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146: 06/14(金)09:59 ID:+sLCpRey2(9/15) AAS
  中立のリアル・・・・・・・58

 キャラック船の登場は、当時の大型造船技術において、ひとつの技術的到達点を示し
、完成された帆船ともいえるが、決して万能というわけではなく、必ずしもキャラック
船を用いるのが出来ない場所も多くあった。即ち、海流があったり、浅瀬においては、
船底が深い分、影響が大きく適切で場合があって、輸送の他に、上陸という他目的とい
うものも、一方で存在した。当初、スペイン人やポルトガル人の探検家はキャラック船
を用いて、西アフリカ海岸や大西洋へと漕ぎ出していったが、キャラックのように巨大
では、重装備を誇る大型船には、航行の精度を保つという点において、要する人員数に
おいても、労力の点でも負担が大きかった。未知の海域での調査という目的に必ずしも
向いているものではなかったのだ。そこでまもなく、探検家たちは 100トン前後の、軽
キャラックや、地中海用の軽やかなラテンセイルを備えたキャラベルのような小型帆船
を好むようになった。現代で言う大型のヨットである。比較的少人数で舵取りが出来、
船体の船底も浅く、カヌー形状で、支那の蛇腹船、印度のダウ船に近く、メインマスト
とフォアマスト、スクエアセールの三本帆船である。更にこんなに小さくなった船が、
キャラック船に帆走すると、より早くより遠くに、そしてより小回りで新大陸の奥まで
入っていける事が判ったのである。これは、大きな造船所を持たない、英国の苦肉の策
、というより自然な流れであった。当然、人員も少なく、積み荷も少なく、水・食糧に
おいて大航海時代には、他の帆船からの補給や、島や敵国船の強襲と強奪しかなかった
のである。アマルダの海戦は、そんな高速船が完成された頃のエポックで、スペイン・
ポルトガル船は、自国になっていたドイツに近いドーバ沖で集合して、一夜を待った。
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