[過去ログ] 愛知県精神医療センター(旧・愛知県立城山病院) (808レス)
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24: 2016/11/22(火)15:47 ID:WuSxj4vt.net(1/4) AAS
「アンチ・オイディプス資本主義と分裂症」と「千のプラトー資本主義と分裂症」を読むと
統合失調症を作るテクノロジーの仕組みを遠回しに説明していておもしろい
著者のフェリックス・ガタリは精神科医である

主体は絶えず揺れ動く。一定の自己同一性をもたず、欲望機械のもとで消費を行うたびにその姿を明らかにし、
それと同時に、つねに生まれ変わって現れる。主体は欲望機械の周りに存在するものであり、
それが通過する状態から引き出されるものでしかない。主体は中心に存在しない。中心に存在するのは欲望機械だ。

統合失調症になると本人の主体(人格)など存在しなくなり精神病を作る機械がその人の思考言動を左右するということだろう

統合失調症は100年後でも完治しないだろうなぜなら精神科医が病気を作っているから
プシコは看護師なんてどうでもいいから自分の主治医とだけは仲良くしておいたほうがいいだろう
25: 2016/11/22(火)15:55 ID:WuSxj4vt.net(2/4) AAS
一番は治るまで主治医を変え続けることだろう
26: 2016/11/22(火)19:40 ID:WuSxj4vt.net(3/4) AAS
分裂症患者は、資本主義の極限に身をおいているのである。
かれは、資本主義に内属するその発育の衝動であり、その剰余生産物であり、そのプロレタリアであり、それを殺戮する天使である。
かれは一切のコードを混乱させ、欲望の脱コード化した種々の流れをもたらす。

この〈過程〉としての分裂症は、われわれ自身におけるわれわれの病気である。現代人の病気なのである。

資本主義の採用した公理系は、種々の流れのエネルギーを、こうした社会体としての資本の身体の上で束縛された状態に維持するものなのである。
これとは逆に、分裂症はまさに絶対的な極限であり、この極限においては、種々の流れは、脱社会化した器官なき身体の上の自由な状態に移行することになる。

こういうことができる。分裂症は資本主義そのものの外なる極限、つまり資本主義自身の最も深い傾向のゆきつく終着点であるが、資本主義は、
この傾向をみずからに禁じ、この極限を押しのけおきかえて、これを自分自身の相対的な内在的な極限に
?つまり、拡大する規模において、自分が再生産することをやめない極限に?代えるのだ、と。

オイディプスは、このおきかえられた、あるいは内在化〔内面化〕された境界線なのである。欲望は、この境界線に捉えられることになる。
省6
27: 2016/11/22(火)19:40 ID:WuSxj4vt.net(4/4) AAS
「分裂病」という「状態」など存在しはしないのです。分裂病というレッテルが貼られることは一つの社会的事実であり、
この社会的事実とは一つの<政治的出来事>なのです。社会における市民的秩序のなかでおこっている、
この政治的出来事は、レッテルを貼られた人間の上に定義と結論を押しつけます。分裂病というレッテルを貼られた人間は、
彼に対して責任をもつべく法律的に是認され医学的に権能を与えられ道義的に義務づけられている他者の監督下におかれますが、
こういった一連の社会的行為を正当化しているのは、社会の指令なのです。レッテルを貼られた人間は、
家庭、家庭医、精神衛生関係官、精神科医、看護婦、ソーシャルワーカー、
そしてしばしば仲間の患者たちまで加わっての一致した連携(「共謀」)行為によって、
患者という役割のみならず、患者としての人生の道程を歩みはじめさせられるのです。
R.D.レイン『経験の政治学』(128ページ)
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