★生きてる人、いますか (283レス)
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278: 08/31(土)20:53 ID:SBqqHAvpk(2/2) AAS
  チッチキチー      ・・・・・・212   (かつて昔)

 しかし、此のマーシャルプランは、「ヨーロッパ経済復興援助計画」の名目で、当時
の同盟国、つまり、欧州の連合国側への支援策だったのである。西側諸国は、欧州でも
、戦争による被災の復興と、物資不足と、食糧不足に陥っていた。1948年に受入機関と
して整え、ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を組織して、総額100億ドル以上の
援助を得て、イギリス、フランス、西ドイツ、イタリアなどが、大戦で失った経済基盤
の破壊を克服して復興を、創作し、成し遂げる。これを見たソ連は、マーシャルプラン
の受入を呼ぼうする東側諸国を、引き締めるために競争をする、1947年9月に、コミン
フォルム(共産党情報局)を結成して、1949年に経済相互援助会議(COMECON)
を結成して、冷戦構造は本格化した。これを見て朝鮮半島もドイツもその枠内に入れた
のだが、日本やベトナムには、敵国として適用されなかったのである。実際に援助が始
まった1948年から終了する1951年までの援助金額総額は、136億〜102億であり、
はっきりしないが、そのうち100億〜90億ドルが、贈与(返済の義務がない)で、
あった。とされている。しかし、国別で、イギリス(26億ドル)、フランス(20億
ドル)、西ドイツ(11億ドル)、イタリア(10億ドル)が多く、次いでベルギー、
オーストリアなどトルコを含め、東欧諸国とフランコ独裁下のスペイン、中立国スイス
を除いた国、地域すべてに及んでいた。ここで東欧が拒否した事で、日本に有償での、
売りつけに変ったのである。日本の外米政策、と聞いていきり立ち、憤慨する老人がい
たら、かなりの戦後の政策通である。と言うのも、日本に送ろうとした許可なし輸入船
は、経済制裁で、三井の下請け商戦は沈められたからだ。ガリオア・エロアと聞いて、
連想して出てくる言葉は「金、返せ!」と言う言葉と、理不尽な輸入障壁であったのだ
。昭和20〜25年まで、アメリカから日本に対して 占領地救済・復興資金として約20億
ドル弱のお金が提供され、現在換算で12兆円くらいになる。しかし、昭和28年に池田・
ロバートソン会談があって、約4分の1に相当する4億9000ドル返済することになった
。その交渉は、結局約10年続いたのだ。両国が合意・調印したのは、昭和37年だった。
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