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183: 2024/06/17(月)23:39 ID:b0ir0TCYY(2/5) AAS
  中立のリアル・・・・・・・95

 1219年のチンギス・カンのペルシア侵入後に、間も無く、キリスト教徒のタルタリー
王の、ダヴィドが東方のキリスト教徒の援護に向かう。といった噂が立った。恐らくは
ネストリウス派のキリスト教徒によって、作り上げられた噂であろうがこの話は広まっ
た。話の中で、チンギス・カンは、イスラエル王の子であり、ジョン王の孫にあたる。
ダヴィデ王に擬せられており、中央アジア、ペルシアのイスラーム教徒に勝利を収め、
シリア・エジプトの、キリスト教徒の救援に向かっている。などと伝えられていたのだ
。このダヴィデ王の治める中央アジアの、キリスト教国こそがプレスター・ジョンの国
ではないか。とも噂され世界だった。1219年、キリスト教勢力の支配下にあるシリアの
都市のアッコの司教ジャック・ド・ヴィトリーは、説教の中で、「二つのインドの王」
「ダヴィデ王」が、イスラーム教徒と戦うキリスト教徒の、援軍として現れることを、
説いている。即ち司教や宣教師までもが、悲観し沈み掛ける民衆に、景気のいい嘘を、
吹聴して、にわかに信じさせていたのだ。1221年には、アッバース朝の首都バグダード
近郊に、ダヴィデ王の率いる軍隊が現れた報告が キリスト教世界に、もたらされた。
同年に実施された第5回十字軍に際して、枢機卿ペラギウスと騎士修道会はこの噂を、
吹聴し、中東への更なる増軍や新たな援軍の派遣を要請した。12世紀におおよその内容
が形成され、プレスター・ジョンの伝説は、13世紀に入ると写本作家や、アジアからの
帰還者や、旅行者の見聞録によって より誇張され現実味を浴びて行くていく。プレス
ター・ジョンは、かくしてヨーロッパ世界の探求心を刺激し、公式にも多くの探検家が
派遣される理由や動機になった。こうした事で、より現実に即した ユーラシア大陸、
アフリカ大陸の地図が盛んに作成されるようになる。
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