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【原発】原発情報3672【放射能】 (1010レス)
【原発】原発情報3672【放射能】 http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/lifeline/1404271873/
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821: 地震雷火事名無し(千葉県) [sage] 2014/07/03(木) 23:57:43.58 ID:kngW6rLd0.net 神話の果てに 第13部・避難の死角(1)救助/及ばぬ捜索 命の危機 http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201407/20140703_63005.html <2週間近く独り> 福島県双葉町下羽鳥の本林チイさん(79)は死を覚悟した。 「誰も助けに来ない。人生はこれで終わりか」。暗闇の中で、布団に横たわるしかなかった。 福島第1原発事故で双葉町全町民の本格的な避難が始まったのは2011年3月12日。 24日に自衛隊に救助されるまで2週間近く、本林さんは原発の北西約5キロにある自宅に 独り取り残された。 電気、ガス、水道といったライフラインは途絶えていた。電話は使えず、防災無線も聞こえなかった。 灯油ストーブに鍋を載せ、ペットボトルのお茶でご飯を炊いた。まずくて1口しか食べられない。 飢えは保存していた梅干しやシソ巻き、お茶でしのいだ。 12日に1号機、14日に3号機が水素爆発した。そうした深刻な事態を迎えていることは、 事故後にラジオを見つけるまで知らなかった。 救助までの間、上空のヘリコプターに赤い風呂敷を振ったり、畑に旗を立てたりしたものの、 応答はなかった。同居していた長男(53)は3月11日から車で出掛けて不在だった。 車がなかったため、一緒に避難したと勘違いされたとみられる。 本林さんは「運が良かった。同じ境遇で亡くなった人は無念さと絶望感を味わったはず」と語る。 <5人が衰弱死か> 事故後しばらくして、双葉町両竹地区で男性の遺体が発見された。死亡推定日は3月21日。 本林さん救出の3日前だ。「原発事故さえなければ助かった。なぜもっと見回らなかったのか」。 両竹地区の区長の斉藤六郎さん(76)は悔いる。 斉藤さんは東日本大震災直後、地区内を1軒ずつ回ろうとした。途中で津波に流され、 危ういところで助かった。原発事故も重なった状況下では、完璧な安否確認は誰であっても 無理だった。福島第1原発周辺の旧警戒区域内で事故後、少なくとも5人が衰弱死と みられる遺体で見つかっている。福島県警の正式な統計はないが、取り残された人は確かにいた。 高線量という過酷な環境で、警察や自衛隊の捜索は要請があった場所が中心となった。 県警幹部は「避難区域の家をしらみつぶしに回るのは不可能だった」と吐露する。 <「決死隊が必要」> 原発事故から3年が過ぎ、東北の原発立地地域で新たな避難計画の策定が進む。 強い放射線で出歩くことも危なくなった場合、住民の救助をどう進めるのか。 東北のある自治体の担当者は「詰めた議論はしていない」と打ち明けた上で、 「ある程度の危険を覚悟した決死隊的な組織が必要かもしれない」と言う。 双葉町民の避難を進めた井戸川克隆前町長は「100%完全な安否確認は不可能」 との見方を示す。「確認の精度を上げるには、双葉町民の実体験と同じ規模で 避難訓練をしてもらうしかないでしょう」 ◇ 原子力災害からの避難には救助や移動、収容までいくつものハードルが待ち構える。 東北の原発立地地域では新たな避難計画づくりが進むものの、関連死も含めた犠牲を 防がなければ意味がない。自治体が描く計画に実効性は期待できるのか。福島の 事故を振り返りながら課題を追った。(原子力問題取材班)=第13部は6回続き http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/lifeline/1404271873/821
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