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140: 06/14(金)04:55 ID:+sLCpRey2(3/15) AAS
  中立のリアル・・・・・・・52

 当時のフランスは、ヴァロワ王朝、即ちヴァロワ家のもとで、既に国家統一を成し遂
げて、治世が施されて平和だった。しかし、そのフランスにも、大きな脅威となる存在
になったのが、隣のハプスブルク家であった。ハプスブルク家は神聖ローマ帝国の支配
地(ドイツ)の皇帝を輩出し、さらにフランス付近のネーデルランドなどの領土も獲得
していた。フランスにとっては目の上のタンコブである。そこでフランスはイタリアの
占有に入った。その頃に、イタリアは大きく経済発展していた。その為政治分裂抗争を
繰り返している状態となった。イタリアの高い経済力に目をつけて1494年、フランスの
国王シャルル8世は、イタリアに侵攻。しかしこれは、教皇や神聖ローマ皇帝らが同盟
を結び対抗し大きく失敗する。広い意味でのイタリア戦争はこの1494年から始まった。
その後も、後を引くフランスは、イタリアをめぐって小競り合いを起すが、しかしここ
で、1519年、ハプスブルク家のスペイン国王カール5世が神聖ローマ皇帝(ドイツ)に
就任した。ここで暴虐にフランソワ1世はブチ切れて、本格的にイタリアに侵攻した。
1521年狭義のイタリアでの大戦争はここから始まる。しかしして、これをよしとしない
神聖ローマ帝国がフランスと争う。神聖ローマ帝国やスペインを手中に収めたハプスブ
ルク家と、それに脅威を抱いたフランスのヴァロワ家が、イタリアをめぐり争ったのだ
。ざっくり言えば、そういうことだ。このイタリア戦争は結果としてフランスは負け。
フランスが、イタリアへの干渉を放棄し、スペインはミラノ、ナポリ、シチリア、サル
デーニャを獲得した。この時代のヨーロッパ、国王や皇帝は弱く、地方には諸侯がおり
、彼らは国王や皇帝からの自立して勝手をしていた。王様の権力がなかなか届かなかっ
た。王様よりも権威のある教皇の存在も邪魔だった。しかしイタリア戦争をきっかけに
、諸侯も公国も戦争が長期化し大規模になって、これまでの財政規模、軍隊の規模では
地方の諸侯ががんばっても単独ではどうにもできない。そこで国王の地位が高まり中央
集権化、つまり領地の王権と諸侯との取り決めが起こり、現代の様な主権国家となって
いったのである。国王の手足となる官僚と、徴税や地方行政、常備軍と情報判断と責任
が決定されたのである。
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