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42: 04/11(木)20:49:54.06 ID:zFFnitDj6(1/5) AAS
 閑話休題x   040

 実は、古代ギリシアの特にローマで、人口が増え経済も活発になると、欧州からの、
移民や植民が入植して島の経済を支えた。その後のマグナ・グラエキアでのローマとの
紛争や、シチリアでのカルタゴとの紛争など、数世紀を経ても、ギリシア系植民都市で
は、この地中海近在では、最も存在感が大きかったのがこうした島々だった。経済力が
あり、戦略的にも影響力があり、よく要塞化された、ギリシア系入植地として機能した
。特にシラクサは、ローマからも、カルタゴからも、政治的に独立して機能していた。
この、ローマ、カルタゴ、そしてシチリア、と言う三角関係で、イタリア南部ギリシア
系植民都市が関わった紛争から、こうした島の争奪戦が発展して、第一次ポエニ戦争が
始まっている。先述の、カンパニア人傭兵部隊である、マメルティニ軍の暴動事件は、
省15
80: 06/11(火)18:22:16.06 ID:6by8G9Lfh(12/37) AAS
  中立のリアル・・・・・・・08

 国境線の真上で戦って、領土を完全に守ろう。などと思えば、敵を圧倒するだけの、
大きな軍事力が必要である。しかしして、小国のスイスにはそんなものはありません。
であるなら、国の独立を守るために、一時的には、国境沿いの町や村を放棄する作戦を
たてるのも、やむを得ないことであった。他国の領土に入る事なく、専守防衛の、防衛
戦略を摂るという事は、外国を、刺激することも少ない。しかし代わりに、いざ戦時の
時は、自国の国土を、戦場にする覚悟が必要なのは確かである。専守防衛とは本土決戦
の事で、日本で言う一億総玉砕戦の事だ。所謂玉である天皇を中心とした美しい理想郷
が、砕け散っても誇りとして闘う意志である。その場合、防御に適さない、国境近くの
地域が、一時的に見捨てられるのは、軍事力に劣る国にとって致し方のない選択であっ
省11
106: 06/12(水)01:57:41.06 ID:xGGOIpCDF(1/14) AAS
  中立のリアル・・・・・・・25

 「損害は予想外に拡大し、長期戦への突入と、戦争継続能力に響く消耗は避けられな
い。これが、スイス侵攻が避けられ、占領で得られる成果が 見合わないであろう。」
と言う、侵攻側の占領コストを上げ、メリットを減らす。というスイスの防衛努力が、
実った結果である。スイスの、軍事力はドイツに比べれば弱小で、この弱小なスイスの
軍事力でも力を尽くすことで、ドイツの侵略を抑止し、国を守ることができた。という
歴史の真実である。こうした軍事力をもって、相手に侵攻を思いとどまらせることを、
「抑止」や「抑止力」といいます。ドイツの軍事力はスイスを占領可能なものでした。
ですが、たとえ、侵略側より弱い軍事力しか持たなくとも、戦争を抑止する術はある。
たとえ勝てないにしても、相手が、許容できないほど損害を与えられるだけの軍事力が
省11
226: 06/27(木)04:46:14.06 ID:ObO3VDO9a(4/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・137

 ネーデルラント連邦共和国は1602年、連合東インド会社(オランダ東インド会社)を
設立して、アジアの進出を頑なに、守ろうとした。ポルトガルの、1580年からスペイン
と、同君連合となって、オランダ・ポルトガル戦争(1602年〜1663年)が、起った。が
そもそも、ローマ王(ドイツ王)たる神聖ローマ皇帝によって統轄された諸領域の呼称
で、現在のドイツ・オーストリア・チェコ・イタリア北部・フランス東部を中心に存在
していた多民族国家であって、国家連合であった。9世紀〜10世紀に成立して、1806年
まで存続し最初はまとまった統一国家であった。14世紀から国家としての機能を徐々に
停止し、カトリック支配が崩され、統治下の非ドイツの領土も次々と失い、終いには、
国号に「ドイツ国民の」という前綴語が加えられて行く。さらに1648年のヴェストファ
省14
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