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: 2024/06/14(金)04:54
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139: [] 2024/06/14(金) 04:54:27.27 ID:+sLCpRey2 中立のリアル・・・・・・・51 隣国フランスの、この共和制や議会民主主義の流れが、頑なにブルボン王朝スペイン にやって来る。フランコ体制の前の内閣は、ブルボン王朝支配の末裔である。現代では 「主権国家」と呼ばれる国家で、言い換えれば、主権と領土が明確になっている国家で 独立国家であるが、かつて中世時代には、領土は関係なく神聖国家と言う仕様だった。 中世ヨーロッパの時代は、国家は存在した、国王や皇帝の力は強くなく、それ以上に、 教皇や権威のある他国の王や、地方にも実力をもった諸侯がいた。王の権力の届かない そういう領土と言うものと、国家の法制の効く部分とは、必ずしも一致しなかったのだ 。こうした中世の領首王に比べ、圧倒的な権力を誇った王政を「絶対王政」、または、 絶対主義といい、主権国家を築き上げる事が理想となった。カルロス1世は、1516年に スペイン王位になったが、1519年は神聖ローマ帝国(ドイツ)の皇帝にもなる。この、 神聖ローマ帝国の皇帝、即ち欧州全域の皇帝には、どうやって選ばれたのか。それは、 選挙だったのだ。そして実は、フランスのフランソワ1世もこの選挙に出て神聖ローマ 皇帝になろうとした。が選挙、いわゆる諸侯の信任が得られずカルロス1世に負けた。 この神聖ローマ帝国の支配地の小公国は、ドイツ地域であった。つまりフランスにして みると、スペイン王とドイツ王を兼ねたカルロスに盾突けない状態。挟み撃ちされる。 と危機感を抱くのは当然で。フランスはスペインとドイツの間にある地政学上の位置だ 。そして、このフランスと、神聖ローマ帝国の間で、イタリア領地をめぐる戦争が起き た。イタリア戦争です。イタリアの主権を巡る争いである。ヴァロワ家とハプスブルク 家の闘いとも言えるが、この戦争は、ヨーロッパでの主権国家、および主権国家体制が 形成されるきっかけとなった戦争であったのだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/139
中立のリアル51 隣国フランスのこの共和制や議会民主主義の流れが頑なにブルボン王朝スペイン にやって来るフランコ体制の前の内閣はブルボン王朝支配の末である現代では 主権国家と呼ばれる国家で言い換えれば主権と領土が明確になっている国家で 独立国家であるがかつて中世時代には領土は関係なく神聖国家と言う仕様だった 中世ヨーロッパの時代は国家は存在した国王や皇帝の力は強くなくそれ以上に 教皇や権威のある他国の王や地方にも実力をもった諸侯がいた王の権力の届かない そういう領土と言うものと国家の法制の効く部分とは必ずしも一致しなかったのだ こうした中世の領首王に比べ圧倒的な権力を誇った王政を絶対王政または 絶対主義といい主権国家を築き上げる事が理想となったカルロス1世は年に スペイン王位になったが年は神聖ローマ帝国ドイツの皇帝にもなるこの 神聖ローマ帝国の皇帝即ち欧州全域の皇帝にはどうやって選ばれたのかそれは 選挙だったのだそして実はフランスのフランソワ1世もこの選挙に出て神聖ローマ 皇帝になろうとしたが選挙いわゆる諸侯の信任が得られずカルロス1世に負けた この神聖ローマ帝国の支配地の小公国はドイツ地域であったつまりフランスにして みるとスペイン王とドイツ王を兼ねたカルロスに盾突けない状態挟み撃ちされる と危機感を抱くのは当然でフランスはスペインとドイツの間にある地政学上の位置だ そしてこのフランスと神聖ローマ帝国の間でイタリア領地をめぐる戦争が起き たイタリア戦争ですイタリアの主権を巡る争いであるヴァロワ家とハプスブルク 家の闘いとも言えるがこの戦争はヨーロッパでの主権国家および主権国家体制が 形成されるきっかけとなった戦争であったのだ
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