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194: 2024/06/20(木)22:37 ID:wLLAr6WAH(7/7) AAS
中立のリアル・・・・・・・106
では、誰が奴隷貿易をして、イスラムを礼拝していたのか。と言う事になる。少なく
とも、1400年代の、ポルトガルは敬虔な、カチカチのカトリック教徒であったはずだ。
カーリムはエジプト専門の貿易商人で、ユダヤ教であった。従って、このモスクを建て
たのは、商人か、奴隷か、は、別にしてイスラム教徒であり、ムスリムであったに違い
ない。即ち敬虔なイスラム教信者である。このモスクが、奴隷たちの暴動を止める事に
役立っただろうが、とても彼らキリスタンが指導してモスクを建てる筈はない、わざわ
ざ暴動になるようなリスクを冒して建てる理由がないからだ。ここに、レコンキスタの
意味がある。つまり我々の言う大航海時代はキリスト教国の大航海時代であって、遥か
前に、ムスリム達イスラム教の大航海時代が起こっていたのである。ウマイヤ朝での、
イスラム教、アラブ人の王朝で、正統カリフ時代(632〜661年)時代にはカリフが選出
されていた。つまり選挙こそなかったが、各地域のカリフから、カリフの中のカリフを
選出していた。だが、そうして平和裏にダマスカスから大きくなったこのウマイヤ朝の
王すらも、スンナ派の聖書正統派と、血統主義正統派のシーア派は、対立した。こうし
て分裂の時代となり、その隙をついて、レコンキスタの闘いが行われたのである。この
1444年に、ポルトガル人が到達したゴレ島。その翌年1445年、ディニス・ディアスが、
ヴェルデ岬へ到達。その後1488年に、息子バルトロメウ・ディアスが、嵐の岬(喜望峰
)へ到達する。バルトロメウ・ディアスが嵐の岬(喜望峰)に到達した10年後の1498年
には、ヴァスコ・ダ・ガマが、カリカットへ到達。こうしてポルトガルは、世界地図に
新しいエリアを付け加えながら、香辛料の潤沢なアジアへと貿易経路をつないでいった
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