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237: 2024/06/30(日)17:28 ID:F0Y3MoAkg(1/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・144
バルト海が古くからあると言えども、地中海や黒海航路はもっと古く、バチカン航路
として、フェレンツ商人ジョバンニ=ディ=メディチは、手形金融業を営んで、バチカ
ンの寄付代理業、すなわち海運税と言う寄付の代理窓口を営んで、最後は銀行設立まで
行っている。交易路はシルクロードの守り神として、マルコポーロ時代からあったのだ
。オランダのカルカッタ貿易についてお話ししましょう。17世紀にヨーロッパ諸国が、
アジアへ進出し、植民地支配を行った時期です。具体的には、オランダは東インド会社
を設立し、アジア貿易を本格化させました。彼らはマドラス、ボンベイ、カルカッタを
拠点に通商活動を展開し、三角貿易の成立にも影響を与えました。三角貿易は、アメリ
カ大陸からヨーロッパへの砂糖輸出と並行して、アメリカ大陸、消費地ヨーロッパ、ア
省13
238: 2024/06/30(日)17:29 ID:F0Y3MoAkg(2/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・145
西方の地中海で、ローマ帝国が登場し、新たに広域交易圏の和平が成立したことの、
拡大交易の影響を受け、紀元前後から、エジプトを離れても活発な交易が行われる様に
なって、さらに東方の漢帝国の経済圏とも、ベルベル人のラクダの商隊を通じて、結び
つくようになって、海の道または「海のシルクロード」とも言われる東西の交易ルート
との重要な舞台と変貌する。紀元1世紀前後から盛んとなった、インド洋での、東西を
結ぶ海上交易圏は、実はナバテア人の持った、大船建造技術、もっと言えば、金具と、
瀝青の商売の成功にあった。西方のローマ文明圏と、東方の漢文化圏を結びつけていう
、いわゆる「海の道のシルクロード」の役割やルートも、まだまだ紅海やナイル川運行
に頼っていた。大きな戦争があるまで、この川の上流を求めて探検に行くほど、熱を入
省15
239: 2024/06/30(日)17:29 ID:F0Y3MoAkg(3/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・146
紀元1世紀ごろからアラビア海とその周辺にインド洋交易圏が成立した。最初に活躍
した、ギリシア人商人は莫大な利益が転がりこみ、ローマを繁栄させた。『エリュトゥ
ラー海案内記』は、この頃のエジプトを拠点に活躍したギリシア人の船乗りが、インド
との貿易の経験をまとめた紅海・アラビア海・インド洋の航海案内記を表して、人々の
関心を呼び起こした。その後、物売りに南インドの諸王朝も更に物品の流通を奨励し、
ベンガル湾を横断してマラッカから南シナ海へのルートを開拓していく。東南アジア・
中国との交易を、次第に活発に行うようになった。8世紀頃の、強大なペルシャ帝国の
、この勢力が、インダス川流域まで影響が及んだ時、ペルシア湾に面したバスラを拠点
とした、ムスリム商人が勢力を持った。アラビア海に進出してきて、彼らは、アフリカ
省13
240: 2024/06/30(日)17:30 ID:F0Y3MoAkg(4/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・147
この10〜15世紀に、次々とカーリミー商人を凌駕し席巻するのがユダヤ商人だっ
た。ユダヤは、かつては色んな宗教に妥協した小さな 地域宗教だった。しかし、商売
と生活を結び付けたイスラム教から、その信徒のムスリムと言う修行者を育てる事に、
感銘して、カスピ海周辺にハザール帝国を作った。ハザールは、7世紀から10世紀に
かけて、カスピ海の北からコーカサス、黒海沿いに栄えた遊牧民族、およびその国家。
としている。しかしその実態は少し違う。支配者層はテュルク系民族と推測されていた
が、ウラルから下った民である。ハザールは6世紀の東ローマ史料で、サビルやサベイ
