[過去ログ] 中世ジャップランド (34レス)
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4: 09/10(火)10:54 ID:5PTaqyBAo(4/6) AAS
、尾張藩の廻船「督乗丸」の漂流について述べられたが、実は、かなり江戸時代には、
多くの千石船が漂流している。理由は幾つかある。一つは、鎖国政策によって遠海航海
できる様な大型船の、建造が禁止されたからだ。沿岸航路の船、小型船しか、建造され
なかったために、嵐に会うと簡単に難破、漂流したのである。二つ目は江戸期は、庶民
生活では平安な鎖国時代だったが、自然界では、丁度運悪く、地震や火山活動、天候の
変化のあって、地球活動期とされる最も地震があり作物不作の時代だった。従って享保
の津波や天保の飢饉など、各地に起ったのである。三つ目に、漂流の原因に、千石船の
構造自体に、大きな欠陥があった事だ。日本にアスファルト、瀝青などは、取れてはい
たが、出回っていない。少量が摺り版の絵の具に利用されるぐらいで、高額であり知名
度もなく、船に使われる事はなかった。従って甲板や側板が水密性がないままであった
。そのため船は浮くのがやっとであり、大波を被ると船内が水浸しとなり簡単に水船に
なった。更に、二つは船底に隔壁がなく、竜骨も貧弱だったことだ。隔壁がなく浸水の
水は、船内を自由に移動した。そのため、安定性に欠けて、沈没しだすと、より可能性
を高めた。三つ目は船の、楫(しゅう)が固定されていないため、楫が簡単に破損した
。楫(しゅう)とは、舟の櫂(かぢ)とあるが、櫂(かじ)は、オールとして長く大きい物
で、「六上にをむる以(ゆゑん)なり」といわれ。長くしなるようなものを櫂、短くて、
しならない数しげく動かして榜(こ)ぐものを楫(しゅう)という。特に日本の場合は、
数人が座って並んで櫂(かい)を漕ぐ式の船は鹿児島や長崎・沖縄でしか発達してない
。逆に立って櫓と言われる「ぺら」を掻いて前に進む式の、云わば、突然の武士との、
戦いにも使える様な強い削り丸太を、推進用の櫓にしていたのである。日本が海という
ものに乗り出した時、海流に乗って行く中で舵取るのみで、推進器はまだ無く、人力で
櫂(かい)と櫓(ろ)という2種類の細長い道具で、小さな帆を使って空を見ながら航海を
していたのであって、海よりは川面の方が多かった。
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