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中世ジャップランド (34レス)
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: 09/10(火)10:56
ID:5PTaqyBAo(5/6)
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5: [] 2024/09/10(火) 10:56:46.12 ID:5PTaqyBAo そのため、多くの船が難破し、海難事故が発生した。江戸時代のおもな漂流は下記の とおり。(資料 「日本漂流記」 川合彦充著) @ 尾張国知多郡大野村(愛知県常滑市大野)の権田孫左衛門船(15人乗り 沖船頭 次郎兵衛)寛文8年(1669年) 11月5日、三河渥美半島大山沖で漂流。12月6日パタ ン島に漂着。3人死亡。内1人は現地 残り、11人が手作りの船で清国を経由、 寛文10年6月24日に長崎に帰還。 A 阿波国海部郡浅川浦(徳島県海部郡海南町浅川浦)の勘右衛門船(7人乗り 船頭 勘右衛門)寛文9年(1669年)12月6日、志摩半島安乗沖で漂流。1670 年2月20日小笠原諸島 母島に漂着。船頭勘右衛門死亡。6人は小船で八丈島を 経由して、1670年5月7日伊豆半島洲崎に帰還。 B 伊勢国松坂(三重県松坂市)の七郎兵衛船(15人乗り 船頭 七郎兵衛) 寛文 12年(1672年)12月24日遠州灘で漂流。1673年7月5日エトロフ島 に漂着。全員がクナシリ島、十勝、松前経由して、9月8日江戸に帰還。 C 伊勢国度会郡神社村(三重県伊勢市神社)の太兵衛船(12人乗り 直船頭太兵衛 )貞亨元年(1684年)12月26日、三河渥美半島大山沖で漂流。1685年 2月5日マカオ島近くの小島に漂着。1685年6月2日サン・パウロ号にて長崎 に帰還。 D 伊勢国白子村(三重県鈴鹿市白子)の彦兵衛船 神昌丸(17人乗り 沖船頭大黒 屋光太夫)天明2年(1782年)12月13日、駿河沖で漂流。1783年7月 20日、アリューシャン列島アムトチカ島に漂着。ロシア、イルクーツクに到着も 、13名が死亡、庄蔵、新蔵が残留する。光太夫、磯吉2名は根室経由で、179 3年9月15日江戸に帰還。 http://maguro.2ch.sc/test/read.cgi/poverty/1725933064/5
そのため多くの船が難破し海難事故が発生した江戸時代のおもな漂流は下記の とおり資料 日本漂流記 川合彦充著 尾張国知多郡大野村愛知県常滑市大野の権田孫左衛門船15人乗り 沖船頭 次郎兵衛寛文8年年 月日三河渥美半島大山沖で漂流月日パタ ン島に漂着3人死亡内1人は現地 残り11人が手作りの船で清国を経由 寛文10年6月24日に長崎に帰還 阿波国海部郡浅川浦徳島県海部郡海南町浅川浦の勘右衛門船7人乗り 船頭 勘右衛門寛文9年1669年12月6日志摩半島安乗沖で漂流1670 年2月20日小笠原諸島 母島に漂着船頭勘右衛門死亡6人は小船で八丈島を 経由して1670年5月7日伊豆半島洲崎に帰還 伊勢国松坂三重県松坂市の七郎兵衛船15人乗り 船頭 七郎兵衛 寛文 12年1672年12月24日遠州灘で漂流1673年7月5日エトロフ島 に漂着全員がクナシリ島十勝松前経由して9月8日江戸に帰還 伊勢国度会郡神社村三重県伊勢市神社の太兵衛船12人乗り 直船頭太兵衛 貞亨元年1684年12月26日三河渥美半島大山沖で漂流1685年 2月5日マカオ島近くの小島に漂着1685年6月2日サンパウロ号にて長崎 に帰還 伊勢国白子村三重県鈴鹿市白子の彦兵衛船 神昌丸17人乗り 沖船頭大黒 屋光太夫天明2年1782年12月13日駿河沖で漂流1783年7月 20日アリューシャン列島アムトチカ島に漂着ロシアイルクーツクに到着も 13名が死亡庄蔵新蔵が残留する光太夫磯吉2名は根室経由で179 3年9月15日江戸に帰還
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