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36: 04/07(日)04:30 ID:Ou2ks9y6o(4/4) AAS
閑話休題x 035
当然ながらかつて元老院が認めた、軍政の全権護民官(ガビニウス)は覇権を争って
、一種の理想的な共和政体を概念としての共和国は、ローマ時代も現代も、開発暴力の
上の資源に頼っている。ので、それを強化する必要に迫られて、軍事の強大を狙ったが
、それに対して、それでも有限体なので、贅沢で豪奢な生活者には窮屈でも、綿々と、
伝統の上の子孫と繁栄の国造りの元老院には、杞憂の元であった。特に海外は遠かった
。情報も文化も、言語や習慣も違う国に、戦争でなくても乗り入れる事すら憚られた。
本国での共和政ローマは、グラックス兄弟による一連の改革に始まって、ガイウス・マ
リウスやルキウス・コルネリウス・スッラらによる支配が出来るに及んで、ポプラレス
(平民派)と、オプティマテス(閥族派、元老院派)の争いが、熾烈になるなどした。
後世「内乱の一世紀」と呼ばれる政情不安な状態が続き、紀元前59年にポンペイウス、
カエサル、マルクス・リキニウス・クラッススは第一回三頭政治と、後に呼ばれる統治
体制を構築し、平民を押さえて権力を握り、カエサルは自身の娘ユリアをポンペイウス
へと嫁がせ基盤を固めたのである。その後、カエサルはガリアなど3つの属州の総督と
して赴任し、ガリア戦争を戦い、紀元前55年にポンペイウスとクラッススが共に執政官
(コンスル)を務めた。しかし、こうした拡大主義での覇道は、戦争・紛争も多く、絶
えず戦闘に及んだ。紀元前54年にユリアが死去、紀元前53年にパルティアとのカルラエ
の戦いでクラッススも戦死した。此処に第一回三頭政治が、崩壊をみるのである。また
、カエサルが、ガリア戦争の成功によって、ポンペイウスと同等の軍事上の権限を得た
ことに対し、元老院派は、カエサルの権力拡大を危惧して ポンペイウスと接近した。
紀元前52年にはプブリウス・クロディウス・プルケル暗殺に伴い、ローマ国内の混乱へ
対処するため、ポンペイウスを唯一のコンスルに選出した。
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