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125: 06/12(水)11:16 ID:zxbLDsqp+(6/18) AAS
中立のリアル・・・・・・・37
16〜17世紀のヨーロッパ戦争は、個々には、宗教的対立でカトリック対プロテスタン
トという対立が軸となっても、基本的な性格は、王位継承権による領土問題だったのだ
。ここで問題は、プロテスタント国であるプロイセン公国は、このときカトリック国で
あった事だ。オーストリアを支援し、その功績で、神聖ローマ皇帝からプロイセン王国
となることを認められていた。しかし、その支援したオーストリアの皇太子次期王様が
暗殺されたのである。ドイツが狂う事は当然だった。プロイセン公国からドイツ連邦に
なって、これからと言う時だったからだ。これまで、米国が台頭する前は、戦争という
のは、この宗教対立を解消したフランス+スペイン連合に対して、イギリス・オランダ
・オーストリアの同盟という、ヨーロッパを二分する陣営で戦われていた。が、同時に
フランスとイギリスはアメリカ新大陸の植民地での争いから、アン女王戦争を戦ってい
た。これは1815年まで続く 第2次英仏百年戦争ともいわれる英仏植民地戦争の一環で
もあった。ところが、この植民地問題に異変が起こった。ドイツとアメリカの、台頭で
ある。植民地獲得戦争に出遅れたこの二つの国は大西洋で争っていた。モロッコ戦争で
ある。日本から遠く離れたアフリカの西北端と言うこともあって、日本人になじみが薄
いが、実は、「ヨーロッパから見て最も近いアフリカ」という位置にあって、欧州大陸
のイベリア半島支配に、最も近く有史以前から、異国交流の玄関口でモロッコがサハラ
までの支配権を持って、レコンテスタや十字軍の遠征、ルネッサンス・モダニズム建築
と、西洋の文化風習に及ばず、物流・人流、文化に技術、宗教に思想、全ての入り口に
あった。フランスは1830年以来、隣接するアルジェリアを、植民地支配していたので、
モロッコにも重大な関心を寄せていた。普仏戦争に敗れて国際的地位が低下すると突然
と、海洋覇権の渦にはいった。フランスの植民地帝国の形成を図り、サハラから東岸の
ジブチに向かうアフリカ横断政策を採る。そのアフリカ政策は1898年のファショダ事件
でイギリス帝国主義との対決の危機を迎え、両国は見事な帝国主義的妥協を図ったのだ
。
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