完成するには丸一世紀を要した」と『ボディ・クリティシズム』などで論じているとおり、

18世紀を通じて身体はイメージを介して制御の対象となる(数値を用いてより科学的に制御が行われるようになるには、もうすこし待たなくてはならない)。
スタフォードが身体のイメージとその制御の例としてあげるのが、当時有名だった観相学者のラファーターが人の人相をコード化していく例だ。

身体は、要約され、コード化され、図式化されることで監視・制御の対象となっていく。医学の技術が政治的にも利用可能になる。
これが時代が降って19世期に入ると、ジョナサン・クレーリーが『観察者の系譜』で論じているように、生理学という人体制御に使える分野も成立しはじめる。

医学がその計測能力を高めたことがアガンベンのいう生政治が可能な基盤を作ったのだといえる。
省9
309: 2020/12/19(土)09:57 ID:9d/eXACI.net(2/3) AAS
■シンポジウム「『精神分裂病』(現統合失調症)とは何か」 クーパーとサズの来日講演 /東京で第72回日本精神神経学会総会 1975/05/12・13・14

 まず、東京医科歯科大の島薗安雄が精神分裂病の生物学的研究の歴史経過を、東京精神医学総合研究所の荻野恒一が病理学・精神分析学的立場からの現状を述べ
た後、サズが「Schizophrenia:The Sacred Symbol of Psychiatry(精神分裂病:精神医学の神聖なる象徴」、クーパーが「What is Schizophrenia?(精神分裂病と
は何か?)」と題してそれぞれ講演している。
サズは、ここでも従来からの主張を繰り返す。要約すると1点目は、精神分裂病の症状といわれている現象があることは認めるが、精神分裂病(現統合失調症)なる
ものは存在しない。なぜなら、精神分裂病の診断は「行動上の諸症状」を基礎に行っているものであり、はっきりした細胞上の病理などを示されていないからである。

精神分裂病とは絶対的・科学的な研究の結果ではなく倫理的・政治的な判断によって生じたものである。すなわち発見されたものではなく、社会的に構成され考えだ
されたものであるとする。症状はあるが病因は不明のまま作為的な病名だけが与えられているとする従来の反精神医学の主張である。2点目に、サズはこのような精神
分裂病が社会的なものであるという前提にたち、患者の市民権や法的権利において人権侵害がなされていることにふれる。3点目としては、医学一般と精神医学を対比
し、医師と患者関係について述べている。自由な資本主義社会において、精神医学の需要と供給、すなわち検査や診断、治療といったものは当事者である医師か患者の
省4
310: 2020/12/19(土)09:58 ID:9d/eXACI.net(3/3) AAS
社会全体がひとつの精神病院となり、私たちはそこに収容された囚人となる。そこでは精神医学という専門家の知識が権力をもつことになる。

 今回とりあげる、ミッシェル・フーコー(Michel Foucault 1926-84)の描く近代とは、まさにこうした、知識によって管理された、一種の収容所のごとき世界です。

 近代となって逸脱者への対応はより巧妙になりました。逸脱した者は排除されるのでなく、おもてむき、社会へ回復することになります。

社会は逸脱者を自己のうちに回収することで、逸脱者を無害なものとします。社会は逸脱者を「更生」・「治療」と称しつつ自分の管理下に集めるのです。

社会はもはや逸脱者から脅かされることもなければ、そこから学ぶこともありません。こうして社会にとって危険な逸脱者(犯罪者と精神病患者など)は、
省10
311: 2020/12/19(土)09:59 ID:SWGQvAtb.net(1/2) AAS
生-権力

フランスのポストモダンの哲学者フーコーの用語。

近代以前の権力は、ルールに従わなければ殺す(従うならば放っておく)というものだったが、

近代の権力は、人々の生にむしろ積極的に介入しそれを管理し方向付けようとする。

こうした特徴をもつ近代の権力を「生-権力」とフーコーは呼ぶ。
省2
312: 2020/12/19(土)10:01 ID:SWGQvAtb.net(2/2) AAS
生政治(Bio-politics)

現代社会の支配体系の特徴として、例えば政府等の国家が市民を支配する際に、単に法制度等を個人に課すだけではなく、

市民一人ひとりが心から服従するようになってきたとして、個人への支配の方法がこれまでの「政治」からひとりひとりの「生政治」にまで及ぶようになったと説明する。

これを「生政治学(Bio-politics)」という。これはフーコーの著書『監獄の誕生』の中で言及される主要な概念のひとつで、この例を示すために、「パノプティコン」の例がよく使われる。

近代国民国家の支配の方法として、法制度といったものを「外的」に制定するだけではなく、法制度を「倫理」として各個人の「内的」な意識レベルまでに浸透させるようになってきたと説明する。
313: 2020/12/19(土)10:02 ID:R4+Al24i.net(1) AAS
逸脱と医療化―悪から病いへ (MINERVA社会学叢書)

以下は「医療化」の良い点と悪い点。

逸脱の医療化は重要な社会的影響をもたらす。「明るい側面」と目しては以下の五つが挙げられる。

逸脱をより人道主義的にとらえること
逸脱者に病人役割を適用し,非難を最小化し,一定の逸脱を条件つきで免責すること
医療的モデルによって,変化に対してより楽観的な見方ができるようになること
逸脱の認定や治療に対して医療専門職の威信を付与できること
医療による社会統制が他の統制よりも柔軟で,ときにはより効果的であるということ

しかし,医療化には「暗い側面」もある。
省13
1-
あと 495 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.014s