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255: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:02:17.12 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・157 黒海とカスピ海の間に出来た、このハザール帝国は、コーカサス山脈で解れていた。 アッテラ大王の死後には、フン族の押さえが効かず、帝国が崩壊する。東ヨーロッパに ここで権力の空白地が生じた。そこを通っていくつもの遊牧民が波が打ち寄せるように 次々と東から西から押し寄せてきたのである。アッテラ大王は ブルグント族などの、 ゲルマン系の諸族を征服して、パンノニアに本拠を置いて東ローマ帝国への侵入を繰り 返して、短期間でライン川、ドナウ川、カスピ海に渡る大帝国を築き上げていた。ロシ ア・東欧・ドイツを結ぶ大帝国であった。だが、フン族は、ヴォルガ川以東から現れ、 370年に、ヨーロッパへ移住して強大な帝国を建設したとされるが、これらはウラル人 と思われる。ユーラシア遊牧民の集団であるフン族も。彼らの主な軍事技術は騎馬弓射 であった。その出自とフン語については、数世紀にわたっても、今だ謎のまま論争にな っている。フン族は、強力な騎馬部隊を率いる突厥族でアッテラ軍強かった、マルケリ ヌス『ローマの歴史』では、「彼らは家を持たず、すきを使おうともせず、荷車に乗っ たまま、肉と豊富な乳とを、常食としていた。そして、無限の砂漠を荷車で通り抜け、 任意の牧草地に到着すると、円の中に荷車を設置し、荷車の中で動物の群のように生活 する。いわば荷車は生活物資を備えた彼らの町なのである。その荷車の中で、夫は妻と 寝て、子どもたちは生まれて育てられる。この荷車は要するに 彼らの永続する住居で あり、荷車が設置できるところならどこでも設置できる。」と書いている。東進の過程 でアラン族やゴート族の王国を滅ぼして住民を虐殺し、生き残った者達も、配下の兵士 とするなど、多くの部族を従える方向で占領した。4世紀末から度々東西ローマの領内 に入り込んでは、撤退する代償としての、莫大な賠償金を獲得していくのであった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/255
256: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:03:51.20 ID:xEt4mu+AE 410年頃にフン族はドナウ川中流域を制圧し、433年には、西ローマ帝国の将軍アエティ ウスと取り引きして、兵力提供の見返りとして パンノニアとイリュリクムの、一部の 支配権を認められた。「トラキアにいる野蛮なフン族はとても強大になり、数百の都市 が奪われ、コンスタンティノープルも危険になり、多くの人々が逃げ出した……そして たくさんの人々が殺され、血が流されて、死者の数を数えることもできない。」ああ、 彼らは教会と修道院を奪い、大勢の修道士や修道女たちが虐殺された。(カリニコス著 『聖ヒュパティオスの生涯』)共同王位のアッテラの遠征を欧州側で見た声である。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/256
257: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:04:53.72 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・158 アッテラの父親ムンズクは、フン族の共同統治者であった、ルーアが王になった時、 フン族はバルカン半島に進出しドナウ川中流域を制圧していた。ルーア王は、弟のムン ズクの働きに、その内政を任せていた。フン族の脅威に晒された東ローマ皇帝テオドシ ウス2世は、430年頃に年に、350ローマ・ポンド(125 kg)の、貢納金の支払いを同意 して、手を打った。しかしこの納税は、庶民の不評どころか反感まで買った。テオドシ ウス2世は「能書家」というあだ名の通り、書に優れていた教養人でもあった。神学や 学問の方面に熱中して、政治を顧みなかったと言われ、政治は重臣が行ない、その在位 中に「テオドシウスの城壁」と呼ばれる難攻不落の大城壁建造を度々やった。首都コン スタンティノポリスの防衛強化、『テオドシウス法典』の整備など、後の東ローマ帝国 の基礎が作られたのだが、ローマ・サーサーン戦争 (421年-422年)が勃発し治世時代に は、フン族のアッティラに度々侵入されていた。サーサーン朝も 425年からエフタルの 侵入に悩まされていた。サーサーン朝の始祖アルダフシール(アルダシール1世)自身 が、ゾロアスター教の神官階層から台頭した最高神官の将軍で、様々な変遷はあったも のの、ゾロアスター教と強い結びつきで、王国を打ち立てて、帝国を持つにいたった。 サーサーン朝の支配の時代は、イラン歴史の最高点と考えられ、多くの点でのイスラム 教徒の征服と、その後のイスラム化前の古代イラン文化の基礎となった。サーサーン朝 は、多様な信仰と文化を容認して、複雑で中央集権化された官僚制度を発展させていた 。帝国の支配の正当化と、統一力としてゾロアスター教を活性化させ、壮大な記念碑や 公共事業を建設し、文化的および教育的機関を優遇した。サーサーン朝の文化的影響力 は、西ヨーロッパ、アフリカ、中国、インドを含むんで影響し、領土の境界をはるかに 超えて広がり、エーラーン・シャフルと言うまだら模様の領地を持った。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/257