ロイと呼ばれた。『戦史』の著者プロコピオスによれば、「サビルはフンの一族であり
、カフカスあたりに居住し、多数の首長のもとに 適当に分かれている」と説明する。
省10
241: 2024/06/30(日)20:18 ID:F0Y3MoAkg(5/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・148
ツングースの名は、欧州の呼び名で、ツンドラのグース、つまり森の野鳥の雁などの
住む森と言う意味である。ツンドラ地帯は、日本では、凍原(とうげん)、寒地荒原(
かんちこうげん)などに訳される。所謂、永久凍土地帯を示すものだ。北極海の傍で、
寒帯でも唯一人間が居住できてた地域で、トナカイの遊牧でチェコト族などが、狩猟・
海洋漁業・鉱業が営まれていた。自然の地理学や地政学上、ツンドラは、低温で植物の
生長可能期間が、最も短いために、草木の樹木が生長できない地域である。ツンドラと
いう言葉は、木のない平原を意味するサーミ語に由来する。サーミ―族こそツンドラの
中で生きて来た人達で、南極ツンドラ、北極ツンドラ、高山ツンドラの3種類があり、
いずれにおいても主たる植生は草本類、蘚類、地衣類である。この中でも、遊牧民生活
省11
242: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(6/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・149
すでに述べたように,ツングース系民族は、歴史的には古い諸族だと思われるが、主
に中国の北方地域とロシアのシベリア地域に分布して、国の形成にまで至っていない。
その地域環境の影響を受けての、独特な自然と融合した、物質文化と精神文化を形成し
ているのは、モンゴル人生活でもわかる。ツングース系民族の居住地域は森林,川・海
などの沿岸地域や平原であった。森林は禽獣など、川や海には魚類などの自然資源が、
自由に獲れた。平原では農耕の自然環境を提供していた。ツングース系民族を生業形態
を4種類のタイプに分類してよく論じられ、これらの社会は、近年まで、密接に関わり
あいがあっても、非常に干渉しない仲であった。第一形態の川・海での漁労,第二形態
の原始森林での狩猟生活。第三は、ツンドラの森林生活でのトナカイの飼養という牧畜
省10
243: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(7/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・150
この、ウラルや天山などの山岳地帯の漁撈の歴史は長い。7万年前から4万年前まで、
松花江畔は旧石器時代の末期から人類が生活していた足跡があり、楡樹(ゆうじゅ)県
周家明月鎮の石門山の「安図人」の洞穴の遺物より、この時期の人びとはすでに石板・
野獣の骨を使っての、簡易な道具を作り,その道具を使って魚など動物を獲っていた。
永吉県の星星哨(地名)と扶余県の監視塔で出土した新石器時代の遺物からも骨製釣り
針と網などが発見されている。長白山岳地帯の各河川の沿岸に居住していた満族の祖先
は粛慎時代から漁撈を行っていた。寧安県の東康遺跡と林口県の三道通遺跡の出土遺物
の中から釣り針,銛などの漁撈道具が出土している。第二の原始林での狩猟とは人間が
自然界の動物に依存して生きてゆくことである。アジア大陸の東北部の満族などのツン
省13
244: 2024/06/30(日)20:19 ID:F0Y3MoAkg(8/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・151
第三のツンドラのトナカイの飼養は、新石器時代のツングース系民族は北半球の厳寒
地域で生活し、トナカイを飼養し主な食糧としていた様だが、冬には、アザラシや北極
熊なども獲り、凍った川を道にして、ソリを引き往来し、トナカイを飼った。ツンドラ
で生息する動物で、ほかの動物とは違って性格がおとなしく飼育しやすい特徴がある。
