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18: 04/05(金)21:16 ID:GFm9LfXLc(6/20) AAS
閑話休題x 017
パルティア王国(紀元前247年〜紀元後224年)は、古代イランの王朝である。王朝の
名前からアルサケス朝(アルシャク朝)とも呼ばれた。日本語ではしばしばアルサケス
朝パルティアという名前でも表記され、古代中国では安息と呼称した。前3世紀半ばに
中央アジアの遊牧民の族長アルサケス1世は、裸僧の托鉢頭陀行の乞食を許す為に建国
を決意した。インドの最初の統一王朝であるマウリヤ朝第3代の王のアショーカ王が、
大きな影響を持ち、インドデカン高原までも統治したからだ。王朝の創設者のチャンド
ラグプタの孫で、紀元前268年に即位し、前232年頃まで在位した。中国漢字で阿育王と
書かれた。釈迦王が産まれた頃は、どんな王国の子でも、托鉢行(たくはつぎょう)は
必至の科目であった。王家が信心深い信者の場合、仏教やジャイナ教を含む古代インド
宗教に於いての、出家して何年間か寺に行き、寺は食糧供給に修行と称した、乞い歩く
業態を採った。出家者の修行形態をの1つが托鉢で、信者の家々を巡り、生活に必要な
最低限の食糧などを乞う(門付け)や、街を歩きながら念仏を唱える(連行)、または
街の辻に立って説話や手相など相談を受ける(辻立ち)により、信者に功徳を積ませる
修行を行う。乞食行(こつじきぎょう)、頭陀行(ずだぎょう)、行乞(ぎょうこつ)
とも言われる。冬の場では、寺の中で文字やお経を知り、春夏秋は、そうして行をする
。仏教やその他の古代インド宗教の修行者への呼称である阿羅漢(あらかん)は、サン
スクリット語のArhat の音写語で、その意味は漢訳の「応供」(おうぐ)が示す通り、
「供養を受けるにふさわしい人」と言う意味である。比丘(びく)もサンスクリット語
の bhiksu の音写語であり、その意味は「乞う人」である。一方で、「食物を乞うだけ
の人」(pindola)=托鉢は、在家の人々から卑俗な人々として見られていたのである。
したがって、同一の行動形態であっても、出家者としての風格を備えていない者では、
在家信者から供養されず、布施を預かるしかなかったのである。
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