258: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:05:24.86 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・159 このサーサーン朝ペルシアは、ヨーロッパとアジアの中世美術の形成に大きな影響を 与えた。ペルシャ文化はイスラム文化の多くの基礎となり、イスラム世界全体の芸術、 建築、音楽、文学、哲学にも、多大な影響を与えている。サーサーン朝支配の時代は、 イラン歴史の最高点で、イスラム教徒の征服前にいながら古代イラン文化の最盛期でも あった。アフガン戦争前のアフガニスタンに於いて、その匂い香が残った、平和な山奥 の多人種社会に、1950年代から多くの欧州観光客が、感銘を受けたと伝えている。 だがしかし、世界大戦と同時に、イスラエル建国運動、つまりシオニズム運動と共に、 ユダヤの財政基盤を、バクー以外の油において、当時世界最大のイラン原油のパイプラ イン構想で、ソ連の侵攻が始まったのである。ともあれ古代ペルシアのサーサーン朝の この戦争は1年で終結し、平和条約により「戦前の状態」に回復された。ただギリシャ ローマ世界、もっと言えばペルシャイオニア世界の、カトリック教徒は、重税に耐え切 れずに反乱を起こした。既に、テオドシウス1世時代に、東方の欧州大陸側と、西方の 中東ペルシャ側を分けて共同統治の分割支配に入っていた。西方正帝グラティアヌスは 共同皇帝として、東方正帝にも選ばれたが、グラティアヌスの死後は次第に西方正帝を 傀儡化し、ローマ帝国の東西領域を実質的に単独支配していった。395年の テオドシウ ス1世の没後、その息子2人によって、元の様な帝国の分割統治が行われた。この帝国 の分割統治は、それ以前同様効率的と思われたが、一方で分割以降にローマ帝国で東西 宮廷の分断・対立化が深刻なものとなった。即ち放埓で法悦なエロティズム精神のイオ ニア化と大陸のイランの様な宗教的殉教的敬虔なムスリム精神とは相容れなかったので ある。日本では、この時をもってローマ帝国が 東ローマ帝国と、西ローマ帝国に分裂 したとみなされている。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/258
259: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:05:45.27 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・160 四匹の子豚の物語がある。狼に襲われる中で、最初は弟の子豚は、簡単な藁の家に住 み、寒い冬の嵐に吹き飛ばされ、逃げて兄の家に居候する。しかし狼に燃やされてしま い、そこで兄弟達は、働き者の長男のレンガの家に住み着いた。所が、勢いやって来る 狼の群に易々と乗っ取られてしまう。そこで仕方なく妹の嫁入り先の石の王の下で住ん だ。ここで石作りを学んだ兄弟は、今度は王の討伐に加わり、狼退治に参加した。次男 の豚は戦士したが、長男と三男の豚は、新しく石の家を作り、末っ子の妹豚と、平和に 暮らした。と言う豚物語だが、この前後にも物語があるが、あまり意味が解らないので 割愛するが、この最後砦となった石の家というのが、パヴィアを首都とした、ランゴ・ バルド王国であるらしい。6世紀に東ローマ帝国の、ユスティニアヌス大帝が 次々と 地中海岸のゲルマン諸国を平らげ滅ぼす中、ランゴバルド族は東ローマ帝国が東ゴート 王国を滅ぼす戦いに従軍し協力した。しかし大帝の死後、東ローマが衰退すると直ぐに 反旗をひるがえし、族長アルボイン王はイタリアに侵入して、568年にパヴィアを、 首都としてランゴバルド王国を建国した。これが(第1次)民族大移動の終幕と言われ ている。このランゴバルド王国は、かつての東ゴート人の王国と異なり、ローマ化する 度合いが少なく、宗教も文化も生活も、旧習慣を容認した。ローマ化の伝統の多くは、 ここで断たれた。こうしてランゴバルド王国の成立をもってイタリアにおける古代が、 終わって、中世がはじまった。と言うことが出来る。ランゴバルド王国は支配以来に、 その主要な支配地となった北イタリアのポー川流域の平原はロンバルディアと言われる ようになり、名を残した。またランゴバルド人の侵攻から逃れた人々がラグーンの島の 上に逃れヴェネツィアの水の都を建設したのも、この時の民族とされている。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/259
260: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:08:00.02 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・161 しかし、その支配が774年まで続く間に、ランゴバルド人はローマ人と混血して、 ランゴバルド語は消えた。ここで4匹の子豚は、ゲルマン人、ゴート人=フランク人、 スラブ人が、ローマ人=イオニア人になった話で、狼は中東人つまりブルガール人と言 う事になる話である。忘れ去られてしまったランゴバルド語と共に、イタリアの統一は の夢は終わりを遂げ、長い東西分裂の時代にはいるが、古代以来の都市は、混血浸透が 永続し存続し、むしろ、この時代に次の自治都市の発展が準備された。