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287: 07/07(日)07:59 ID:tlePQyUwm(4/8) AAS
中立のリアル・・・・・・・188
オドアケルはローマの法を厳格に実行して、元老院と執政官の、権威の復興に務め、
西ローマ帝国の人々から大きな信頼を獲得していたので、西ローマの帝位に、付けた。
しかし自身は、今だイタリアの守護者として、軍官の地位に留まって、帝国の民政行政
については元老院とローマ人の文官に委ねていた。この時代の動きを止め国家建設には
イタリアの絶対王権に近づきたい 独裁統治の方針の、ゼノンと対立し公然と反ゼノン
派を支持するようになった。この時、皇帝ゼノンは、東ゴート族の王テオドリックとも
同盟を模索し手を結んだ。その上で、イタリア遠征して、征服したあかつきには、その
統治を約束したのであったのだ。が、何故に、そうまでしてテオドリックに近づいたの
か。実は、自分を持ち上げ働いてくれたという西ゴート族を束ね皇帝になったオドアケ
ル将軍が、かなりの智将で優秀な人材だったと知っていたのである。ゼノンは何時退位
が迫られるか判らない程、無能だった。東ゴート族の王テオドリックと同盟を結んだ事
も、イタリア遠征とその統治を約束したオドアケルの力や、西ゴートで帝王になってい
ながらイタリア全土を仕切ると言う 離れ技をやる有能な、オドアケルが、憎らしかっ
たし邪魔だったのである。しかし、ローマ人には、いい迷惑であった。テオドリックが
ゼノンの提案に合意したから尚更だ。ゴート人の多くは、テオドリックと分かれての、
議会制民主主義の初期状態の、東ローマ帝国に残ることを選択した。そのために、テオ
ドリックは、彼に同意した僅かな者たちだけで、488年に モエシアを出てイタリアへ向
かう羽目になった。同地で新たな戦士団を徴募した。オドアケルにこんなに人気や信任
があったのは、じつはオドアケルの政策が、昔のローマの議会制政治に戻した事にある
。よくルーツやアイデンティティなる言葉が使われるが、慣習に応じた厳格な行動様式
やシステムこそが、人々の幸福や安全と安心だった訳なのである。
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