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276: 07/03(水)22:53 ID:xEt4mu+AE(22/22) AAS
中立のリアル・・・・・・・177
東ローマ帝国は戦争の恐怖に恐れ慄くが、返答の使節を送る前にルーアは急死したの
であった(434年春)。ルーア王の死を、東ローマ帝国の国民は大いに歓喜して 神に祈
りを捧げ、総主教プロクロスは『エゼキエル書』の一節を引用した説教を行い、人々は
ルーアが神の怒りの雷によって殺されたと信じた。ルーアの跡は弟ムンズクの息子ブレ
ダとアッティラが引き継いだ。アッティラの元でフン族は全盛期を迎えるが、ルーアは
その重要な先駆者としての役割を果たしていて、その後のアッテラ王の快進撃が続く。
アッテラ王は 406年頃、フン族の王ルーアの弟、ムンズクの息子として生まれた。と
している。中央アジアのステップから現代のドイツ、ドナウ川からバルト海にまで広が
るフン帝国を築き上げた。434年 ルーア王が死去して、フン族全体を統べる者として、
甥のブレダと、アッティラが残された。此の時兄弟は即位して、共同王位と言う、珍し
い形が摂られた。すると、主にローマ側に雇われていたフン族兵士の逃亡者の、送還に
ついて、東ローマ帝国、皇帝テオドシウス2世の使節と取り引きを行っている。翌年、
アッティラ王と、ブレダ兄弟王は、マルゴス現ポジャレヴァツで、フン族の慣習に従っ
て騎乗にて帝国使節団と会見した。ポジャレヴァツは、セルビアの首都のベイグラード
の近郊である。ローマ側は逃亡者たちを送還するだけでなく、ルーア王に納めていた、
貢税を倍額の金、700ローマ・ポンド(250 kg)とし、市場のフン族の商人の開放 及び
ローマ人捕虜1人当たり8ソリドゥス金貨の身代金の支払に同意した。つまり、逃亡者
は、フン族に税を払っていただろう税を、今でいう重加算税の違約金と共に渡した上で
拉致していたフン族の商人の開放と、それ以外のこちら側の捕虜の身代金まで払った。
と言う事になる。これは、ローマ側、つまり、皇帝テオドシウス2世の使節は、折れに
折れた使節で、殆ど降伏会見であったのだ。
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