東ローマ帝国・ ローマ教皇・フランク王国との関係は微妙だったが、実は先住民族の、安定期でもあっ ただろう。ランゴバルド人は、他のゲルマン人と同じようにローマ教会からは、大きく 異端とされていた。アリウス派の信仰や、バール信仰が残っていた。しかし、当初から 、東ローマ帝国と敵対していた為、ローマ・カトリック教会は兵士として利用し友好的 であった。ランゴバルド時代の、590年、ローマ教皇には大教皇と言われるグレゴリ ウス1世が皇位についた。東ローマ皇帝と対抗するためにゲルマン民族への布教を強化 し始め、その努力もあり、ランゴバルド人の改宗が最も進んだ時代だった。しかしなが ら、イタリア半島の東ローマ帝国の退潮ははっきり表れ、ランゴバルド王国の王は邪推 ながらローマ皇帝を信じなく、イタリア半島の全域支配を目指すようになった。ここで ,751年には、東ローマ帝国の総督府ラヴェンナを征服してイタリア半島から、東ローマ 帝国を、とうとう追い出してしまう。東ローマ帝国の皇帝コンスタンティノス5世は、 ラヴェンナ奪回をあきらめ、ギリシア系住民の多い南端を除いてイタリア半島を放棄し た。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/260
261: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:12:57.26 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・162 この放棄によって、東ローマ帝国は、イタリア半島を放棄した後の バルカン半島の 、スラヴに移りスラブ人からの領地獲得攻勢に転じてゆき、ビザンツ帝国としての性格 を、スラブ仕様に強めることとなった。こうなるとランゴバルド王国の勢いは、ローマ 教会をも、圧迫するようになった。ランゴバルド王国との関係が、悪化したローマ教皇 は、もはや東ローマ帝国には依存できなくなり、新たな保護者として目をつけたのが、 フランク王国であったのだ。568年にパヴィアを都に成立したランゴバルド王国は、 歴史上は、この成立をもって、イタリアにおける伝統的古代が、終わって中世時代が、 始まったと言うことが出来る。全くローマの継承は自意識によるもので、政府や王朝に その香りすら無かったのだ。ランゴバルド王国の支配以来、その主要な支配地となった 北イタリアのポー川流域の平原は、ロンバルディアと言われるようになり、またランゴ バルド人の侵攻から逃れた人々が、ラグーンの島の上に逃れヴェネツィアを建設した。 しかし、その支配が774年まで続く間に、ランゴバルド人はローマ人と混血してる間に、 古代以来の都市は存続し、むしろ、この時代に 次の自治都市の発展が準備されていく 。又フランク王国では同じく 751年に、ピピンが王位についてカロリング朝を創始した 。ピピンは 754年にローマ教皇から王位を承認された見返りに、ローマ教皇を助けて、 756年に ランゴバルド王国に遠征したのだった。ラヴェンナを奪回し、ローマ教皇に、 その一帯を寄進し、このピピンの寄進によって両者の関係は強固になると。更に 774年 に、フランク王国のカール大帝が、イタリアに侵攻する用意をした。パヴィアのランゴ バルド王はその攻撃を受けて敗れ、イタリア北部はフランク王国に併合されたのだった 。ランド=地域や国 バルト=森や密林、の住民なので先住民であったであろう。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/261
262: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:14:58.91 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・162 α 古代イランのアーリヤ人。サーサン朝ペルシアでは、ゾロアスター教が国教となった 。これまでも、さまざまな神々を祀っていた。その一つがミトラ神で、友情・契約など を司る太陽神である、非常に人気が高く。特に、宇宙の秩序を維持する神は、地上での 神官階級の役割を、投影したもので進められた。イラン高原でゾロアスター教の善悪の 二元論的指向の世界観が主流の中で、この宇宙審判論の機能神は、目立たない位置に、 追いやられた。それでも、ゾロアスター教の影響を受けない周辺部の古代アーリヤ人の 間では、秘密裏の儀式で、かなり広がり人気で、後世まで生き残り続けた。ローマ帝国 におけるミトラ教は、中央アジアにおける弥勒菩薩信仰などに形象されたと言われる。 サーサン朝より前の、アルサケス朝パルティアには全盛期で前2世紀ミトラダテス1世 などの王名は、ミトラ神に認められた者、という意味があった。もとはアーリヤ人の、 太陽神(光明神)である。ミトラ神=ミスラ神をまつる密儀宗教で、西アジアのイラン 高原での中心信仰であった。日本語的にはミス=御簾でラ=裸つまり、覆いを抜ける光 で、天皇の宮殿や神殿などに用いるすだれ。竹のひごを編み、平絹・綾・緞子(どんす )などで縁をとった目の細かいもの。で「簾(す)を敬い」また、丁寧にいう、すだれ などの丁寧な敬語である。いわゆる光も風も通す日陰である上、紙すきや巻寿司にも、 使われている。魚の遡河魚取りにも使われたり、日干しにも、ザル代わりに使われた。 日本の伝統家屋は、竹の「えつり」と言われる泥壁工法だが、これも昔の家に使われて いる。ゾロアスター教が成立する前からイラン人に信仰されており、かなり古いものだ 。アケメネス朝ペルシア帝国時代には、アジア・アフリカの殆どにまで広がっていた。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/262