トナカイの食はコケであり、栄養が少なく始終食べ歩きして体力を保持し、魚の様に、
群から離れない。トナカイは衣食の材料のほか交通手段としても使われ、トナカイの、
ミルクはチーズに加工され、皮は寒さを防ぐ衣服として使われていた。また、トナカイ
は人と神霊の間の媒介者と考えられ、現在にいたるまでツングース系民族の物質文化と
精神文化の護り神で、クリスマスは重要な北方民の季節によるラマダンの始まりの儀式
省11
245: 2024/07/01(月)15:53 ID:xhiP4xucm(1/4) AAS
中立のリアル・・・・・・・152
日本の古墳時代の頃から、狩猟と採集のほかに農耕を始めて、女真族時代が出来て、
生産力がいっそう高くなった。人口増加と食糧の増加に従い、彼らは豚を飼育していた
。前に言ったように、農耕は家畜との共生で始まった。ツングース系民族の主な、生業
形態となった家畜は、農耕での貯蔵・保管の出来ない、余剰食糧、つまり残飯は一つの
保存食糧だったのだ。しかし、土地が必要だったで、女真人は山と平原に居住するよう
になった。とされる。狩猟と農耕と採集の三種の生業を組み合わせて行って、物品にも
余裕が出来、そのうち女真人は主に農耕に依存していくが、交易のパザールの、本来は
農耕馬や牛や羊の売り買いが、豚や豚肉、布や皮や毛皮や金までも 市場の商品となっ
た徒満族の祖先である粛慎は秦の時代に農耕を行っていた記録がある。農具は鋤と斧を
省8
246: 2024/07/01(月)15:54 ID:xhiP4xucm(2/4) AAS
中立のリアル・・・・・・・153
ハザール・カガン国は、ハのザイル、つまり尊大なザイル人である。7世紀の中頃、
西突厥の衰退と共に、ハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成した。日本語
的には、財要る。座に居る。会員制市場人、つまりこれが、ハザールや、市場可汗人の
国を形成していたのだ。ハザール人の歴史は、とても不思議である。特に ハザールの
寡頭制が、バビロニアの錬金術展開に変形したものとして、世界最大の組織犯罪シンジ
ケート団のハザールマフィア(KM)を作った、中国の龍頭と蛇頭の闘いは熾烈だった。
白龍党と黒龍党、蛇頭集団の名は、印度カースト制の成立と共にあった。ここでザイル
とは、バアル神の信仰信者の意味である。バール信仰が古くからの、カナン地域を中心
に各所で崇められたと言われる。「嵐と慈雨」の神である。その語源はセム語で「主」
省14
247: 2024/07/01(月)15:56 ID:xhiP4xucm(3/4) AAS
中立のリアル・・・・・・・154
紀元前千年前とされる、ウガリット神話で、最高神イル(エール)はアーシラト(海
の女神)や、アスタルト(豊穣多産の女神)の夫であらゆる神々の、父と呼ばれてた。
後に、バアルの妹で、妻とされたアナト(愛と戦いの女神)も元々は、エルの娘だが妻
の位置づけだった。と言われる。神聖で力ある最高神にして創造神であるイルは、一般
的には、王権を象徴する角のついた冠を頂き玉座に座った男性の姿で表される。イルは
レルと呼ばれる平野にある8つの入口と7つの部屋を持つ宮殿に住んでいる。イルが、
若い頃に、彼が海に出るとアーシラトと彼女の親友の女神たちが洗濯をしていた。イル
は彼女たちを観察してその善業を認め、鳥を焼いてアーシラトとアスタルトを招待し、
自分の妻か娘になるよう選ばせた。すると2人は妻となることを選んだ。イルと彼女達
省14
248: 2024/07/01(月)15:56 ID:xhiP4xucm(4/4) AAS
中立のリアル・・・・・・・155
、ハザール=カガン国(ハン国、王国)は、無秩序な帝国として、トルコ系の遊牧国家
として生まれた。ユダヤ教を受容し、厳密にはユダヤ人ではないが、自らをユダヤ人と
称して、自覚するようになったユダヤ国家である。といえる。ハザール帝国が、ビザン
ツ帝国との国境を持っていたが、基本的に遊牧民フン族と、豚飼い住民の南方スラブ民
とは、商売上、当初は敵対する事は無かった。養豚の歴史からは、猪が原種とされるの
で、猪種のいる大陸では、何処でもいたもの。と推測される。アメリカ大陸では、南米
