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126: 06/12(水)11:18 ID:zxbLDsqp+(7/18) AAS
  中立のリアル・・・・・・・38

 即ち、地中海防衛のフランス海軍の優位性や独占権を認め、大西洋航海の英国の覇権
主義や海賊行為を認める。といった協定である。しかし、納まらない国がスペインであ
り、ドイツだった。モロッコ分割に、遅れて手を出し、新たな植民地帝国を目指した。
と言うドイツのヴィルヘルム2世は、フランスの同盟国ロシアが、日露戦争で苦戦して
いる形勢を見て、ヴィルヘルム2世は1905年3月31日、自らモロッコのタンジールに
上陸してスルタンと会見し、フランスのモロッコ支配を牽制し排除を願い出た。第1次
モロッコ事件(タンジール事件)である。これは「モロッコ問題」という、国際紛争と
なり、翌1906年にアルヘシラス会議が開催され、モロッコ国王も参加した上で、列強は
機会均等・門戸開放と共に、モロッコの主権尊重を取り決めた。がこれは、実質的に、
既存のフランスとスペインの警察権などの権益を認め、既存優遇策となり、ドイツ孤立
に向かう。しかし、アルヘシラス会議の結果に不満な、ドイツのヴィルヘルム2世は、
モロッコにおいて反仏民族運動を展開させ扇動する目的で、再度の挑戦を試みている。
1911年7月1日に軍艦一隻を、アガディールに派遣。それが第2次モロッコ事件(アガ
ディール事件)であった。この挑発を受けたフランスで、国論が沸騰し、独仏戦争開始
の声も上がり、直前までいったが、年末に妥協が成立、フランスは、コンゴの一部を、
ドイツに譲ることで、モロッコ支配を認めさせる。という手を打った。これまた、地元
の意志は関係ない、大国の帝国主義的な取引によって事態を収束させた物だったのだ。
フランスのポワンカレ内閣は1912年にスルタンとの間でフェス条約を締結し、モロッコ
保護国化を実現。これによってモロッコは主権を喪失、国土は大半を占める「フランス
領モロッコ」と、北モロッコの一部(リーフ地方)と西サハラの「スペイン領モロッコ
」に分割された。しかし直ちにフランスのモロッコ保護国化に対し、モロッコ民衆抵抗
運動が始まった。フランスはそれを鎮圧するため総督を任命し、リオテ総督は典型的な
保護国統治を行った。
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