263: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 09:16:09.45 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・163 前14世紀のエジプト新王国の、アメンホテプ4世が、それまでの、多神教である、 アメン神信仰をすて、本来の太陽神であるラーを唯一神として復活させ、あらたな神の 観念としてアトン神を創出して万物の創造主であるとした。アメン・ラーである。だが この言葉はアテン=王座 ラー=神=御徒ラーなのである。更に南米の古代遺跡にも、 太陽神に捧げる、犠牲牛の儀式を持ち、地球上の共通の意識がそこに存在していた様だ 。前1世紀にローマのポンペイウスが小アジアを征服しことを機にローマに伝えられた といわれるが、それは逆で、恐らくローマ宗教旧約聖書が、ここで伝えられ、ミトラ教 が地下に潜ったのである。共和政ローマから帝政ローマ時代の価値の混乱した時代に、 キリスト教布教で下層民の宗教が広がって行く事に対し、上層部ではローマの国家神と して祭られていた。密議の内容は、牡牛を屠り、その脂肪と髄から作られた飲料を飲む と、不死となるという類のもので、ローマ帝国でキリスト教が公認される前の3世紀に 、ミトラ教(ミトラス教)はローマの神々と融合し、帝国各地に多くの神殿が造られて 現在も残る。しかし、女性の入信を認めず、普遍的な信仰となる条件が難しく、キリス ト教の台頭とともに衰えた。ただその儀式などはキリスト教にも影響を与えている。取 って代わる為に、キリスト教はイエスの誕生日を12月25日に変え降誕節(クリスマス) を祝う(その前日の24日夜がイブ=前夜祭)にしたのだ。が、ローマ時代のアンティオ キアなどはクリスマスは1月6日が降誕祭とされていたし、その1月6日は現在の6月 であった。12月25日はもとは東方のミトラ教の祝日であった。この日は冬至にあたり、 太陽が成長を開始する日とみられ太陽神ミトラの誕生の日とされていたのである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/263
264: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:38:38.05 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・164 この太陽神ミトラ信仰がローマに入り、帝国の守護神とされ、ローマで盛んに祝われ るようになり、やがてミトラ教に代わり、キリスト教が公認され、教会は、この日を、 イエスの誕生日として祝うことによってキリスト教の勝利を表明した。この日付に敗れ たミトラ教がある。インドのミトラと同源とされ、ミトラはサンスクリット語で「計量 者」を意味し、歳月の計量者,すなわち太陽神である。多くはペルシア神ミトラの信奉 においての密儀宗教とされ、古代ペルシアで信奉されたが,ゾロアスター教に押されて 後退した。宇宙起源の神で終末論において、ローマ民衆をひきつけ、一時期国教化され 、その秘密めいた教義は2世紀ごろローマ帝国に伝わり,軍人を中心に信仰されたが, キリスト教が盛んになるにつれて衰退した。光明神ミトラを崇拝する密儀宗教は、それ でも、クルド人を中心に、ミトラ信仰の火は繋がれ、中国の西方の一部地域で形を変え て伝えられて、日本にも影響したと言われている。語源から言えば、「ミトラ」はもと もと、「メイ」からきて、「契約」や「交換」を意味する。このことから、ミトラ神は 、契約の神とされた。加えて、契約が締結された後は、盟友関係に発展し、友情・友愛 の神ともされた。ミトラの本質が「友愛」なので、ミトラ神話には、「七曜神」あるい は「七大天使」と呼ばれる仲間が登場する。つまり太陽神になったのは、毎日決まって 朝日が昇る事で太陽がその誓いの対象だった。その一方で、ミトラ(神)は、全知全能 の最高神(至高神)であり、永遠の神として信仰されていた。ただ、そのミトラは目に 見えない存在ではなく、太陽が天空の中心に現れるように、美少年の姿で、この世に、 必ず現れるとも考えられていた。実は紀元前1700年以前のこの時代には、イラン系民族 (ヒッタイト、ミタンニ、カッシートなど)に西アジアに国を形成される頃に、既に、 この当時のミトラ教は、原始ミトラ教として信仰されいた。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/264
265: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:40:40.68 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・165 ミタンニ王国(前1700〜前1270)時代、イラン系民族の一つミタンニ人がシリアから イラク北部にかけての地域につくった王国ですら、ミタンニという国名が、ミトラから きていて、ミトラ信仰のミトラ教は国教とされるなど、ミトラ神信仰が定着していた。 ただ、ミトラ教では、密儀宗教であって、古代インドや古代イラン系民族の神話などで 、少し知られるのみでその全貌は、知ることができない。しかも、時代によって、神々 の地位や特性が、数々変更され、新しい考え方が導入されたりと流動的で、統一的な、 教義が確立されていた。とは言い難い物のようだ。