原産とされる。デュロック種は有名な赤毛種である。また肉質がよいとされる黒毛種の
バークシャー種は、鹿児島六白、鹿児島黒豚、として英国から薩摩が輸入した豚である
。ところが、最初に日本で豚飼いしたのは、台湾や支那との交易のあった琉球であった
省11
249: 2024/07/02(火)13:17 ID:jiqxFpkBN(1/6) AAS
中立のリアル・・・・・・・152
日本の古墳時代の頃から、狩猟と採集のほかに農耕を始めて、女真族時代が出来て、
生産力がいっそう高くなった。人口増加と食糧の増加に従い、彼らは豚を飼育していた
。前に言ったように、農耕は家畜との共生で始まった。ツングース系民族の主な、生業
形態となった家畜は、農耕での貯蔵・保管の出来ない、余剰食糧、つまり残飯は一つの
保存食糧だったのだ。しかし、土地が必要だったで、女真人は山と平原に居住するよう
になった。とされる。狩猟と農耕と採集の三種の生業を組み合わせて行って、物品にも
余裕が出来、そのうち女真人は主に農耕に依存していくが、交易のパザールの、本来は
農耕馬や牛や羊の売り買いが、豚や豚肉、布や皮や毛皮や金までも 市場の商品となっ
た徒満族の祖先である粛慎は秦の時代に農耕を行っていた記録がある。農具は鋤と斧を
省8
250: 2024/07/02(火)13:18 ID:jiqxFpkBN(2/6) AAS
説明によると
「ベラルーシ」の国名の由来は明らかではないが、ルーシの人々は13世紀から16世紀に
かけてモンゴルの支配を受けた。「モンゴルのルーシ侵攻」と「タタールのくびき」で
ある、ベラルーシの国名の由来である、白ルーシの名前の由来をモンゴルに関連付ける
説がいくつか挙げられている。その際に、モンゴル人が、中国から学んだ文化である「
方角を色で呼ぶ方法(五行思想)」を、ルーシに持ち込んだため、「赤ルーシ」(南部
ルーシすなわち現在のウクライナ西部)、「白ルーシ」(西部ルーシ、すなわち現在の
ベラルーシ)、「黒ルーシ」(北部ルーシすなわち現在のモスクワ周辺)という名称が
生まれ、そのうちの白ルーシ(ベラルーシ)が国名として残った。と常識的に語られて
いる。モンゴル系の国家で用いられたテュルク系の言語の影響を受けて、生まれた「自
省2
251: 2024/07/02(火)18:57 ID:jiqxFpkBN(3/6) AAS
中立のリアル・・・・・・・153
ハザール・カガン国は、ハのザイル、つまり尊大なザール人である。7世紀の中頃、
西突厥の衰退と共に、ハザールはその後継国家ハザール・カガン国を形成した。日本語
的には、財要る。座に居る。会員制市場人、つまりこれが、ハザールや、市場可汗人の
国を形成していたのだ。ハザール人の歴史は、とても不思議である。特に ハザールの
寡頭制が、バビロニアの錬金術展開に変形したものとして、世界最大の組織犯罪シンジ
ケート団のハザールマフィア(KM)を作った、中国の黒龍と蛇頭の闘いは熾烈だった。
白龍党と黒龍党、蛇頭集団の名は、印度カースト制の成立と共にあった。ここでザイル
とは、バアル神の信仰信者の意味である。バール信仰が古くからの、カナン地域を中心
に各所で崇められたと言われる。「嵐と慈雨」の神である。その語源はセム語で「主」
省14
252: 2024/07/02(火)18:57 ID:jiqxFpkBN(4/6) AAS
中立のリアル・・・・・・・154
ザールとは、日本語言う所のザル。 抜け穴とか洞穴あるいは掘ると言う意味。ここ
で、偉大な洞穴となると、いわゆる罠や仕掛け、トラップと言う事になる。この商人達
は、今でいう罠と違って、常に価格に値引きされる吹っ掛け値商売をやっていたので、
掛値商売の人間をさした ハザール。「(物の)値段の決まる場所」が原意でバザール
は、“定価”はない、というのが一般的である。つまり、商品ごとや取引ごとに、売り
手と買い手が価格交渉して、買い手ごとに異なった値段が決まる。一物多価の世界だ。
アラビア語では同様のもの(おおむね同様のもの)を「スーク」という。、中東諸国・
中央アジア・インドなどの市場でイスラーム世界の市場「スーク」のこと。日本語では
