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: 2024/04/05(金)23:43
ID:GFm9LfXLc(20/20)
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32: [] 2024/04/05(金) 23:43:01.41 ID:GFm9LfXLc 閑話休題x 030 戦前69年エルサレム攻囲にローマは、将軍ルキウスが、アルメニアの首都ティグラノ ケルタに進軍。ポントス王ミトラダテス6世とアルメニア王ティグラネス2世は、再び パルティアのプラアテス3世フラハート3世前71年〜前58年に、約束だろ。援軍を寄こ せと、依頼した。しかし、結局プラアテス3世はどちらにも、援軍を送ることはなく、 ティグラノケルタ陥落の後に、ユーフラテス川は、パルティアとローマの国境である事 を再確認する協定を結んだのである。この混乱の中で、アルメニア王ティグラネス2世 の息子であった小ティグラネスは、父親からの王位簒奪を企んで失敗している。それ程 国内も混乱していた。息子は、パルティア王プラアテス3世の下へ逃亡して来た。彼を 説得し、アルメニアの新たな首都アルタクシャタに進軍させることを決意させた。この 進軍と、その後の包囲は、既に弱っていたパルティアである。少ない兵力で失敗してし まうのは当然で、小ティグラネスは、今度は、ローマの将軍ポンペイウスの下へと逃亡 していく。アルメニア王の息子は、ポンペイウスにアルメニアの道案内をすると約束。 しかし、ティグラネス2世は、ローマの属国の領主となることを受け入れる協定を結び 、小ティグラネスは人質としてローマに送られたのである。この後、プラアテス3世は 、ポンペイウスに、小ティグラネスを自身の下へ送還するよう要求した。が、よっぽど ポンペイウスは、この王子を気に入ったのか、パルティアを軽く見ていたのか、拒否さ れている。この結果、プラアテス3世はゴルデュエネ(現:トルコ南東部)への侵攻を 開始した。これはローマの執政官(コンスル)ルキウス・アフラニウスによって、排除 されたと伝わる。ルキウス将軍・・・そう、後にローマで回想録を書き、『ユダヤ戦記 』『ユダヤ古代誌』を、完成させ、一族が暴君ネロの家庭教師になったルキウスなのだ http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/32
閑話休題 030 戦前年エルサレム攻囲にローマは将軍ルキウスがアルメニアの首都ティグラノ ケルタに進軍ポントス王ミトラダテス6世とアルメニア王ティグラネス2世は再び パルティアのプラアテス3世フラハート3世前年前年に約束だろ援軍を寄こ せと依頼したしかし結局プラアテス3世はどちらにも援軍を送ることはなく ティグラノケルタ陥落の後にユーフラテス川はパルティアとローマの国境である事 を再確認する協定を結んだのであるこの混乱の中でアルメニア王ティグラネス2世 の息子であった小ティグラネスは父親からの王位奪を企んで失敗しているそれ程 国内も混乱していた息子はパルティア王プラアテス3世の下へ逃亡して来た彼を 説得しアルメニアの新たな首都アルタクシャタに進軍させることを決意させたこの 進軍とその後の包囲は既に弱っていたパルティアである少ない兵力で失敗してし まうのは当然で小ティグラネスは今度はローマの将軍ポンペイウスの下へと逃亡 していくアルメニア王の息子はポンペイウスにアルメニアの道案内をすると約束 しかしティグラネス2世はローマの属国の領主となることを受け入れる協定を結び 小ティグラネスは人質としてローマに送られたのであるこの後プラアテス3世は ポンペイウスに小ティグラネスを自身の下へ送還するよう要求したがよっぽど ポンペイウスはこの王子を気に入ったのかパルティアを軽く見ていたのか拒否さ れているこの結果プラアテス3世はゴルデュエネ現トルコ南東部への侵攻を 開始したこれはローマの執政官コンスルルキウスアフラニウスによって排除 されたと伝わるルキウス将軍そう後にローマで回想録を書きユダヤ戦記 ユダヤ古代誌を完成させ一族が暴君ネロの家庭教師になったルキウスなのだ
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