ミトラ神崇拝のミトラ教と一口に言 っても、ミトラ神は、一神教的な、唯一絶対神でなく、特に原始ミトラ教の信仰形態は 、ミトラ(至高神)、ヴァルナ(原人)、アリヤマンの三柱に、四柱の神々を加えて、 ミトラ七神への、化神崇拝がありました。つまりミトラはミトラ七神の第一の様態神で あった。七神のうちミトラ神とヴァルナ神は、ミトラ教における2大神で、表裏一体の 対を為している神で、例えば、ヴァルナ神は、象徴的な少年神ミトラに巻きついている 黄金蛇に姿を変えたもの。と象徴的に描かれている。つまり、エジプトのファラオ仮面 の冠の様に、黄金の蛇=最高王位なのである。一方ヴァルナ神は、その契約の履行監督 権を持つ閻魔大王的立ち位置である。二神は、不可侵の神聖な契約に基づき、友愛で結 ばれた盟友関係にあった。これが「友愛の神」ミトラの由縁だ。ミトラ神は契約を締結 ・祝福する役割を帯び、一方、ヴァルナ神は契約の履行を監視する役割を果たした。人 間との関係でも、契約が履行されれば、二神から祝福され、契約に背いた者には厳しい 罰が与えられた。つまり原始ミトラ教は世界宗教として、異民族間の約束の神だった。 のである。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/265
266: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:41:08.87 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・166 ところが、時代が進むにつれ、あるいは西洋に伝承されるにつれ、この神は、宇宙の 統治者・全能の神、唯一神的な、属性を付与される。この意味において、原始ミトラ教 が発展的ミトラ教に姿を変えた。ヴァルナはミトラの天地創造を手伝う共同創造者で、 ミトラ教の、別の神学的な見解の中で、神々のヒエラルキー(階層)の頂点に立ったの だ。つまり、人間との契約の外に、宇宙を構成する四大元素である火・水・地(土)・ 風(空気)を統制する、万物の根源的な神の登場である。性別や情念も持たない存在と されて、体に蛇を巻きつけた獅子頭の怪人という象徴的な、半獣半人の姿で、最初に表 される。ズルワーンが登場する。永続的時間神とされるズルワーンは、万物の創生と、 破壊を司った。つまり蛇の尾っぽに、獅子の頭、時間を司どる。つまりエジプトで言う スフインクスである。このミトラ守護としてミトラ教において元素神が一緒に祀られる すなわち、「天・地。風・水・火」の元素神の存在である。天空神(スワーシャ)地母 神(ザミャート)火神(アータル)水神(アーパス)風神(ワータ)である。実は何故 ミトラ7神となったのか。実はミトラが天空の宇宙の根源神とされたからだ。七曜(し ちよう)とは、太陽と月に五惑星(水星、金星、火星、木星、土星)を合わせた7つの 天体の事をさしている。砂漠の王国のミタンニとメディアの時代に、それぞれに、神が 対応されて七曜神(惑星神)となったのだ。つまり、一神教の様な強い弱いや階級など 存在せず、各々に有効な風水的な事情での神々であったのだ。そもそも彼らは、神と言 うより、天の使いで「神の使い」「天界の住人」である。ミトラ教では、最高神ミトラ に使える神々(ミトラ神群の七大神)が七大天使となった。と考えられる。つまり祖神 ミトラ(至高神)、ヴァルナ(原人)、アリヤマンの三柱を別枠で捉えられ、元素5柱 に時間の神ズルワーン=スフインクスと原人オフルミズドを足した。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/266
267: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:41:36.75 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・168 オフルミズドは、ヴァルナの子、またはヴァルナの化身とされ、人間の原像となった 母神的存在である。ゾロアスター教の主神アフラ=マズダに相当するとの見方もある。 いわゆる人間の最高能力神=超人善行神である。つまり月を時間とし、金星を、人間や 動物の生命とした様だ。従って、金星をビーナスとして女神像にした理由がそこにある 。不思議な事に、月=太陰暦で、世界中で地球の片隅まで、月を時間の神としてる事は 確定された、伝統の様だ。古来より月読み姫伝説と、金星の女神伝記は、定番でもある 。しかし、紀元前6世紀半ばに、イランにアケメネス朝ペルシア(BC555〜BC330)が、 興隆し、メディア王国とカルデア王国は滅ぼされ、西アジアを統一。この時代に、ゾロ アスター教に、創始者ゾロアスターによる一種の「宗教改革」が興り、最高神として、 創神された善神アフラ・マズダと、悪神アーリマンによる二元論的世界観が確立した。 人々は民の守護神として絶賛した。この時、ゾロアスター教の中でのミトラ(神)など は、最高神アフラ・マズダを助け保護する神のひとりに格下げられた。ゾロアスター教 の新しい神の見解が、聖典「アヴェスタ」で起こり、戦い神、契約の神、太陽神である ミスラ神は、最高神アフラ・マズダに次ぐ神格とされた。これに対して、原始ミトラ教 において、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダは、ミトラ神の下位に位置付けられ ている。ミトラのために天地創造を行う従属神が、いきなり出世したのである。これは 善悪対立の、絶対二元論が、より簡単に受け入れられたからだが、ゾロアスター教構築 で、悪神アーリマンは絶対悪で敵視しされ、善神アフラ・マズダは、アニメの負けては ならない、ヒーロー役に成り下がった神だった。しかし、ミトラ教において、アーリマ ン(アリヤマン)は、本来は、悪神では無く、ミトラの従神で、ミトラは友愛の神で、 一定の期間が過ぎたとき、アーリマンを赦して復活させると言う復活神再起神だった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/267
