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210: 06/22(土)01:58 ID:kLS7SkCKk(7/11) AAS
中立のリアル・・・・・・・121
ここで、フィリップ4世はボニファティウス8世に強く反発する。教皇側はフランス
王を破門にする準備をはじめた。また、ローマの貴族コロンナ家は、有力な枢機卿も出
し、ボニファティウス8世の傲慢さに、反感を抱いていた。ボニファティウス8世は、
1294年に、前任のケレスティネス5世に迫って、自分の意志でなら、退位できると教唆
し、退位に追いこもうとして幽閉した。ところが、1303年に、逆に、フランス国王フィ
リップ4世が、先に行動を起こし、ローマ教皇ボニファティウス8世を、イタリアの、
山間都市アナーニで捕らえて幽閉し詰問した事件が起こり、フィリップ4世は、ローマ
教会にも、圧力をかけて、クレメンス5世をアヴィニョンへ移住させたのである。この
行動で、アヴィニョン捕囚(教皇のバビロン捕囚)を引き起こし教皇権に対して王権の
優位を、世界に示し確立したのであった。この事件は教皇権力の衰退と王権の伸張を、
印象づけ、近世絶対王政にいたる重大な一里塚となったエポックである。しかし以後、
ローマ教皇が自分の意志で生前退位した例は途絶える。実に 700年以上後の2013年に、
ベネディクト16世が高齢を理由に退位するまで無いのだ。コロンナ家はボニファティ
ウス8世が、不正な手段で教皇に選ばれた。と吹聴し批判しプロパガンダを繰り返して
いた。ボニファティウス8世には、教会内のローマ貴族コロンナ家と、フランス王いう
二人の敵が、常にあった。と言う訳である。教皇前任のケレスティウス5世は、就任時
にナポリ王国のカルロ2世に、満身の応援を受け、カルロ王が望む人物を役職につけ、
ローマではなくナポリに住むことにまで、同意していた。つまり役職をナポリに委ねて
いたのだ。しかし、ボニファティウス8世が就任した当時、最初にしたことは、ナポリ
王カルロ2世が送り込んだ人物を、罷免し、教皇宮をナポリからローマに移す事であっ
た。
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