「バザール」という表記をすると特価、値引きと理解されることもある。「バザール」
省15
253: 2024/07/02(火)18:58 ID:jiqxFpkBN(5/6) AAS
中立のリアル・・・・・・・155
紀元前千年前とされる、ウガリット神話で、最高神イル(エール)はアーシラト(海
の女神)や、アスタルト(豊穣多産の女神)の夫であらゆる神々の、父と呼ばれてた。
後に、バアルの妹で、妻とされたアナト(愛と戦いの女神)も元々は、エルの娘だが妻
の位置づけだった。と言われる。神聖で力ある最高神にして創造神であるイルは、一般
的には、王権を象徴する角のついた冠を頂き玉座に座った男性の姿で表される。イルは
レルと呼ばれる平野にある8つの入口と7つの部屋を持つ宮殿に住んでいる。イルが、
若い頃に、彼が海に出るとアーシラトと彼女の親友の女神たちが洗濯をしていた。イル
は彼女たちを観察してその善業を認め、鳥を焼いてアーシラトとアスタルトを招待し、
自分の妻か娘になるよう選ばせた。すると2人は妻となることを選んだ。イルと彼女達
省14
254: 2024/07/02(火)18:58 ID:jiqxFpkBN(6/6) AAS
中立のリアル・・・・・・・156
、ハザール=カガン国(ハン国、王国)は、無秩序な帝国として、トルコ系の遊牧国家
として生まれた。ユダヤ教を受容し、厳密にはユダヤ人ではないが、自らをユダヤ人と
称して、自覚するようになったユダヤ国家である。といえる。ハザール帝国が、ビザン
ツ帝国との国境を持っていたが、基本的に遊牧民フン族と、豚飼い住民の南方スラブ民
とは、商売上、当初は敵対する事は無かった。養豚の歴史からは、猪が原種とされるの
で、猪種のいる大陸では、何処でもいたもの。と推測される。アメリカ大陸では、南米
原産とされる。デュロック種は有名な赤毛種である。また肉質がよいとされる黒毛種の
バークシャー種は、鹿児島六白、鹿児島黒豚、として英国から薩摩が輸入した豚である
。ところが、最初に日本で豚飼いしたのは、台湾や支那との交易のあった琉球であった
省11
255: 2024/07/03(水)09:02 ID:xEt4mu+AE(1/22) AAS
中立のリアル・・・・・・・157
黒海とカスピ海の間に出来た、このハザール帝国は、コーカサス山脈で解れていた。
アッテラ大王の死後には、フン族の押さえが効かず、帝国が崩壊する。東ヨーロッパに
ここで権力の空白地が生じた。そこを通っていくつもの遊牧民が波が打ち寄せるように
次々と東から西から押し寄せてきたのである。アッテラ大王は ブルグント族などの、
ゲルマン系の諸族を征服して、パンノニアに本拠を置いて東ローマ帝国への侵入を繰り
返して、短期間でライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る大帝国を築き上げていた。ロシ
ア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国であった。だが、フン族は、ヴォルガ川以東から現れ、
370年に、ヨーロッパへ移住して強大な帝国を建設したとされるが、これらはウラル人
と思われる。ユーラシア遊牧民の集団であるフン族も。彼らの主な軍事技術は騎馬弓射
省11
256: 2024/07/03(水)09:03 ID:xEt4mu+AE(2/22) AAS
410年頃にフン族はドナウ川中流域を制圧し、433年には、西ローマ帝国の将軍アエティ
ウスと取り引きして、兵力提供の見返りとして パンノニアとイリュリクムの、一部の
支配権を認められた。「トラキアにいる野蛮なフン族はとても強大になり、数百の都市
が奪われ、コンスタンティノープルも危険になり、多くの人々が逃げ出した……そして
たくさんの人々が殺され、血が流されて、死者の数を数えることもできない。」ああ、
彼らは教会と修道院を奪い、大勢の修道士や修道女たちが虐殺された。(カリニコス著
『聖ヒュパティオスの生涯』)共同王位のアッテラの遠征を欧州側で見た声である。
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