268: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:45:18.73 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・169 ミトラ教における赦しの思想は、マズダー教にとっては、根本教義の「絶対二元論」 そのものを崩壊させてしまう。勧善懲悪論は、完全超悪でなくては、受け入れられなか ったのだ。まあ悪者を次々に許して、一般人や一般行動を悪としたら、物語は始まらな い。と言って、この勧善懲悪論も、善悪二元論で、切り捨て断罪出来る程、世の中が古 代であっても、単純な訳はないし、悪を作りすぎるので、ゾロアスター教は、次第に、 ミトラ教や古代の多神教的要素が入り込み、折衷的な宗教に変質していく。ミトラ=神 は、アフラ・ミトラという名に変化、地上の統治権を得て、「最後の審判」で、死後の 冥府での、死者の生前の行状を裁く審判者(裁判の神)としての役割を担うようにした 。つまり、時間の神ズルワーン=スフインクスの、生命の死だけを切り取ってエジプト 神話のオシリス、日本での閻魔大王と言う冥界神の王座を作って入り込ませた。最終的 は、ミトラ(アフラ・ミトラ)は、段階的にアフラ・マズダと習合していき、善神死神 と言う役分になった。ゾロアスター教の教典「アヴェスタ」を構成した、「ミフル・ヤ シュト(ミトラ讃歌)」の中では、「ミトラはアフラ・マズダと同格神で、地上統治権 をアフラ・マズダから譲り受けた神である。」と宣言され、ミトラを、「光の神にして 誓約の守護者」、「(悪との戦いにおける)勝利の神(=戦いの神)」、「この世と、 あの世における正義の保護者」と称えられた。こうして、アケメネス朝ペルシアの時代 以降になると、ミトラには、「契約の神」「友愛の神」に「戦いの神」、「勝利の神」 、「戦士たちの保護神」、「天国への仲介神」、「富・豊穣の神」といった性格が加わ った。これが「戦いの神」ミトラの由縁で、この頃に欧州に伝わったとも思われる。こ こでミトラ神つまり寛容の太陽神は、弟子の厳格なアフラ・マズダの光輪神光源神に、 とって代られたのだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/268
269: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:45:41.21 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・170 前334年のアレクサンダー大王の東征から、226年のパルティア王国の滅亡までの間の 約550年間は、ヘレニズム時代と呼ばれている。アレクサンダー大王(356-323 B. C.) は、ギリシャを統一した後に、東方遠征を開始した。前331年 アケメネス朝ペルシアを 滅ぼすと、アケメネス朝を象徴したゾロアスター教(三アフラ教)を厳しく弾圧した。 アレクサンダー軍は、ゾロアスター教の司祭を、多数殺害し、教典「アヴェスタ教本」 も焼くなど、折衷宗教ゾロアスター教を徹底的に破壊した。この頃にこのゾロアスター 教から、旧約聖書が産まれようとしていた様だ。つまり、インドラの持つバビロン伝説 を移し替える宗教団体が、死海教本など作っていた。ミトラ教は、アケメネス朝ペルシ ア帝国の時代には、すでにアナトリア半島にまで広がり、ギリシャ語化した「ミトラス 教」と呼ばれるほど、ギリシャ系の人々に受け入れられていた。アレクサンダー大王は 、この新しい時代の到来を強調するために、新たに臣下となった西アジアの人々には、 ミトラ崇拝を、奨励し、強制した。ペルシア帝国下での、ゾロアスター教の「アフラ・ マズダーとアーリマンが戦った時代は終わりを遂げて、ミトラの時代が始まった。」と 高らかに宣言し、自らを、ミトラと、呼ばせたりした。ミトラ教の教えでは王はミトラ の、化身であったのだ。クルド、ペルシア、バビロニアの人々は、アレクサンダー大王 をミトラの化身と受け取った。と言われている。一方で、ギリシャ人に対しては、自分 をゼウス・アモンの子、アポロと呼ばせ、ゼウスの時代は終わり、アレクサンダー大王 (アポロ)の時代が始まったと宣べた。このアレクサンダー大王でミトラ=アポロ崇拝 の奨励で、各地でミトラ混合神崇拝が盛んになり、ミトラ教のヘレニズム化が起こった この時期にミトラ神話は、著しくギリシャ化し、ミトラの七大天使(ヤザタ神群)も、 ヘレニズム(ギリシャ)風の名称に代わりギリシャ神話と混同し混成し混和となった。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/269
