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134: 2024/06/12(水)14:01 ID:zxbLDsqp+(15/18) AAS
中立のリアル・・・・・・・46
ビスマルクは「現下の大問題は言論や多数決によってではなく、鉄と血によってのみ
解決される」――これが1848年、49年の大きな間違いであった――という有名な
演説を行った。この演説は「鉄血演説」、それ以後のビスマルク政策は鉄血政策と言わ
れ、ビスマルクにも鉄血宰相の名称が付けられた。しかしこの第3代ドイツ皇帝に即位
し、祖父ヴィルヘルム1世の時から仕えていたビスマルクとは、折り合いが悪く対立し
た。ドイツ統一の実質的な立役者でもあり実力者で「ビスマルク外交」といわれる絶妙
なバランス感覚の、外交手腕を発揮して、欧州に平和をもたらしていた。が、1890年、
ヴィルヘルム2世はそのビスマルクを辞任に追いやって親政を始めた。ところがすぐさ
ま行き詰まり、危機を招いてしまう。つまりドイツが望んだ、独露との再保障条約更新
が、ロシア皇帝から拒否されたのである。そして、フランスの外交接近に対し、フラン
スとの協定を喜んで結んだのである。これはビスマルクがいちばん懸念していた事態で
あった。ドイツが隣国協調の外交せずに敵対すれば、挟み撃ちされ、敵に囲まれた形で
、陸の東西を仏露が攻めて、海路を英国が止める。そう推測された。それでもヴィルヘ
ルム2世は、1898年自ら聖地パレスチナを訪問し、その途中にオスマン帝国の首都イス
タンブールでトルコ皇帝と面会、バグダッド鉄道の敷設権を要求し、覇権国家を狙う。
翌年トルコは、バグダードを経てペルシア湾頭の、バスラに至る鉄道の敷設権をドイツ
に与えた。このバグダード鉄道によってベルリン〜イスタンブール〜バグダードを結ぶ
夢は、鉄道建設に取り掛かる現実に向かった。しかし、バルカン問題では、スラブ諸国
と対立のオーストリアは、パン=ゲルマン主義を説き、海外植民地に否定的であった。
クラースは1912年に「もしわれ皇帝なれば」の、ドイツの勢力が 東方生存圏と言う、
本土から陸続きのオーストリア=ハンガリー帝国、バルカン半島への植民地拡張の主張
を取り入れ、民族の力の消耗、民族喪失へとつながる人口流出がもたらされる。と危惧
し、また場合によってはロシアから入植地を奪取し、ロシア人排除することも述べる。
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