[過去ログ] 生きてる人、いますか (284レス)
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269: 08/07(水)14:02 ID:QQeiCIRGd(1/2) AAS
  チッチキチー      ・・・・・・203   (かつて昔)

 朝鮮半島は、現在に至るまで完全な和平には至っていない半島のであり、東アジアの
情勢の最大の不安定要因となっている。又、台湾・香港は世界の玄関口であり、かつて
も今も、西洋の風と共に、情報以外にも物流やエネルギーその他の主要ルートである。
鎌倉時代の明朝船ルート、江戸時代の呂宋助左衛門(るそんすけざえも)通称呂宋ルート
、明治での支那ル−ト、現代で言うシーレーンルートである。遣隋使や遣唐使なども、
航路は幾つかのあったが、北路である、難波−筑紫−壱岐−対馬−朝鮮半島西岸北上−
渤海湾横断−山東半島上陸の経路は、渤海行き航路であり、通常は獲られない。それは
台風のある夏場が避けられたからだ。結局のところ北風が吹いた頃の南路の難波−筑紫
−値嘉島(平戸・五島列島)−庇良(平戸)島−宇久島−遠値賀(小値賀)島−合蚕田
(あいこのた)浦−福江島−東シナ海横断−揚子江口上陸の経路が主だった。海道航路
は、渤海航路を模した、筑前−朝鮮半島の西岸北上−渤海湾横断−山東半島南岸西行−
華北・華中沿岸南下−揚州上陸の経路と、中華航路とされた。難波−筑紫−多執行(種
子島)−夜久(屋久島)−吐火羅(宝島)−奄美−度感(徳之島)−琉球 阿児奈波(
沖縄島)−球美(久米島)−信覚(石垣島)−台湾島、東シナ海横断−揚子江口上陸の
南島路は漂流による経路であろう。遣隋使および、初期の遣唐使の往復はおおむね北路
にたよったが,白村江の戦で、日本と敵対関係にあった新羅の半島統一以来,日本との
関係が緊張し、中期以降の遣唐使は、南路である中華航路、または南島路にたよった。
海道の航路は、だいたい北路と同じに、島を見ながらの航路決定で、これは古くからの
新羅の商人によって利用された航路で、第17回遣唐使の帰路は新羅船をやとって、この
航路で帰国した。とされる。南路・南島路の中華航路は、いうまでもなく支那や琉球人
を船長にした、危険率が高い航路であって、中途で沈没したり、漂流の末に現地人に、
略奪されたり 殺されたりした場合も少なくなくあったようだ。まっ、結果的に潮流と
共に台湾海峡を行くのが、一番早くて近道で安全だったのである。
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