270: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:47:39.97 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・171 この大王の死後、アレクサンダー帝国を継承したセレウコス朝シリアも興きイラン系 のアルサケス朝パルティア(B.C.247〜A.D.228)では、ミトラ神は至高の最高神(主神 )とまでなった。「戦争の勝利の神」として民衆や支配階層から厚い信仰を受け、この 王朝の守護神になった。とされる。パルティアで、ミトラ崇拝が進んだことを受けて、 パルティア周辺には、バクトリア王国、アルメニア王国、カッパドキア王国といった、 ミトラ教国家が次々と誕生していった。月氏は「トクァル(トカラ)人」で、中国音写 説では古代中国語で「月」は「トクァル」ないし「トグァル」であり、バクトリア語に おける「トクァル・トゥクァル」に一致し、古代中国語で中世西トカラ語の民族名を、 「月氏」又は「大月氏・小月氏」とした。「トクァル人」の音写で月氏(トカラ人)は 古代にタリム盆地〜甘粛に住んでいて、トカラ語や、トカロイと結び付けられる。西洋 ではバクトリアで、もともとは地域名であり、バク=極東、トリア=国で、現在のアフ ガニスタン北部やタジギスタン、トルクの南部にあたりになった。その北に隣接する、 ソグディアナとともに東西と南北の交易路が交差する交易の中心地である。月氏は今で も、19世紀以来、テュルク系、イラン系、チベット系、モンゴル系、カッシート系と、 多くの説が、唱えられており定説は無い。紀元前550年にイラン高原に成立したアケ メネス朝ペルシア帝国がこの地に進出し、ソグディアナとともにその支配下に入った。 アレクサンドロス大王の東方遠征は 前330年1月、ペルシア帝国を滅ぼし、アムダリア 川を越えて 前328年からバクトリアへ侵攻した。戦いは、北部のソグディアナに及び、 それは民衆を巻き込んだ凄惨な闘いとなって2年間に及んだ。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/270
271: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:48:09.99 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・172 ようやく平定に成功したアレクサンドロスは、ソグディアナの豪族の娘、ロクサネを 正妃に迎えて和解し、遠征の達成を祝った。しかし、アレクサンドロスが、この地に、 ギリシア人を入植させたのに加え、1万5千の歩兵、3500の騎兵を残留させたこと は、いかにこの地の支配が不安定であったかを示していた。各地のアレクサンドリアの 建設に見られるギリシア人入植政策は、実態はギリシア人隔離政策とも言えるもので、 大王の死後、不満を持ったバクトリアを含む東方諸属州のギリシア人2万3千人は蜂起 して、祖国に帰ろうとした。この反乱は鎮圧されたが、決して平和的な融合策では、無 かったのである。しかし、実は、このアレクサンドロスの目的は、実はミロス信仰心で 、キリスト教の排除であった。基本的には、密教穴蔵集団、カッパドキア王国の聖書の 新興宗教キリスト教の排除であったのだ。唯一神で、善悪二元論で成り立ち、悪魔の姿 まで出した宗教の規定に、大きな不安感と終末論で追い立てられて、経済疲弊に立ち向 かうべく遠征に出たのだが、カッパドキアに巡り合う事が出来ずにいた。実は我々と共 に西洋人は、ミトラ崇拝を誤解している。ミトラ信仰には輪廻転生の教義がありつつも 、それは終末思想では無い。単に純粋なほどに、犠牲山羊を屠って捧げるが、それは血 すら乾杯するように、食物と成って人の身体で生き続けると言う信仰であって、我々の 日本人の供養や成仏での「いただきます」を集団でやる行為でしかない。人身御供にま で変化させたのは、ヘレニズム文化以降の、国の協商が崩れ、欧州で戦争になったから だ。更に、ゲルマン人にまでキリスト教布教し教化した為に、北欧神話の厄神思想での 蕃神破壊、つまり旅行者や客人の殺害まで、及ぶ事になってしまった。ケール信仰との 合体である。ケール信仰、つまりケルト人の信仰である。ケールはギリシャ神話では、 美女の悪霊である。戦場で死をもたらす悪霊で、翼を持つ黒身体で、長い歯と爪を持ち 、死体の血を喰らい、数多くの兄弟姉妹を持つとされる。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/271
272: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:48:33.55 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・173 さらに言えば、1世紀後半には、ミトラ教は、バクトリア王国後の北西インドに建国 されたクシャーナ王朝にも伝播していて、ミトラ神は、「太陽神ミイロ」となって信仰 された。そこでは、仏教の菩薩(神への資格を持つ人間)とも習合して、ミトラ神は、 「弥勒菩薩(みろくぼさつ)」として崇められるようになった。とも、言われている。 仏教教義において、中心に鎮座する、釈迦牟尼仏の次に現われる未来仏である。釈迦は 祈る本人の生命とされ大日如来が中心に据えられっる、その周りの結界に八方仏(神) が護り、菩薩(霊)から如来(神)に昇華した慈悲の神のあしゅく如来が上座を護る。 実はこれは、配置は決まって無く、一つの星座占いの様な風水観念でもある。中心部の 九体柱の御仏は「中台八葉院」と呼ばれている。四つの如来様(宝幢如来、開敷華王如 来、無量寿如来、天鼓雷音如来)と四菩薩様(普賢菩薩、文殊菩薩、観自在菩薩、弥勒 菩薩)で、胎蔵界曼荼羅とされる。東方を上にすれば通常 下記の様に配置される。 東方 宝幢如来 弥勒菩薩 普賢菩薩 北方 天鼓雷音如来 大日如来 開敷華王如来 南方 観自在菩薩 無量寿如来 文殊菩薩 西方 あしゅく如来は弥勒菩薩が如来に昇華した名である。