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324: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/26(金) 16:56:37.77 ID:njPh/LOUb 中立のリアル・・・・・・・225 では、もう一つの和語の、呪文と九字切り作法の、「臨兵闘者皆陣列前行」は何処の 国の物か。神道の祭祀では、中心に御幣を置く。捧げられ用いられる幣帛(へいはく) の一種で、2本の紙垂(しで)を竹または木の幣串に挟んだものである。幣束(へいそ く)、幣(ぬさ)ともいう。通常、紙垂は白い紙で作るが、御幣にとりつける紙垂は、 白だけでなく五色の紙や金箔・銀箔が用いられることもある。もともとは赤布と白布の 八幡大神の祭神祭が起源で、八幡社と言うのは、神功皇后の西方遠征の高麗討伐に端を 発するものだ。かつて、日本に多くの移民が来て、疫病が流行り百済に入国者の止めを 頼んだ。だが、その百済が新羅・高句麗に攻められる事が起こる。こうして三韓征伐に 出かけるのである。『日本書紀』では新羅降伏後に、三韓の残り二国(百済、高句麗) も相次いで日本の支配下に入ったとされるためこの名で呼ばれるが、基本的にはこの頃 は、三韓とは馬韓(後の百済)・弁韓(後の任那・加羅)・辰韓(後の新羅)を示すと されて、高句麗を含まない朝鮮半島南部のみの征服というのが正しいようだ。ともあれ 此の時玄界灘で海戦が行われて、此の時、赤帯で進め、白帯で引けと言う指令をだした 、まあ手旗信号の代わりである。此の時にへこ帯を垂らし 勝どきを挙げたと言われて いる。これが帯垂し姫の逸話である。この時実は猿渡氏の始祖の束に「兵児帯(へこお び」久末神社が創られた。兵児帯(へこおび)とは、いわゆるただの帯状の褌の事だ。 では女性はどうしたか。実は何も履かないでいた。江戸時代の男性も、皆がふんどしを 履いていた訳ではない。江戸時代の女性下着はパンツを履いていたわけではなく、「湯 文字(ゆもじ)」という布を腰に巻く服装をしていました。もちろんこの下には何も履 いていない。布の端にひもがついているので布を巻いて腰で紐を結んで使っていた。こ の湯文字腰巻は、赤で染められ「湯巻」として巻スカートの様につかっていた。これが 実は紅旗だった訳である。八幡旗とはこの紅白幕で、飾り旗の縁起物とされた。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/324
325: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/26(金) 16:59:16.51 ID:njPh/LOUb 中立のリアル・・・・・・・226 湯文字腰巻の由来は、たぶん平安時代以前にまで遡るのであろう。韓国や中国ドラマ が、色の映える、いわゆる「バエル様相」の衣装で、ドラマを演じ、更に風格のない、 つまらない美顔の若い子をが演じる。もうこれだけで見る気はしない。大きく間違えた 歴史認識で作られた、映画やドラマに、その意義はない。日本の宮中と違い、中国韓国 は履物文化で、石畳の生活し、しょっちゅう殺戮や毒殺をやっていたのだから、その辺 の事情も考えない、脚本や監督、スッタフなんだから、嘘を見る事は悪業に近いのだ。 日本の、平安時代の宮中の風呂である「御湯殿」に仕える女官が、動きやすいように 袴の代わりに付けていた「湯巻」が起源とされてる湯巻は、浴衣の元だが、肩から袖通 しした薄着で、江戸期になると、そのまま混浴の湯舟に入ったようだ。この頃やっと、 京都模様の統一化の風情があるが、実は混浴も肌着も、各所で違っていた。天女伝説の 様に、腰巻と言うのは、昔のたんぽんや生理用品と同じで腹巻型で、生理期間には常に 履き替えて洗って干していた布だ。よく男のふんどし、女の赤べこと言われるが、実は ふんどしも、へこも、同じ「 褌 」と書く、絞め方も同じで後ろから股下に入れ顎で押 さえて残りの後ろ布を一回りして、賭けて折り返しさせ帯びの様にかかれば、暖簾の様 に下げ、そこで股をくぐって更に「まえひだれ」とした。これが現代の下着に相当する 。この上に湯文字を着た。白い布を巻スカートのようにして使ってた。今の様な、和服 の下着という概念はなかった。湯文字は江戸時代に江戸で、浸透し一般化していった。 ここでふんどしもへこも、江戸仕様や上方仕様、九州や東北の巻き方が産まれた。一般 的に捻じる様式が東北や東京で、溢段に布を使って腹巻兼用にしたのが九州仕様である 。江戸の湯文字腰巻は緋色か白が主流で。年を取ると浅葱色を身に付けた。大阪・博多 では一般人が白、遊女が赤を使用していた。ちなみに三重では黄色の湯文字腰巻が主流 と、地域によって色の使い方が大きく違った。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/325
326: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/26(金) 17:01:02.68 ID:njPh/LOUb はじめは肌襦袢や半襦袢と言った上半身用の肌着と対にして使用されていましたが、 長襦袢が流行すると長襦袢の下に付けられるようになりました。ちなみに、長襦袢は、 よく遊郭の遊女が使用していました。ただし、吉原では紐を使用せずに腰に挟む湯文字 を使用していました。とさ。首吊り防止に、今の様な幅の広い帯締めになったとさ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/326
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