宝幢如来(ほうとうにょらい) は、「如意宝珠」をもつ如来で「発心」や「発願成就」を護る。文殊菩薩と共に、普賢 菩薩は六牙の白象に乗り、仏の慈悲と理智を顕して人を救うとされ、通常は寺の入口梁 にはこの象が彫られる。釈迦如来の脇侍の知恵袋として賢者を意味する。観自在菩薩は 時間を超えて、未来も過去も見通せる。大乗仏教では、人間界の住民の菩薩と言えども 、仏で一尊であるとされる。弥勒は、音写であり、「慈しみ(梵)」を、語源とする為 、慈氏菩薩(“慈しみ”という名の菩薩)とも意訳する。無量寿如来は衆生救済の来世 も救うとされ、浄土への往生の指導者、いわゆる極楽とか天国の監理者とされる。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/272
273: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:49:31.96 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・174 この仏教内 ミトラ教は、三昧耶形(さんまやぎょう)のサンスクリットで「約束」 「契約」などを意味するサマヤ(samaya)から転じた言葉で、その上に蓮の花の蓮華八花 16花弁上の塔に載る。この蓮の花弁こそ、ミトラ教の生命の水、つまり慈雨を表す物 で三昧耶形は、、賢瓶(水瓶)。種子(種子字)を持つと言う、一つの形とされている 。又大日如来と四如来を合わせて胎蔵五仏と呼ぶ。天鼓雷音如来は金剛界五佛での不空 成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)と同体とされる。開敷華王如来は、「開花した 蓮の花の王」の意味で、修行の努力によって、蓮の花が開くように菩提心が開花(開転 )し、大悲利他の心を起すことを表す開運如来とも言える。この一柱八神に、眷属と言 われる仲間の集団がその外を護るのが曼荼羅と言う作風である。ここでも、三昧耶形( さんまやぎょう)のどの仏をどの象徴物で表すかが経典によって予め「取り決められて いる。」方式は守られる。多くの場合、各仏の持物がそのままその仏を象徴する三昧耶 形となる。 例えば不動明王なら利剣(倶利伽羅剣)、聖観音なら蓮華、虚空蔵菩薩なら 如意宝珠など。また、通常持物を持たない如来の場合は特別の象徴物が三昧耶形とも、 される場合もある。(大日如来が宝塔など)、印相を以て、三昧耶形とする場合もある。 又、仏教戒律の、例えば密教の代表的な戒律の『十四根本堕』(戒)など、守るべき僧 の戒律を、三昧耶戒(さんまやかい)として、仏教の教えの一つであるとして、「後期 大乗仏教」を集大成している。ヘレニズム後のミトラ教での伝承は、次第に支離滅裂な 宗教に変化していくが、東部伝承は、意外にも昇華していくのである。現存するミトラ 教はないが、日本での天皇の菊花紋は、その伝承の一部であったと考えられる。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/273
274: 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です [] 2024/07/03(水) 22:50:02.96 ID:xEt4mu+AE 中立のリアル・・・・・・・175 その後、パルティア王国を滅ぼして成立したサーサン朝ペルシャ(226-642)では、 ゾロアスター教が、国教となって復権した。ゾロアスター教は、とても簡単に善悪二元 の唯一神を生み出した。ここで悪い事する奴は常にいる。だが善い事する奴も常にいる 。何故善い事をするか、生きて善行を行えば、輪廻で善き天国に行けるからだ。とした 。ゾロアスター、つまり、ザラス・シュトラは、太陽崇拝から光源崇拝に変えて、常に 炎があれば、何処でも礼拝できる。とした。つまり火焔崇拝である。更に「女と寝る様 に男と寝る男、男と寝る様に女と寝る女は、悪魔崇拝者である。」とした。つまり、同 性愛者を悪魔としたのだ。そして、基本的に四つ足の牛や豚に似たものの肉は食べては ならない。とした。更に、各個の人の魂(ウルバン)には、各個の精霊(ウラワシ)が いて、唯一最高神の、アフラ・マズダの光明を持って生きている。とした。悪神(アン ラ・マンユ)と善神(アフラ・マズダ)の抗争の中で、人間は生きている。と説いた。 実はこの火焔崇拝も日本に伝わり、火炎土器が出来たり、竈を「クド様」と呼んだり、 仏教の中の護摩焚きの起源であったりしている。ゾロアスターには、光輪を持つ羽根の ある人間が象徴的に描かれる。フラワシと言う下等神とされ、それぞれにあり、閻魔様 の閻魔帳に報告する係とされる。二元論では、生が善であり、死は悪である。とされ、 死んだ後は、牛の糞尿や藁、或いは泥水で表れ、山の頂上で鳥葬される。これは恐らく 死人の肢体に残る糞が出てその汚さを隠し、旧来の風葬からの風習であろう。又大きい 動物を食わないと言うのは、恐らく豚での疫病死が、何らかで解ったからであろう。ま 、ここで同性愛の禁止がぶち上げられ、イスラム教の素地が出来ている。それでも、こ のバビロニア以西では、なおも、ミトラがアフラ・マズダーより上位神に位置していた 。とされている。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1712207618/274
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